第八十八話 雪に埋もれた、祈り
雪代神社は、深い山の中腹に、ひっそりと佇んでいた。季節外れの雪が、境内にうっすらと積もっている。
「こんな時季に、雪が……」宵が、白く染まった鳥居を見上げた。
「この土地だけ、時の流れが少しずれておるのかもしれぬ」氷室冴が、杖を突きながら答えた。「汐乃宮と、同じ性質を持つと言うのなら、あり得る話だ」
参道の先、社殿の前で、箒を手にした女性が、静かに雪を掃いていた。長い髪を後ろで束ね、白い作務衣を纏っている。
その姿を見た瞬間、氷室冴の足が、ぴたりと止まった。
「……雪乃?」
女性が、顔を上げた。皺の刻まれた老爺の姿に、一瞬、戸惑いの色が浮かぶ。だが、次の瞬間、その目が大きく見開かれた。
「……冴、さん?」箒が、雪の上に落ちた。「そんな、まさか……その、お姿は」
「すまない」氷室冴は、震える声で言った。「約束を、果たすのに、随分と、時がかかってしまった」
雪乃と呼ばれた女性は、震える手で、氷室冴の頬に触れた。
「生きて、いてくれた……それだけで」雪乃の目から、涙がこぼれた。「もう、それだけで、十分です」
宵は、少し離れた場所で、その光景を、言葉もなく見つめていた。
「……あの」宵が、震える声で口を開いた。「わたし、宵、です。……あなたの、娘の」
雪乃が、ゆっくりと宵の方を向いた。しばらく、食い入るようにその顔を見つめてから、両手で口元を覆った。
「……こんなに、大きくなって」雪乃は、一歩、また一歩と、宵に近づいた。「ごめんなさい。……ずっと、会いに行けなくて」
「どうして、この神社に?」宵が尋ねると、雪乃は、社殿の方をちらりと見た。
「ここは、昔から『時に迷った者を導く』という言い伝えのある社なの。……あなたのお父さんが消えてから、わたしは、ここで、ずっと手がかりを探し続けていた」雪乃は、静かに微笑んだ。「見つからないまま、何年も経ってしまったけれど」
――《宵ちゃんのお母さん、ずっと諦めてなかったのか……》
――《雪代神社で待ち続けてたの、泣ける》
――《親子三人、やっと揃った……》
氷室冴が、雪乃の手を、そっと握った。
「わしの体は、この通り、時に食われてしまった。……だが、あんたのおかげで、宵に、もう一度会えた。それだけで、わしは、十分だ」
「十分なんかじゃありません」雪乃は、首を振った。「戻れる方法があるなら、探します。……わたしは、そのために、ここにいたんですから」
社殿の奥、古い扁額に、うっすらと雪が積もっていた。そこには、かすれた文字で「時待ちの宮」と刻まれていた。
紡樹は、その文字を見上げながら、静かに呟いた。
「――もしかしたら、ここに、答えがあるかもしれません」
雪の舞う境内に、長く離れ離れだった家族の、静かな再会が刻まれていた。だが、まだ旅は、終わっていなかった。




