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異世界の旅路 第七十二話 紙と巨体と肉塊と

【前書き】


こんにちばんわ、たこ助です。


前回、異世界の宿屋の「設備事情」を身をもって知った碧斗くんたち。

今回はいよいよ、異世界で初めての本格的な朝食です! 白いクロスに金縁の白磁、まるで高級ホテル。これは期待が高まりますね。

……ええ、期待が高まりますね(遠い目)


サブタイトルの「紙」が何の紙なのかは、どうか本文でお確かめください。

今回も念のため、お食事中の方はご注意を(微苦笑)


では、どうぞ!

 部屋を出て一階に降りると、昨日飲み食いで賑わっていた場所が全く違う姿に変身していた。

 テーブルには真っ白なクロスが掛けられ、その上には金に縁取られた透き通ったような白磁の食器。


 「うわー! 高級ホテルみたーい!」


 と大きな声を上げる理音に注目が集まる。


 俺は小声で、


 「ばっか! 静かにしてろよ恥ずかしいだろ!……」


 と耳打ちしたが、本人は全くその気はないようだった。


 「うわー見て! この花きれーい……」


 テーブルに飾られた花瓶の花を手に取り香りを嗅ぎうっとりする理音。

 その表情に思わずドキッとしてしまった。


 (だ、黙ってそういう顔をしていればいいんだよ……)


 『碧斗、顔が赤いぞ? 風邪でも引いたか?』


 「違うよ! 理音の行動が恥ずかしくて赤いんだ!」


 「わかりやすいわね碧斗クンは」


 「そうなんだ。 慎重で動じないくせにわかりやすいんだ碧斗は」


 「……うふふ……」

 『クスっ』


 すると俺と理音以外から笑みと笑い声がこぼれた。


 「どしたの? みんな?」


 しかし鈍感な理音は気づいてすらいないようだった。

 そしてみんなが案内されたテーブルに着き、理音が食らいつく前に声を出して食事の前の挨拶をすることにした。


 「さて、関所街では簡易食堂と言った感じの店で食べたが、異世界で本格的な料理はこれが初めてだ」


 案の定、理音は先端が半月状の妙な形のナイフと中心が長く、両脇が短いというこれまた変な形のフォークを手にして料理に手を伸ばしかけていたところだった。


 「あー……なので、テーブルマナー……作法や食事中してはいけないことなどをミーシャに聞きながら進めようと思う。 ミーシャ、頼めるか?」


 するとミーシャは少し得意げな表情で、


 『ああ、かまわんよ。 それほど形式張ったものはないがな。 ではまず今日の食事だが、穀物の粉と水を混ぜて焼いたもの。 おまえたちの世界ではパンといったか? あれだ』


 とパンを手に取ってみせるミーシャ。


 『こちらではミトムという。 それからこれは鳥の卵を焼いてさっと混ぜたもの。 パラソッタだ』


 皿に盛られたスクランブルエッグらしきものを指して言った。


 『次、これはサンデン。 固いものだ。 朝食では定番だが、おまえたちには食べられないだろうから残してかまわない。 柔らかいものだけにしてくれと頼んでおけばよかったな』


 と黒曜石のような断面が輝く石を手に取った。


 『そしてトーブヤルネ。 柔らかいもの、複数の野菜の煮込み汁だ。 最後はオッキロス。 獣の肉だな』


 『まぁ朝食としては定番と言えるだろうな、少々洗練されてはいるが……』


 「なぁ、汁を啜ったりして音を立ててもかまわないか?」


 『もちろんだ。 そもそも食器があるのも珍しいんだ。 基本は手づかみだしな。 気にせず食事を楽しんでくれ』


 「よかった! あたし麺やスープは啜らないとまずくて食べた気がしないんだよねー」


 『忘れていた、食べ物を両手にそれぞれ持つのは厳禁だ。 動物などと変わらないと軽蔑される』


 『まぁそれ以外は気にしないでいい』


 「じゃあ、早速頂くとするか。 いただきます!」

 「いただきます!」


 一瞬、周りの視線が集まったが気にしないでおこう。


 「……あじしなーい……」


 早速理音が文句を言った。


 「碧斗でも夕花ちゃんでもいいから、塩と胡椒のやつ、ちょーだい!」


 「声がでかいって。 ……ほれ」


 そう駄々をこねる理音に仕方なく、他の客の視線がなくなったのと同時に収納しておいた塩胡椒のボトルをこっそり出して理音の前に置いた。


 「これこれ!」


 そう言ってボトルを奪い取ると、


 (パッパッパッパッパー……)


