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61話 脱出

 ――ラジムは研究室へと向き直り、机に向かう。


 「……すぐに動きましょう」


 短くそう言うと、机の上の資料を手早くまとめる。


「まずは施設長のもとへ行って、転移装置の使用許可をもらってきます。その間に三人分の研究員の服を用意しておきます」


「分かった。俺たちにできることはあるか?」


 イグニスがラジムへ声をかける。

 ラジムは必要な資料や検体をひとまとめに机の真ん中に集めながら、収納するための鞄を取り出した。


「そうですね、でしたら……僕が戻るまでの間に、ここにまとめてある研究資料をこの鞄に詰めていただけますか?」


「おう、任せろ」


 イグニスはラジムの横に歩み寄り、彼が用意した鞄へと資料を詰め込んでいく。


「あ、その検体は揺らさないでください!ゆっくり、丁寧にお願いします」


「ああ?めんどくせぇな」

「はいはい、私も手伝うからぼやかないの」


 そんなイグニスの様子を見かねたティナが作業を手伝いに入る。


「ありがとうございます。では、行ってきます」


 ラジムは軽く頭を下げ、扉へと向かう。


 そのまま外に出ると、静かに扉を閉めた。


 ――ラジムは施設長の研究室を目指し、通路を進みながらこれからのことに考えを巡らせていた。


 そして、胸の奥に溜まっていたものがじわりと浮き上がってきた。


(……もう、戻れない)


 当然だ。


 今からやろうとしていることは、明確な裏切り行為なのだから。


 それでも、やらなきゃいけない。


 ラジムは一度だけ目を閉じると、すぐに開いた。


 (僕は、僕のやり方でマナに適応する方法をみつけてみせるんだ)


 通路を進む――無機質な白い壁。均一に並んだ照明。

 見慣れたはずの光景が、どこか冷たく感じた。


 やがて、重厚な扉の前で立ち止まる。


 施設長の研究室。


 軽くノックをする。


「ラジムです。少しよろしいでしょうか」


「……開いてるぞ」


 返事を待ち、ラジムは扉を開けて中へ入る。


 室内では、施設長が書類に目を落としたままペンを走らせていた。


「どうした」


「……転移装置の使用許可をいただきたく」


 ラジムは余計な言葉を挟まずに要件を伝えた。


 施設長の手が、わずかに止まる。

 すぅっと視線だけこちらに向けられ、その仕草だけで嫌な緊張感が込み上がる。


「理由は」


「臨床実験の詳細を確認するためです。ゲルハルト様に提出した検体の件で、取り急ぎ確認したいことがありましたので」


 淡々と答える。


 嘘ではない。


 しばしの沈黙。


 その間がやけに長く感じる。


 やがて施設長は視線を上げ、ラジムを見た。


「ゲルハルト様に提出した……マナ因子と言ったか、ふむ」


 一瞬、怪訝そうな顔を浮かべながらも何かに納得したように頷いた。


「……許可しよう」


 短くそう言うと、卓上の機械に手を触れる。


 低い駆動音とともに淡い光が灯り、中から黒い板が滑るように出てきた。

 施設長はそれを引き抜くと、ラジムのもとへ歩み寄る。


「手順は理解しているな」


「はい」


「お前がゲルハルト様に自分の研究を進言した時は、冷や冷やしたが……評価していただけて良かったな。頑張れよ、ラジム」


「……はい、どうも」


 そのゲルハルトによって自分の研究が利用された今、施設長の言葉を素直に喜ぶことなどラジムにはできなかった。


「失礼します」


 ラジムは一礼し、部屋を後にする。


 扉を閉めた瞬間、ブワッと込み上がる怒りと嫌悪感を必死に押さえ込んだ。


(……何が良かっただ、利用してるだけじゃないか)


 その気持ちを振り払い、再び前を向く。


(……行こう、三人が待ってる)


 胸の奥に、拭えない感情が残る。


 それでも、立ち止まるわけにはいかない。


 ラジムは足早に通路を戻る。


 途中ですれ違う研究員たちに軽く会釈をしながら、表情を崩さないように意識する。


 ――いつも通りに。


 やがて部屋に戻り、扉を開ける。


「どうだった?」


 クリスがすぐに口を開く。


「……許可は出ました」


 三人の表情がわずかに緩む。


「よし、順調だな」


「はい……」


 ラジムは一瞬だけ言葉を止めた。


 だが、すぐに続ける。


「急ぎましょう。諜報部隊に勘付かれたら厄介です」


 棚から白衣を取り出し、三人に手渡す。


「多少サイズは合わないかもしれませんが、問題ないでしょう」


「それは気にしても仕方ないでしょ」


 クリスがそれを受け取りながら言う。


 ティナは白衣を抱えたまま、小さくラジムを見た。


「……大丈夫、ですよね」


「大丈夫です。必ずうまくいきます」


 ラジムは不安そうな表情を浮かべるティナに力強く頷いた。


「行きましょう」


 ラジムが扉を開ける。


 四人は足音を抑えながら、通路へと出た。


 白衣を纏い、顔を伏せる。


 すれ違う者たちも、特に気に留める様子はない。


 ――この調子なら転移装置まで順調にたどり着ける。


 そう思った瞬間、通路の奥から黒装束の男が姿を見せた。


 その冷たい視線がこちらを捉える。


「……待て」


 男は、ラジムの手に握られている黒い板を見て目を細めた。

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