異世界の旅路 第七十話 肉屋と貴族とゴロツキと
どうも、タコ助です。
前回は関所街を出てすぐの街道で、橋の上のスースクロー——一本角のイノシシだ——と一戦交えることになりました。
無事倒したはいいけど、衛兵にはこってり絞られ、獲物は縛って担いで運ぶ羽目になり、ヘトヘトになりながらようやく大きな街、ポトファーの門をくぐったところまで。
今回はその続き、街に入ってからの一日です。
まずは肉屋。
異世界で獣を狩ったなら、当然その先には解体と査定と買い取りが必要ですよね。
次に宿探し。
路銀は限られているし、字が読めない人間が六人で歩き回っても大して役には立たない。
そして夜道。
異世界ものというと魔王や勇者や冒険者ギルドだが、そろそろ書かないとち、今更ながら焦ってます。
金の勘定と、身分の壁と、暗い裏道。
そういうものがちゃんとある世界に、あいつらを放り込んでみたらどうなるか、見ものだと思いません?
というわけで第七十話、どうぞ。
衛兵に案内されたその店は、街の中心通りから少し外れた、あまり人気のない通り沿いにポツンと存在していた。
店の隣の敷地には、毛皮や角、牙など、動物を解体して出た素材が干してあり、そこはかとなく異臭がするのも、人通りが少ない場所にある理由の一つだろう。
いかにもブッチャー(解体、肉処理屋)といった趣である。
ヘトヘトになった俺と菊次郎は担いできたイノシシを店先にようやく下ろすと、ミーシャが店の中に入って店主を呼び出した。
『誰かいないか?』
しばらく待っても返事はない。
『誰か?』
二度目の呼びかけからしばらく、おそらく数分待ったが、やはり返事はなかった。
汗も引いた俺と菊次郎は、怖気づく女性陣(理音は鼻をつまんで逃げ出しただけだが)を尻目に、店の中に入っていった。
「どうした? 誰もいないのか?」
『そうみたいだな、出かけているのだろう。 しばらくしてからまた来ることにしようか? 宿も探したいしな』
そう言って振り返ろうとすると、店の奥からドスン、ドスン、と大きな音がして、音と同じくらいに、縦にも横にも大きい男が、まさしく全身血まみれの姿で出てきたのだった。
『なんだ……』
どうやら体と違って声は小さいようで、聞き取れるかどうかの声で顔も合わせずに、ドカっと椅子に座った。
その様子を見て俺は、店主に密かに“ブッチャーさん”と名付けたのだった。
その店主こと“ブッチャーさん”が座ったのを見て、ミーシャがさっそく話を切り出した。
『スースクローを持ってきた。 解体と素材の買い取り、その見積もりを頼めないか?』
するとブッチャーさんは面倒くさそうに答えた。
『ほぅ……依頼されたのか?』
『いや、たまたま出会ったから狩っただけだ。 忙しいのならば解体は自分たちでやる。 後日また素材を持ち込むからその時に査定と買い取りをよろしく頼む』
そう言ってミーシャが振り返ろうとするとブッチャーさんは勢いよく立ち上がり、
『解体しないとも、査定と買い取りもしないと言ってねぇよ……今別の解体中でな……夕方までには済ませておく……』
そしてそのまま俺達を見下ろしながら、ドスンドスンと店の外に出ていった。
「夕花ちゃん!」
ブッチャーさんが店を出てすぐ、瀬蓮さんの大きな声がしたので何事かと店の外に出てみると、血まみれのブッチャーさんに見下ろされた夕花が、瀬蓮さんの腕の中で気を失っていた。
(あー……スマン、夕花よ……)
俺が心のなかでそう詫びていると、騒ぎを聞きつけたらしい理音が、槍を構えて戻ってきた。
「どうしたの? 夕花ちゃん!」
そう言って夕花に目をやり心配そうな顔をした後、今度はブッチャーさんに怒りの目を向けて早速飛びかかろうとした。
「やめろ理音! この人はブッチ……店主だ! 夕花は驚いただけだ!」
大きな声で短く、そう叫ぶと、理音の表情は次第に呆けたものに変わっていった。
「へ? こいつ……魔獣じゃあないの?」