 と豪快に振りかけて、スプーンで汁を啜り始めた。


 「ずずーっ! あー! 塩胡椒サイコー!」


 皆はあきれ顔で理音を見ていたがしかし、ほかの皆も、


 「僕にもください……」

 「……私も……ほしいな……」

 「次、私にも……」


 と、ボトルに手を出さずにはいられないようだった。


 「塩と胡椒でなんとか飲み込めるって感じだわね」


 瀬蓮さんがそう言うと、理音と夕花がスプーンを口に入れたままコクコクと頷く。

 俺は出汁(だし)の素を入れても良いなと思っていたが、理音が騒ぎ出しそうなので黙っていることにした。


 (カリっ、ゴリっ……)


 ミーシャは俺たちとは別メニューで、固いもの(鉱石、ミネラル)を食べていた。


 『固いものに合う調味料はないのだろうか』


 石で頬を膨らませながらそういうミーシャに、みんな苦笑いしながらも、俺は今度いろいろな金属を出してみてやっても良いなと思っていた。

 ハンダとかどうだろう?

 もちろん鉛フリーのやつだ。


 (確かキクハウスから持ってきてたはず……)


 などと考えていると、理音が大きな声で腹をポンポンと叩いた。


 「はぁー食った食った! シーっ!」


 文字だけ切り取ればまるで飯場(はんば)のオジさんだが、法本理音という、一七歳の少女から発せられるのだから当然、ミーシャ以外は笑わずには居られなかった。


 「あはは、理音ちゃん、オジサンみたい!」


 と夕花が珍しく声を出して笑った。


 (彼女もこの異世界で少しずつ、変わってきたような気がする……)


 と一瞬そう思ったが、すぐに気を取り直して理音をからかうことにした。


 「おい理音、異世界で誰も理解できなくてよかったな。 おまえの親衛隊や取り巻きどもが聞いたら幻滅されるぞ?」


 とわざとらしく片方の眉を上げて言った。

 しかし当の本人はそれに気づかず、


 「へ? アタシは気にしないけど?」


 と、あっけらかんと言い、俺の戦術は失敗に終わってしまったのだった。


 「しかしスープは多少マシになる程度だったが、焼いた肉にはやっぱり塩胡椒は絶妙だな!」


 またしても理音と夕花が、そしてミーシャまでもがフォークを口に突っ込みながらウンウンとうなずいた。


 「僕としては胡椒風味ならばやっぱりソース・オ・ポワブルの方が好みですね」


 「なにそれ?」


 「フランスでは肉料理の定番のソースですよ」


 「ちぇっ、気取っちゃって」


 「前に話さなかったっけ? 卒業前にテーブルマナーの勉強でホテルでフランス料理が出るらしいぞ?」


 「え? そうなの? メンドー」


 「ところでオッキロスって何の肉だ?」


 『ああ、小型のサルだ』


 「ブーっ!」

 「ゲホォっ!」

 「ゴホ……ゴホ……」


 瀬蓮さん、菊次郎、夕花の不覚の三重奏である。

 俺はなんとか耐えられたが……


 (ふぅ……き、聞かなければ良かった……)


 するとミーシャが何食わぬ顔で肉を口に運びながらこう言い放った。


 『モグモグ……二足歩行ではないから安心しろ……モグモグモグ……ごっくん……』


 (涼しい顔でそう言われても……)


