第七十八話 不動の盾と、百鬼の声
温羅と将門、ふたつの決着を見届けた吽形は、静かに一歩、前へと進み出た。向き合う先には、幾重にも重なる声を纏った、輪郭の定まらぬ影――土蜘蛛が立っていた。
「……お主が、絶対防御の使い手か」土蜘蛛の声が、幾重にも重なりながら響いた。「ひとりで、そこに立ち続ける覚悟……我らにも、覚えがある」
「あなたたちのことは、話に聞いています」吽形は、感情の読めない声で静かに答えた。「大勢の声が、ひとつの姿を成している。……不思議な由緒です」
「我らは、ひとりでは、生き延びられなんだ」土蜘蛛の輪郭が、微かに揺れた。「大和の言葉に従わず、山に隠れ、声を重ね、姿を重ね……そうして辛うじて、消されずに済んだ。……そう、伝えられておるのだ」
「――征くぞ。我らの数、思い知るがよい」
土蜘蛛の体から、無数の影が一斉に分かれ出た。ひとつひとつが土蜘蛛そのものの姿を持ち、四方八方から吽形へと殺到する。
「――百鬼の蠢動」
爪、牙、幾本もの手足が、同時に吽形へ襲いかかった。だが吽形は動かない。両腕を軽く交差させ、その場に立ち続けるだけだった。
「――退かぬ」
金と紫の光の壁が、吽形の周囲に立ち上がる。無数の影の爪が、その壁に次々と弾かれ、砕けて消えていく。何十、何百という猛攻が押し寄せても、壁は揺るがなかった。
――《すご……一人で百体近く相手してる》
――《さすが絶対防御》
――《土蜘蛛さん、数で押しても崩せないのか》
土蜘蛛の影たちが、一度、後方へ引いた。重なり合う声が、苛立ち(いらだち)と戸惑いを滲ませる。
「……崩れぬ、というのか。我らの数を以てしても」
「数の勝負なら、たしかに僕は敵いません」吽形は静かに答えた。「でも、僕の守りは、僕ひとりのためのものじゃない」
土蜘蛛の輪郭が、わずかに揺らいだ。
「――どういう、意味だ」
「昔、ある滝で、僕は教わりました。……守りの届く範囲は、この身ひとつじゃない。隣にいる誰かごと、包み込めるものだって」吽形の瞳に、初めて強い光が宿った。「あなたたちが、声を重ねて、ひとつの姿になって生き延びたように――僕も、ひとりで立っているようで、本当はずっと、誰かと一緒に立っていたんです」
「……」
「あなたたちの声も、その形も。……僕はちゃんと、覚えました」
土蜘蛛の重なり合う声が、一瞬、静まり返った。
「……面白い物言いをする。……悪くは、ない」
土蜘蛛の影が、再び一斉に襲いかかる。今度は先ほどよりも速く、鋭く。壁は依然として揺るがず、次々と打ち寄せる影を受け止め続ける。金と紫の光が、次第に眩さを増していく。
「――ここまで受け止めた分は、確かに、僕の力になっています」吽形が、静かに一歩を踏み出した。初めて見せる前進だった。「返させてもらいます」
光の壁が、内側から爆ぜるように広がった。受け止めた衝撃のすべてが、ひとつの奔流となって、土蜘蛛の影たちへと押し返される。
「――不動の理。これで、終わりです」
閃光と共に、無数の影が四散し、再びひとつの姿へと収束していく。土蜘蛛は、片膝をつきながらも、その姿を保ち続けていた。
――《決着ついたか……!?》
――《吽形くん、ずっと喋らなかったのに最後めちゃくちゃ喋った》
――《かっこよすぎる……》
「……見事だ」土蜘蛛の声が、重なりながらも、どこか穏やかに響いた。「我らの数を受け止め、なお、押し返すか。……お主の覚悟、確かに見た」
「あなたたちの声も、忘れません」吽形は、光の壁を静かに解きながら答えた。
「――我らのことを、覚えていてくれるか」
「はい。……僕らのやり方は違いますが、誰かと共に在りたいという気持ちは、同じだと思うので」
土蜘蛛の輪郭が、ふっと和らいだ。
「……良き一戦であった。……そう、確かに、伝えておこう」
風が、二上山の平地を吹き抜けていった。三つ目の決着が、静かに刻まれた。少し離れた場所では、幻を得意とする稲荷と、輪郭の定まらぬ人柱の霊が、互いに、静かに向き合っていた。