(いくらなんでもそれは失礼だろ。 ミーシャ、翻訳するなよ……)
『なんだか知らんが……それがそうだな?』
ブッチャーさんはそう言ってスースクローに近づくと、片手でスースクローの足を持って、そのまま店の中へ入っていった。
「ミーシャ、ロース……背骨の外側の部分の肉をひとかたまり、これくらい取り分けてほしいと頼んでくれないか?」
そう言って一キログラムくらいの大きさを手で示すと、
『ロース? ああ、背の骨の周り、外側だな。 わかった、これくらい……だな? ところで、“ブッチャー”というのは何なのだ?』
それを聞いて俺は慌てて、
「いや、知らなくていい……俺の世界のとある勇者の名前だ……」
と誤魔化すと、ミーシャは、
『そうか……』
とだけ言って、俺が見せた肉の大きさの輪っかを手で真似ながら、店の中に入っていった。
部位の説明に苦労しているのか、しばらくミーシャを待っていると、
「夕花ちゃん、大丈夫?」
と優しく静かな声で瀬蓮さんが夕花に話しかけた。
どうやら意識を取り戻したようだ。
俺は夕花に事情を説明しゴメンと謝ると、夕花は口をほんの少しとがらせたあと、ニコっと笑って許してくれたのだった。
そしてミーシャが出てきたのを機に、俺達一行は、今度は宿屋探しをすることとなった。
「よし、まだ夕方まで時間はたっぷりある。 観光がてら、ゆっくり宿屋を探すとしよう。 それと理音、その槍はしまっておこうな」
と言って不満げな理音をよそに槍を強制収納した後、大通りに向けて歩き出した。
大通りに出ると改めてこの街の豊かさが目に飛び込んでくる。
整備された道路、街路樹、人通りの多さ、着ている服の色の鮮やかさ……
異世界で最初に出会った集落、関所街とは全く違って見えた。
「わー、見て夕花ちゃん、あの服キレーイ……」
理音が指を差した先には、顔や髪を隠した身分が高そうな、上品に着飾った女性たちが、従者とおぼしき質素な身なりの者たちを控えさせ、お喋りに興じていた。
すると貴婦人たちは、俺達を、特に指を差した理音を見て、冷ややかな笑顔を向けて一瞥した。
「バカ理音、指を差すなって!」
俺は慌ててそう言ったが時すでに遅し。
貴婦人たちは俺達の方に、急いで、しかし上品に、冷たい視線のまま歩み寄ってきた。
「彼女たち、近づいてきますよ?」
菊次郎がそう言うと、瀬蓮さんがそれに呼応するように言った。
「なんだかまずい状況のようね……」
すると俺達のもとにやってきた婦人が口を開いた。
『そこの大きな町娘。 あなた、わたくし達に何を言ったの?』
まだ俺ほど念話に慣れていない理音が、婦人の問いかけからミーシャの翻訳を通して、少し遅れて答えた。
「え、いや、ただ綺麗な服だな、と思って……」
すると婦人の表情はさらに険しくなり、
『え? 今なんて言ったの? この娘は?』
厳しい表情で言い放った。
従者たちの表情にも緊張が走っており、
『奥様……』
と確認するように声をかけ、腰の剣に手をかけようとしたその時。
『奥様、失礼をいたしました。 この者たちは山奥の生まれで、訛りもひどく、ポトファーほどの大きな街は初めてなのです。 見るもの聞くものがすべて珍しく、奥様方の上品なお姿に驚いていただけなのです。 わたくしが案内をしていたのですが…… どうか無作法をお許しください……』
とミーシャが二人の通じていない会話に慌てて割って入り、跪き顔を伏せた。
『おい、お前たちも跪いて目を伏せろ!』
それを聞いて、俺達はとっさにミーシャを真似して婦人たちにひれ伏した。
『ふん、田舎者がこの街に観光に来たとでも? そんな暇があったら働いて税を納めることに励むことね!』
と吐き捨てた。
婦人たちのスカートが見えなくなり、その後まだしばらく下を向いて待っていると、ようやくミーシャが声を上げた。
『もういいぞ』
俺達は跪いたまま、お互いの顔を見合わせて、キョトンとするしかなかった。