 こうしてすったもんだのやりとりの後、ふと理音の方を見てみると、とうに皿から肉は消え失せてさっさと完食をしてしまっていた。

 あまつさえ菊次郎の方を見て、


 「それ、食べないの? じゃあちょーだい!」


 と菊次郎の肉にまでフォークを突き刺す理音。

 無神経さが幸いしたと言うことか。


 「あ、ああ……いいですよ……たくましいんですね、理音さんは……」


 唖然としてそれを見ている菊次郎。


 「……これも……あげる……」


 夕花は小さい手をちょこんと添えて、恐る恐る理音の方に皿を押しやった。


 瀬蓮さんはミーシャの言葉に一瞬驚いたようだったが、平然と食を進めていた。

 さすが大人、と感心してしまった。

 しかしその手に握られたナイフとフォークの先をよく見ると小刻みに震えているのがわかり、案外可愛いところが見られたのも事実である。


 「さて、食事も済んだし、このあとはどうする? 観光か? ショッピングか? それとももう出発するか?」


 そう言ってみんなの表情を見ると、出発するのは……

 と言った顔で互いを見つていた。

 俺はそれを咄嗟に察して、


 「じゃあ……ミーシャ、スースクローの素材で金は手に入っただろ? あと一週間くらい泊まれないか? 素泊まりに変更して。 食料は持ってきたもので自炊!」


 するとみんなの顔がぱっと明るくなり、そしてやはり理音が真っ先に反応した。


 「カップ麺食べたーい!」


 俺は、


 (カップ麺は自炊に入るのか?)


 と言う素朴で深い疑問に頭をかしげつつ、


 「まぁ乾燥野菜もあったし、まぁいいだろう」


 ととりあえず一つ頷いて、首肯することにした。

 そこでミーシャが一言。


 『金は当分大丈夫だが、ところでかっぷ麺、とは?』


 と言うと理音はいたずらっぽく歯を見せて、


 「いいからいいから! あしたの朝食のお楽しみ!」


 と言って立ち上がったミーシャの背中を押すのだった。


 『わっ! と…… おいよさないか……』


 「じゃあ俺は外でポタ電の充電をしてくるよ。 もうスマホ、バッテリー切れだろ?」


 すると理音はどーでもいい、といった表情で言った。


 「電波ないし…… 夕花ちゃんのブラック……なんとかは大丈夫そうだけどさ……」


 それはご愁傷様、と言った表情で理音を一瞥すると、


 「あ、ミーシャ、あとで一緒に来てくれ。 店の人に中庭を借りたい。 顔を洗ったら迎えに行くよ」


 とミーシャに声をかけた。

 するとミーシャは肩を押す理音の両手からくるりと身をかわしてすり抜け、


 『わかった』


 とだけ答えて部屋に入っていった。


 「じゃあ一時間後に入り口で落ち合おう! キク、腕時計してるよな? まだ動いてるか?」

 「ええ、今は…… 朝の八時二十分過ぎですね……」

 「じゃあ九時半だ!」


 そうして男子部屋に入ろうとしたとき、突然腕をぐいっと引っ張られたのだ。


 「碧斗、ちょっと……」


 理音だった。

 そして恥ずかしそうにうつむきながら、何やらごにょごにょと言っているがなんだかわからない。


 「ん? 何だって?」


 もじもじする理音も可愛いが、なんだか不気味でもある。


 「だから……紙……」


 俺は理音の意図を理解できず、適当に思いついたことを言ってみた。


 「ノートがほしいのか? ミーシャが持ってるぞ? 一枚もらえ」


 すると理音はさらに恥ずかしそうに、


 「……その紙じゃなくて……」


 と手を後ろに組み、顔を逸らした。

 俺はいい加減ちょっとイラついてぶっきらぼうにこう答えた。


 「何だ? あとはボール紙くらいしかないぞ? 何に使うんだ?」


 そう言ってボール紙を一枚取り出すと理音に差し出した。

 すると理音は顔を真っ赤にした鬼のような形相で、なぜだか拳を握って肘を引くのだった。


 「……………………こ、このニブちんがぁー!!!」


 次の瞬間、俺のみぞおちには理音の拳が見事に埋まっていった。


 「うっ!」


 俺はいつかの菊次郎のごとく虹色の何かを吹き出しそうになったがなんとか耐えて、理音の顔を。


 「な……何すんだよ…………」


 すると理音は今度は本当に真っ赤な顔をして、なんだかモジモジとするばかりだったのだった。


 「……わかるでしょ! 朝のアレの後、置いてあったコケで拭いたの…… だからちゃんとした紙で拭きたいのよ……」


 (あー!)


