第七十話 決戦の前に
決戦の準備として、紡樹たちは由緒管理機構に集まっていた。
「鏑木さん」紡樹はふと、ずっと気になっていたことを尋ねた。「最初の頃から、僕の配信を見てくれてましたよね。……あれって、どうしてだったんですか」
鏑木は、少し驚いた顔をした後、静かに微笑んだ。
「……実は、わたしの祖母も、由緒に関わる仕事をしていたんです。ある由緒を守れず、失ってしまったことをずっと悔いていました。だから、由緒を正しく紐解こうとする紡樹さんの配信に、他人事とは思えなかったんです」
「そうだったんですね」
「今回のことで、少しは、祖母の無念も晴らせた気がしています」鏑木は、深く頭を下げた。「ありがとうございます」
議長が、静かに口を開いた。
「紡樹くん。……わしも、この機会に言っておきたい」
「議長?」
「三年前、氷室冴の聴聞に末席で立ち会いながら、何も出来なかった。……あの後悔が、わしを機構に縛りつけてきた理由のひとつだ。お前たちの旅を見て、ようやく、けじめをつけられる気がしている」
その時、部屋の扉が開き、玉藻麗が姿を現した。
「久しいの、紡樹」
「玉藻さん!」
稲荷が、ぴょこんと飛び上がるように駆け寄った。
「玉藻、また会えて嬉しいのじゃ! ……して、その後、宗家の座り心地はどうじゃ」
「相変わらず、堅苦しいことこの上ないわ」玉藻は苦笑した。「お主と気ままに暴れておった頃が、少し懐かしいくらいじゃ」
「妾はもう、暴れてなんぞおらぬぞ。今は由緒力を正しく使こうておるのじゃ」
「よう言うわ。稲荷社での一件、配信でしっかり見せてもろうたぞ。……幻術で暴れ回っておったではないか」
稲荷は、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「あ、あれは正当な由緒力の行使、なのじゃ」
「まあよい」玉藻は、くすりと笑った。「――そういえば、お主は妾の由緒、正しく知っておるか」
「玉藻の由緒、とな?」
「妾の名は、玉藻前の伝説に由来しておる。……絶世の美女に化け、朝廷に取り入り、その正体を見破られて討たれた、九尾の狐の話じゃ。討たれた後もなお、殺生石として祟りを振りまいたと伝わっておる」
「それは……穏やかではない由緒なのじゃ」
「じゃが、後の世で、その石は高僧によって砕かれ、祟りは鎮められたという。……恐れられた者も、正しく向き合えば、鎮まり、力に転じる。妾がこの名を継いでおるのは、その言い伝えを、忘れぬためじゃ」
稲荷は、しばらく黙り込んでから、静かに頷いた。
「――妾たちの由緒とも、通じるものがあるのじゃな」
「そういうことじゃ」玉藻は、稲荷の頭をぽんと撫でた。「だからこそ、お主たちの戦いが、案じられての。……存分に、暴れてくるがよい。今度は、正しい理由でな」
「もちろんなのじゃ!」
「――稲荷から、決戦が近いと聞いての。宗家として、力になれることがあれば、と思うて駆けつけたのじゃ」
玉藻は懐から、古びた守り袋をいくつか取り出した。
「これは、稲荷社に伝わる法具じゃ。御札、お守り、数珠のブレスレット……いざという時、由緒力を安定させる助けになるはずじゃ」
紡樹は、それを丁寧に受け取った。
「ありがとうございます」
密迹が、ふと呟いた。
「覚山にも、聞いてみたき事があったな。……あの荒法師山を狙った輩について」
「結樹が言っていたな」紡樹が頷いた。「かつての語り部衆の先達が、その中にいたと」
「うむ。……いずれ、決着の中で、結樹自身の口から聞けるやもしれぬ」
紡樹は、氷室冴の方を見た。
「氷室冴さん。……僕が覚醒した夜に見た、顔の見えない誰かのビジョン。あれは、あなただったんですか」
氷室冴は、しばらく考え込んでから、静かに首を振った。
「……分からぬ。だが、境界が軋んだあの年、多くの由緒が、共鳴し合っていたのだろう。わし自身の姿だったかもしれぬし、もっと大きな、何かの前触れだったのかもしれぬ」
紡樹は、その答えに、静かに頷いた。
「はっきりしなくても、いいのかもしれません。……全部の答えが出なくても、前に進めることを、僕はもう知ってるので」
宵が、静かに紡樹の隣に立った。
「わたし、ずっと『分からない』が口癖でした。……常宮の教えが正しいのか、自分が何者なのか。でも、今は違います。分からないことがあっても、自分の足で選んだ道なら、胸を張っていられる。それだけで、十分なんだと分かりました」
鏑木が、端末を閉じながら付け加えた。
「機構内部の記録も、洗い直しが完了しました。“あの時”に関する隠し事は、もう他には残っていないはずです。……今度こそ、全部、明るみに出しました」
一同の顔に、決意の色が浮かんでいた。準備は、整いつつあった。