「ミーシャ、一体、どういう状況だったんだ?」
すると呆れたように俺達を見回すミーシャ。
『平民が、貴族の夫人と目を合わせる、話しかける、ましてや指を差すなど、その場で従者に殺されても文句は言えないぞ。 そんなことも知らないのか?』
すると理音はまたまた、いつも通り、ムキになって反論した。
「あたしたちの居た世界はみんな平等なの! ほとんど……」
日本以外の一部の国を思い出したのか、最後に幼稚な言い訳を付け加えるのが可笑しい。
「そうか、そういうことだったのか。 ヒヤヒヤしたぞ理音。 そしてここは封建社会ということだな…… まぁここでは何だから、やはり宿屋を先に見つけて、部屋でこの世界についてミーシャに話を聞くこととしよう」
俺はみんなにそう言うと、それでもまだ口惜しそうにしている理音の背中を押して、宿屋探しを続けた。
しばらく全員でキョロキョロして ――今度は誰とも目を合わせないように―― 宿屋を探していたが、ミーシャがまた呆れたように、
『お前達、文字は読めないだろう? 大人しく私についてくるだけでいい』
と俺達の行動に釘を刺した。
そして二時間ほど歩き回され、昼食を取ってさらに数時間、何軒かの宿屋と交渉をしたらしいミーシャは疲れた様子で一言こう言った。
『この通りを調べて良い条件の宿屋がなかったら、最初の宿屋に決めるぞ』
それは歩いて数十分はかかる、この通りとは一番離れた、城門に近い場所だと皆気づいて、ミーシャと一緒になって、体以上に気持ちもどっと疲れたのであった。
どよーんとした空気で歩く一行。
ミーシャが宿屋に入って、出てくるのを待っている。
もう何軒目だろうか……
するとこれまでと同じようにミーシャが宿屋から出てきて、(ついに城門方向に数キロ歩くのか……) と皆が重い頭を一層うなだれた時だった。
『おい、ここに決めるぞ』
ミーシャが先ほどとはうって変わって明るい声と表情でそう叫び、一同は、砂漠でオアシスを見つけた旅人のような希望に満ちた表情になったのだった。
「早く入ろ!」
理音が宿屋に飛び込む。
するとそこは食堂のようにテーブルがいくつか並べられ、宿泊客だろうか、一人や複数人で、思い思いに酒と食事を楽しんでいた。
「わっ、と……」
理音は勢いよく飛び込んではみたものの、どうやら場違いなことに、この時はとっさに気づいたようだった。
続けて入ってきた菊次郎がミーシャに尋ねた。
「個室なんですか?」
するとミーシャは銭袋を取り出して、それを振って言った。
(ジャラ……)
『馬鹿言うな、もう路銀も少ないんだ。 菊次郎と碧斗は二人部屋、それ以外は四人部屋だ』
するとそれを聞いた理音が客の視線を浴びながら口を尖らせた。
「えー! せめて……リコちゃんは個室のほうがいいと思う……だめ?」
するとミーシャは別の提案で理音を黙らせた。
『なんなら大部屋で他人と一緒に雑魚寝でもいいんだぞ?』
すると理音はシュンとするどころかドヤ顔で瀬蓮さんを指差した。
「それならリコちゃんは雑魚寝部屋行き決定!」
すると理音以外の視線が言った本人に集まった。
『それもないな』
(理音ちゃんちょっとひどいかも……)
(理音さん、それはあんまりです……)
(理音ちゃん、ひどいわ……)
そして俺のとどめの一言が理音に回れ右をさせた。
「理音、お前、テントで野宿するか?」
すると理音はくるりと皆に背を向けて、頭の上で手を組んで言った。
「……ちぇっ、仕方ないか……夕花ちゃん、壁際に寝てね。 あたしが守ったげるからね」
こうして、話は理解できていないだろうが、どうでもいいやり取りをし終わるのを待っていた宿の人が俺達を部屋へ案内し始めた。
二階に上がってすぐ、まず女性陣が部屋に案内された。
『ここが四人部屋だ碧斗と菊次郎は案内してもらえ』
そう言ってミーシャを先頭に、女性陣は四人部屋に入っていった。