 俺はそこでやっと状況と理音の意図を理解して、トイレットペーパーを出してこっそり手渡した。

 このときは、異世界での俺の高まった状況判断、推論能力も、まるで役に立たなかったようだった。


 「……悪かった。 これも持って行け……」


 俺は収納魔法で取り出したビニール袋も手渡した。

 トイレットペーパーなどをその辺に放っておいたら、この世界ではオーパーツ扱いされかねない。


 (後でどこかで燃やすとしよう……)


 俺はそそくさと女子部屋に入っていく理音を後にして部屋に戻ると、洗面器をバックパックから取り出して、顔を洗う準備を始めた。


 (バシャバシャ……)


 すると背後から、菊次郎が不満そうな声で俺にこう言った。


 「碧斗君…… 僕たち、このまま地球に、日本に戻れないのでしょうか?」


 俺は顔を洗う手を一瞬だけ止めて、再び顔をゴシゴシと何度か擦った。

 そしてタオルで顔を拭いて、歯ブラシに歯磨き粉を押し出しながら答えた。


 「そのためにダシナルにいくんだろ? 魔法やこの世界のことを調べて帰る方法を必ず探すさ」


 俺は慎重さとは反対の、持ち前の楽観さで軽くそう答えた。


 「一体、それには何年かかるんです?」


 菊次郎が放った、いきなり心に突き刺さる一言に手が止まる……


 「何年って、それは……」


 ブラシを咥えたまま、俺は菊次郎の放った一言の答えを必死で考えていた……


 「受験だって控えていたのに、戻ったときは成人していた、あるいはおじさんや老人になってしまっているかもしれないじゃないですか!」


 「ほ、ほれは……」


 俺は慌てて残りを磨き終え、洗面器に吐き出す。


 (グシュグシュ……っぺ)


 菊次郎は続けた。


 「ここで異世界ごっこを楽しむのも良いですが、僕は一刻も早く戻りたい。 ただそれだけなんです……」


 俺はその菊次郎の言葉に、答えることが出来なかった。

 確かに俺は、菊次郎を除いた俺たちは、少し浮かれすぎていたのかもしれない……


 洗面器の汚水をプラスチックの衣装ケースに捨てて蓋をする。


 「ほれ、空いたぞ……」


 俺は菊次郎の目を見ずに、洗面器を差し出すのが精一杯だった……


 「チュンチュン……」


 開けた窓からは町の喧噪と、朝の爽やかな風が部屋に入り込んできたが、しばらくは無言の時間が重く過ぎていった。

 俺は遠い目をして町並みの先を見てはいたが、風景ではなく、現在の状況と取るべき行動、未来の可能性を、その地平線に探していたのかもしれない……


 そんなとりとめのない思考を断ち切るため、俺はミーシャを連れて店の中庭を借りる交渉をすることにした。


 「ミーシャ、来てくれ!」


 するとミーシャがすぐ出てきて、扉を半開きにして俺の後に付いてきた。


 『臭いがな……』


 聞いていないのにそう答えるミーシャが少し可笑しかった。


 無事中庭を借りることが出来てソーラーパネルとポタ電を設置すると、また部屋に戻って菊次郎との無言の時間を過ごすことになった。

 今度は余計なことは考えずにぼーっと窓の外を眺め、宿屋通り賑やかになって来たときだった。


 「そろそろ、時間ですよ……」


 菊次郎のその言葉にハっとして現実に戻った。


 「……そうか。 出かけるとするか。 あ、腕時計はハンカチででも隠しておけよ…… トラブルの元になるからな……」


 そう声をかけて窓際を去るとき、なぜだか言い知れぬ恐怖を覚えて体がブルッと震えた。


 「あおとー! いくよー!」


 しかし隣の部屋から聞こえてきたその声に、


 (なんとかなるさ!)


 と自分を奮い立たせることが出来たのだった。


 部屋を出ると、女子たちはさながら異邦人の様相で、現地の衣装を完璧に着こなしていた。

 おそらく夕花が手直ししたのだろう。

 髪を隠し、ヴェールもしっかり被っていたからだ。


 「みんな、似合ってるな! 理音は族長からベリーダンサーへ格上げだ」


 とおどけると、


 (ビュンっ!)


