第八十六話 常宮が、変わる日
白い鳥居を幾重にもくぐった先、常宮の本殿前に、結樹は静かに座らされていた。傍らには、紡樹、宵、葵の姿がある。正面には、大宮司と、居並ぶ白装束の一団。
「松田結樹」大宮司の声が、静かに響いた。「そなたが、汐乃宮にて、常宮の部隊を無力化したという記録、相違ないな」
「はい」結樹は、まっすぐに顔を上げた。「相違ありません」
「動機を、述べよ」
「消された者たちの声を、守るためです」結樹は、静かに、しかしはっきりと答えた。「常宮の部隊は、その声ごと、消し去ろうとしていました。……僕は、それを、見過ごせなかった」
居並ぶ白装束の一団から、微かなざわめきが起こった。
「証言する者は、前へ」大宮司が言った。
紡樹が、真っ先に一歩踏み出した。
「僕から、話させてください」紡樹は、大宮司をまっすぐに見た。「結樹のやり方は、たしかに乱暴でした。でも、彼が守ろうとしたものは、間違ってなかった。……温羅さんも、土蜘蛛さんも、将門さんも、人柱の霊も。誰ひとり、力ずくで従わせられたわけじゃありません。全員、対話で分かり合えました」
「対話で、か」大宮司が、静かに問い返した。
「はい」紡樹は頷いた。「彼らは、ずっと、歴史から消された悲しみを、誰かに覚えていてほしかっただけなんです。結樹は、それを、誰よりも早く理解していた。……方法は、性急すぎたかもしれません。でも、心は、間違ってなかった」
宵が、一歩前に出た。その声には、微かな震えがあった。
「わたしからも、お願いします」宵は、大宮司を見据えた。「父――氷室冴の聴聞は、対話ではなく、裁きだけで終わりました。その結果、父は、あんな姿にされてしまった」宵の拳が、固く握られる。「今度も、同じことを繰り返すんですか。……常宮は、本当に、何も変わらないんですか」
大宮司は、しばらく、目を閉じたまま黙っていた。
「……葵よ」大宮司が、静かに口を開いた。「そなたは、この場に、何を求めて立っておる」
葵が、一歩前に出た。
「俺は、常宮の職務として、ずっと彼らを遠くから見てきました」葵は、拳を握った。「その中で、由緒を正しく継ぐとは何か、何度も分からなくなりました。……型通りに裁くことが、本当に正しいことなのか。今なら、はっきり言えます。違います」
――《証言の流れ、完全に法廷ものだ……》
――《大宮司様、ちゃんと聞いてくれてる感じがする》
――《氷室冴さんの件、ここで再検証してほしい》
長い沈黙の後、大宮司は、静かに目を開いた。
「松田結樹」
「はい」
「そなたの行いは、常宮の規範に照らせば、罰せられて然るべきものである。……だが」大宮司は、続けた。「規範そのものが、間違っていたという可能性を、今、わしは初めて、真剣に考えておる」
その場にいた誰もが、息を呑んだ。
「そなたに、謹慎を命じる。……ただし、幽閉ではない。語り部衆と機構、そして常宮の間を取り持つ、橋渡し役としての謹慎だ。……それが、そなたの、これからの罰であり、役目だ」
結樹は、しばらく黙り込んでから、深く頭を下げた。
「……承知しました」
「そして」大宮司は、宵の方を見た。「宵よ。……そなたの父の一件、今一度、記録を洗い直す。約束は、しよう。すぐにとは言えぬが……常宮は、変わらねばならぬ。その言葉に、嘘はなかったつもりだ」
宵の目に、涙が滲んだ。
「……ありがとう、ございます」
風が、白い鳥居の間を、静かに吹き抜けていった。長い旅の、また新しいひとつの扉が、静かに開かれようとしていた。