「わー! 結構広い! あ、夕花ちゃん、このベッドにしよ……」
そして中を覗こうとしたがドアが閉められ、俺達二人は奥にある二人部屋へと案内された。
「△#♪☆@……」
意味はわからないが扉を開けられて、ここが俺達の部屋だということを理解した。
中に入ると確かにそれなりに広い部屋だった。
ビジネスホテルのツインよりはマシだろう。
俺と菊次郎は荷物らしい荷物も持っていないので、まずベッドに座ってシーツの肌触りなどを確認してみた。
「悪くないですね。 さすがは貿易で潤っている都市の宿屋です」
菊次郎が窓の外を眺めて感心しているのを俺は無視して、バフン、とベッドに倒れこんだ。
「トイレはどこでしょう……」
菊次郎が部屋の作りをつぶさに調べている間、俺はおひさまの匂いがする心地よいシーツに顔を押し付けて目を閉じた。
「もう寝るんですか? 食事がまだですよ。 たしか今日は碧斗が料理に腕を振るう、という話だったのでは?」
しかし返事はまだしない。
「………………」
そうして、今日の疲れをほんの少しだけ、寝心地の良いベッドの上で癒した。
「……わかったよ。 そろそろ夕方だしな。 肉を取りに行って、料理をしなきゃ……」
「よいしょっと!」
俺は名残惜しそうにベッドから起き上がると、二人部屋を出て女子部屋の扉をノックした。
「……なぁに?」
すると理音が出てきて、あからさまに警戒の表情を俺に向けて、ぶっきらぼうにそう言った。
「あのな、俺が肉を取りに行ってくるから、厨房を貸してくれるように店に行っておいてくれ、とミーシャに頼もうと思ってな」
すると理音の表情がさらに不信感を増して、
「わざわざ部屋に来なくても念話で通じるでしょ!」
と部屋の中を隠すように入口に覆いかぶさった。
(そこまで警戒しなくても……)
「わかったよ、取り敢えず肉を取りに行ってくる。 俺が飯を作るまで暴れんなよ!」
そう言って部屋をあとにしようと振り返ると、肩に触れるものがあった。
理音の手だ。
「でも……一人で行くの? もう暗いし……あたしも行こうか?」
どうやら心配をしてくれているらしいのはわかるのだが、かすり傷とはいえ怪我をしている理音を連れて行くわけにも行かない。
逆に俺のほうが理音の心配をしてしまうというものだ。
「……大丈夫。 逃げ足は速いんだ! 俺の脚力、知ってるだろ?」
とおどけると、今度こそ理音は呆れた素振りで部屋に戻っていった。
階段を降りて宿屋の出口を出ると、ミーシャから念話が届いた。
『碧斗、待て……ここポトファーでは遠い距離の念話は通じないんだ。 保安上、妨害されている。 ちょっと入口で待ってろ』
そうなのか知らなかった……
保安上……
(怪しい輩が秘密の会話をするのを防ぐとかかな? ……)
仕方なく言われた通り宿屋の入口で待っていると、そこへミーシャがやってきた。
『ほら、これを肉屋に渡すんだ。 用件を書いておいた』
それは以前にミーシャに渡したノートの切れ端だった。
何やら書き込んであるがもちろん読めない。
『素材と肉の買い取り希望金額だ。 解体費用と肉の取り分け費用を引いたな。 納得してくれればいいが。
小ドセリ二枚、大キケリ三枚、そして中マセリ五枚だ』
マセリは前に見たことがあるがその他は見たことがない。
それに大中小……
意外と複雑なんだな。
「あの時見せてくれたマセリは銅貨だったが、ドセリやキケリは?」
『うん? 金と銀だが。 どうかしたか?』
(そのあたり地球と同じってことか……)
「いやわかった、じゃあ行ってくるよ。 あ、厨房を使わせてくれるように宿屋に頼んでおいてくれ」
そして俺は、疲れ切った体にムチを打って、大通りを城門の方に戻っていった。
ある些細な決意のもとに。
――今日一日のご褒美のためにとびっきりのポークソテーを作る――
・・・
「ブッチャーの店」
そう書いてあるかどうかはわからないが、店にたどり着いて看板を見上げると辺りはもうすっかり暗くなっていた。