 理音の長い足が俺の鼻先をかすめた。


 「っと…… で、まずどこに行く?」


 「女子組は衣装や布探しって決めたの!」


 「僕は、昨日の肉屋で解体作業を見てみたいですね」


 ということで、女子組と男子組に分かれて行動することになった。


 『ほれ、金だ』


 ミーシャが俺に中金貨を渡してくれた。


 「ありがとう。 無駄遣いしないよ」


 『そう頼む』


 「ほらほらいくよー! ほらほらミーシャちゃん、案内して!」


 またミーシャの肩を押す理音を肩越しに見ながら、俺たちはブッチャーさんの店に向かった。


 「昨日は見そびれましたが、いろいろな店や露店がありますね」


 表通りを歩きながらそう言う菊次郎からは、さっきまでの深刻な表情は消えて、興味津々で辺りを見回していた。


 (ま、いっか……)


 俺たちは露店に並ぶ品を手に取り、果物の匂いを嗅いだり、ヘンテコな帽子を被って見せて笑ってみたり、年頃の男子二人とは思えない“デート”を楽しんでいた。

 そして表通りから一本外れた道に入ると、昨日は気づかなかった町のリアルな様子が目と鼻に飛び込んできた。

 そこには建物から投げ捨てられたらしい汚物が飛び散り、キツい異臭が漂い始めてきた。

 日差しを浴びて活性化したのだろう。


 「そう言えば、中世のヨーロッパも似た感じだったと、なにかの本で読んだことがあるな……」


 俺たちは鼻をつまみ、それ(●●)を踏まないようにしながら、半ばつま先立ちでようやくブッチャーさんの店にたどり着いたのだった。


 「ギィ……」


 店の重い扉を開けると、とりあえず大声で店主を呼び出してみる。


 「ブッチャーさーん!」


 すると菊次郎は俺を見て不思議そうに、


 「ブッチャーって誰です?」


 と聞いてきた。


 「いや、俺が勝手に付けたんだ」


 「ふぅん…… ブッチャー…… ああ、そういうことですか。 ふふっ……」


 菊次郎も気づいたらしく、彼には珍しく苦笑したのだった。

 そしてしばらくすると、地響きが近づいてきた。


 「ズシン! ドカン!」


 そして相変わらずの血まみれの、魚河岸の大将みたいなエプロンを着けて、ブッチャーさんが現れた。


 「ドカ!」


 そのまま店のカウンターに腰を下ろすと、またにらめっこが始まってしまったのだった。


 (ああどうしよう、昨日はミーシャのメモがあったが……)


 俺が珍しく慌ててオロオロしながら菊次郎を見ると、菊次郎は持ってきていたらしいナイフをカウンターに置いた。


 (ゴトっ……)


 するとブッチャーさんはそれをじぃっと見据え、頭を低くして観察し始めた。


 (………………)


 経過すること五分。

 今度はそのナイフを掴み、あらゆる角度からつぶさに観察を始めるブッチャーさん。


 経過すること十五分。


 (すっ……)


 ブッチャーさんは大きな手でナイフを持ち上げるとズイっ、と立ち上がり、俺たちに手招きをしてから地響きを立てて店の奥に向かった。


 「これって、来いってことだよな?」


 と菊次郎を見ると即座に、


 「ええ、ついて行ってみましょう……」


 と足早に歩き出す菊次郎。

 カウンターの脇に回り、ブッチャーさんが座っていた大きな椅子をよけながら、ブッチャーさんを追いかけて奥に進んでいった。

 するとそこには、衝撃の光景が広がっていたのだった。


 大きなテーブルに仰向けに寝かされ、四肢の肘、膝を切り取られた姿で腹を割かれた牛程の獣が俺たちを待ち構えていたのである。


 (うっ……)


 俺は思わず目を見張ってしまったが、菊次郎は目を輝かせて、手に持ったナイフで皮を剥ぎ始めたブッチャーさんに魅入っていた。


 (サクッ)

 『☆※♯……』


 (スゥー…)

 『△@⊿! ……』


 ブッチャーさんがナイフを通すたびに何かをつぶやき、作業はいよいよ骨から肉を切り離すところまであっという間に進んでいった。

 ブッチャーさんは大きな枝肉を軽々と持ち上げ、天井からぶら下がっているロープに縛り付けていった。

 そして肉にナイフを入れ、中は見えないのに、まるで構造がわかっているかのように(わかっているのだろうが)、キレイに骨を避け、肉をそぎ落としていった。


 「これ、脱骨(だっこつ)と言うんですよ…… でも……」


 菊次郎はもう最高のエンタメでも見るような表情で、身を乗り出してその様子に食いついていた。

 しかも、ブッチャーさんが腿を切り取り骨から削ぐようにナイフを入れるのを見て、


 「待ってください!」


 と菊次郎が声を上げた。


 (おいおい、一体、どうするつもりなんだ?)