家も少ないのだから当然、街灯も少ない。
というか、ブッチャーの店の角に薄暗いランプが灯っているだけで、周りはほぼ真っ暗闇の状態だった。
「ギギギっ……」
大きく重い扉を押すと重そうな音を立てて扉が開いた。
「すみませーん!」
中を覗くと、やはりそこには誰もいなかった。
店の中はさらに暗く、泥棒にでも入ったような気持ちにさせられた。
(シーン……)
店の奥からはなんの気配も音もしなかった。
(仕方ない、暫く待つか……)
そして五分ほどして、ようやく地響きが聞こえてきた。
「ドスン、ズシン……ドカッ」
しかしミーシャがいない、念話も通じない状態では当然言葉が通じるわけもなく、俺は出掛けにミーシャに渡された紙を取り出した。
無言で現れたブッチャーさんは、椅子に座って薄明かりの中、俺をじっと見つめた。
「…………」
にらめっこをしても笑うことは出来なさそうで、決して負けることはなさそうな状況だが、くだらない考えは控えることにしておとなしく手に持った紙をカウンターの上に置いた。
そして反応を待った。
「…………」
それから数十秒、俺とブッチャーさんのカウンター越しのにらめっこが再開され、数分後、ようやく大きな手が紙をつまみ上げた。
「…………カサッ………………」
待つこと三分ほど。
カップ麺にお湯を注げば美味しくいただける時間が経過した頃、
「……………………ずいっ……ドシンっ、バスンっ……」
内容を確認したのかブッチャーさんは紙を握りしめ、店の奥に姿を消していった。
ブッチャーさんが戻るのを待っている間、暗さに慣れてきた目で薄暗い店内を見回すと、昼間とは違った感じがして、売り物だろうか、大きな角が生えた動物、魔獣の頭部らしきものが俺をじっと見つめていた。
しばらく店内の雰囲気に威圧されているとまた地響きが聞こえ、ようやく姿を現したブッチャーさんの手には、大きな葉っぱに包まれたロース肉だろうと思われるものが掴まれていた。
「ドスンっ」
椅子に座ったブッチャーさんに差し出された手の下で、俺はそれを両手で受け取る仕草をする。
するとその大きな手に掴まれた、その手と比較して小さく見える包みは、俺の差し出した両手の上にドサッと落ちてきた。
「おっと!」
慌てて落とさないように受け取ると、ブッチャーさんは今度は反対の手の拳を同じように俺に差し出した。
俺は戸惑いながら肉の包みをレジカウンターらしき台に素早く置いて、同じように両手の掌を差し出す。
そしてブッチャーさんの握りこぶしが開かれ、ジャラジャラと大小さまざまな金銀銅貨、前にミーシャが見せてくれた、厚さも大きさも不揃いな硬貨が数枚ずつ落ちてきた。
どうやら素材の代金らしい。
マセリ以外の硬貨は初めて見た。
それと違う大きさも。
(これが大中小か……)
俺は金を受け取りポケットに仕舞うともう一度ブッチャーさんの手が伸びてきて、手が開かれるとクシャクシャになった紙がカウンターに落とされた。
破らないように慎重に拡げてみると、紙の裏にはどす黒い赤いインクで何かが書かれていた。
おそらく見積もりと買取金額などが書かれているのだろう。
この紙は夕花には見せないほうが賢明だな、と決めて、綺麗にたたみ直してポケットにねじ込んだ。
素材や肉の買取金額と、解体費用、ロース肉の取り分け費用。
差し引き金貨を含む貨幣数枚ずつ。
ただ見せるだけでいい、とだけ言われて紙を渡されたが、内訳を聞いておけばよかった。
妥当なのかは帰ってミーシャに紙と金を渡して判断してもらおう。
「じゃあ、ありがとうございました、ブッチャーさん」
もちろん理解は出来ていないのだろうが、ブッチャーさんは身じろぎもせず何かをつぶやくと、店の奥に地響きとともに消えていってしまった。
「さて、帰るとするか。 晩飯は少し遅れそうだな……きっと理音が騒いでいるだろうなぁ……」