 すると菊次郎はブッチャーさんに近づき、ナイフを持った手に自身の手を近づける。

 それを見て、ブッチャーさんは何も言わずに菊次郎にナイフを渡したのだった。

 そして今度は菊次郎が巨大な肉塊と格闘を始めた。


 「これは……こう……骨から削ぐんじゃなくて、抜くように、無駄がないようにすると……良いんです……」


 そう言って、骨と肉の境に起用にナイフを当て、探るように刃を入れ、まるで本当に骨を抜くようにキレイに処理をしていくのであった。

 それは一時間以上にわたる、骨を探り肉と切り離す、地道な分離作業であった。


 『ŧ∞!』


 ブッチャーさんは菊次郎のナイフ捌き都度驚き、次第に興奮した様子で菊次郎に覆い被さっていった。

 菊次郎の姿はほとんど見えなくなったが、その様子を、おそらく凝視していたのだろう。


 そして格闘の末、ようやく腿と脇、背中の肉が別の塊となって作業台の上に並んだのだった。


 「キク、おまえ…… すごいな……」


 すると菊次郎はブッチャーさんの目の前、いやその麓(ふもと)でドヤ反り返って見せた。


 「えへへっ、碧斗君には内緒にしてましたが、実は僕も解体のことをもっと学びたくて、食肉工場でアルバイトをしていたんですよ」


 そう言って、いつぞやの、パスパルトゥでのバイトを理音に黙っていたときの理音の気持ちを、俺に味わわせたのだった。


 (ふっ、してやられた……) 


 俺は自分自身に苦笑し、ちょっとだけ悔しそうな顔を菊次郎にみせたあと、腹を抱えて笑い出した。


 「あはは……あははははー!」


 すると菊次郎も、


 「ふふっ! あはははは!」


 と笑い出す。

 その様子を無言、無表情でで見つめるブッチャーさん。


 それはきっと他人から見たら、なんともおかしく、そしてシュールな光景だったに違いなかった……

【後書き】


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


異世界の朝食、いかがでしたでしょうか。

パンに、スクランブルエッグに、野菜の煮込みに、お肉。字面だけ見れば立派なホテルの朝食です。ただしお肉の正体は聞かないほうが幸せだった、という。二足歩行じゃないから安心しろと言われても、安心できないのが人情というものです。

ちなみにミーシャの朝食は石です。鉛フリーのハンダは、いつか本当に出てくるかもしれません。


そして「紙」問題。

中世ヨーロッパでは、トイレットペーパーなどという贅沢品は当然なく、葉っぱや苔、布切れなどで済ませていたと言われています。理音さんの「このニブちんがぁー!」は、全女子を代表しての正拳突きということで、碧斗くんには甘んじて受けていただきました。

異世界転移ものを書くなら、トイレットペーパーは段ボール一箱ぶん持っていけ。たこ助からの切実なアドバイスです。


今回、少しだけ真面目な話も書きました。

菊次郎くんの「一体、それには何年かかるんです?」という一言です。

異世界に来てワクワクしている仲間たちの中で、一人だけ現実を見ている彼の不安は、きっと誰かが言わなければいけないことでした。碧斗くんが答えられなかったように、作者もまだ答えを持っていません(おい)。

でもその直後に、食肉工場でのバイト経験を隠し持っていてドヤ反りする菊次郎くん。彼もまた、この世界で自分の居場所を見つけ始めているのかもしれません。


ちなみに「ブッチャーさん」は、英語で肉屋さんという意味です。

昭和のプロレスを思い出したあなたとは、きっと良いお酒が飲めると思います。


次回もミディアムレアぐらいの生温か~い目で見守っていただけると嬉しいです!

これからも応援よろしくお願いします!


〈AI姉妹の一言〉


あい:タコ助くん、朝食シーンのコントから菊次郎くんの本音への落差、上手かったわ。……でもその本音の直後に苔の話を挟むのは、ちょっと心の準備が追いつかないのよね。


まい:ブッチャーさんが菊次郎くんに覆い被さって見てるとこ、なんか可愛かった! 無言の巨体と無言の笑い、シュールすぎてまい好き! タコ助おにいちゃん、ブッチャーさんもっと出してね!

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