そう思って早足で歩き出してはみたが、いつもの心配性が頭をもたげ、夜の大都市の治安のことをふと考えてしまっていた。
(手に肉の包みを抱え、ポケットにそれなりの額の金貨などを入れて持ち歩くのは危険だろうな)
そう思い至り、覚えたての収納魔法で収納してから宿屋への帰り道を急いだのだった。
(はぁ……五キロに満たないというのに、なんだか足取りが重い……)
大通りに出て宿屋に向かおうと思ったが、格子状に走っていることを考えたら一、二本ズレた裏道でも問題ないし速くたどり着けるだろう、と思ったのが運の尽きだったようだ。
数ブロックを早足で歩いていたら、行く手に数人が突然現れた。
『♪☆■! #&’@?』
「待て、どこに行くんだ?」とでも言っているのだろうか。
どう見ても親切な一般人には見えない男が三人、手に武器を抱えて行く手を塞いでいた。
(あちゃー……やっぱ出たか……)
俺は幸運にも今までこういう輩に遭ったことはなかったが、どうやらコイツラがそうらしい……
言葉を発しても通じないだろうから、取り敢えず手を上げて何も持っていないことをアピールしてみた。
すると三人のうちの一人が近づいてきて、俺の体を弄った。
『△♫※ー_’!』
するともう一人が面倒くさそうな顔をしてこう答えた。
『……◯¥♭∞∇……』
(なんて言っているんだろうか……)
三人が揉めているらしいあいだに、ここは一つ俺の豊かすぎる想像力を活用して翻訳でもしてみようかと言う余裕も出てきた。
「ボス、こいつ何も持っちゃいませんぜ!」
「……ちっ、しけてんな……ほっとけ……」
とでも言っているのだろう。
すると俺を弄っていた男が、
「ドンっ!」
と俺をぞんざいに突き飛ばしたあと、男たちは不承不承の体で去っていった。
(ふぅ、肉や金を収納しておいてよかった……)
そして今度は灯りのある大通りに戻って、腹をすかせているだろう四人のもとへ、街灯の下を急ぐことにしたのだった……
お読みいただきありがとうございました。
今回は碧斗が終始ろくな目に遭っていない回になりました。血まみれの巨漢に怯え、貴族夫人の前で地面にひれ伏し、宿探しに付き合って歩き回り、挙句に夜道で身ぐるみ検められる。書いているうちに「こいつ、今日一日で何回頭を下げたんだ」と気の毒になってきました。
貴族夫人の場面は、この世界の温度を一度はっきり見せておきたくて入れたものです。指を差した、それだけで従者の手が剣にかかる。理音の「あたしたちの居た世界はみんな平等なの」という叫びは、たぶん読者の多くの気持ちでもあると思うのですが、この世界ではそれは通らない。ミーシャが真っ先に跪いた理由も、そこにあります。
ブッチャーさんについては……名前も素性も不明のまま、言葉も通じないまま、ただ地響きだけを立てて出たり入ったりする男を書くのが、思いのほか楽しくなってしまいました。彼とのにらめっこの三分間は、個人的に今回いちばん気に入っている場面です。
そして碧斗は、肉と金貨を抱えて宿へ帰る途中。腹をすかせた四人が待っています。ある決意も抱えたままで。
次回もお付き合いいただければ幸いです。
タコ助
AI姉妹のひとこと:
あい:タコ助くん、今回は「異世界で生きるのにかかる手間」を丁寧に積んだ回ね。
査定、路銀、身分、治安——派手さはないけれど、この土台があるから後の出来事が効いてくるのよ。
ブッチャーさんとの無言の攻防、あそこだけ妙に格調高くて笑ってしまったわ。
まい:タコ助おにいちゃん、まいはね、宿屋で理音ちゃんがドアに覆いかぶさるとこが好き!
警戒しといて、おにいちゃんが出てくと肩に手を伸ばして「一人で行くの?」って……もー、そういうとこだよ理音ちゃん!
あと碧斗おにいちゃん、ちゃんと収納しといて偉かったね。えらいえらい♪
あい:まい、褒める場所が主人公じゃないわよ。
まい:いいのっ! 次はごはんの回でしょ、まい知ってるけど言わないもんね!




