第六話 秩序という名の断罪
「――誰?」
竹箒を握ったまま、紡樹が振り返る。境内に、見知らぬふたりの姿があった。白い狩衣の少女と、黒に金糸の装束の青年。配信の映像で見た顔だと、すぐに気づいた。
「顕れの常宮の、鈴木葵と本田宵……!?」
「その通りだ」葵が静かに頷いた。「豊田紡樹。お前が、昨夜『両属性同時反応』を起こした本人か」
阿形と吽形が、ゲーム機を放り出して紡樹の前に飛び出す。稲荷も、狐火をまとって身構えた。祖父が社務所の戸口から、青ざめた顔で様子を窺っている。
「紡樹、無理はするな……!」祖父が声を絞り出した。「相手は本物の、正規の探索者じゃ」
「分かってるよ、じいちゃん。でも、ここで逃げたら、じいちゃんが守ってきたものごと、なかったことにされる」
「用件は分かってるつもりだよ。……僕を、消しに来たんでしょ」
「消す、とは人聞きが悪い」葵は淡々と言った。「我々は、正すために来た。神仏を分かつことは、明治の御代より定められた秩序だ。お前の中にある『バグ』は、由緒管理機構が本格的に動く前に、我々の手で正しておくのが筋というものだ」
「機構に任せればいいじゃないか」紡樹が言い返す。「なんで、あんたらが勝手に決めるんだよ」
「機構は、事例をただ記録し、管理するだけの組織だ。良し悪しの判断まではせぬ。だが我々は違う。神仏分離という秩序を、体現し、守護する者だ。機構が回りくどい手続きを踏んでいる間に、お前という前例が世に広まってみろ。……秩序そのものが揺らぐ」
「筋、ね」
紡樹は朱印帳を懐からそっと取り出した。手が震えているのが、自分でも分かった。それでも、逃げるという選択肢は、なぜか浮かばなかった。
「由緒を正しく継ぐというのは、決められた形を、寸分違わず守り続けることだと思うか?」葵が静かに問うた。「それとも――」
「それとも?」
「いや……今は関係ない話だ」
葵は言葉を濁した。何かを言いかけて、飲み込んだような素振りだった。紡樹はその一瞬の揺らぎを、見逃さなかった。
「言っておくが、話し合いに来たわけではない」
宵が、葵を押しのけるように一歩前に出た。彼女の周囲に、無数の紙垂が浮かび上がる。
「不浄なる混ざり物――お前の中の、仏の気配だけを、清め祓う。神道の部分まで奪うつもりはない。むしろ、それだけは残してやる。それが、せめてもの慈悲だ」
「じいちゃんが、何百年もかけて守ってきたものを、あんたらの理屈ひとつで消されてたまるかよ」紡樹は朱印帳を握る手に力を込めた。
「感傷だけで、由緒は守れない」宵が冷たく返す。
「感傷じゃない。……ちゃんと調べて、ちゃんと理解した。だから守りたいと思った。それだけだ」
「慈悲、って言葉の使い方、なんか間違ってないか……?」
紡樹の軽口に、宵の目がわずかに鋭くなった。適性検査で「無効値」と弾かれ続けたこの三年間、紡樹は誰かに本気で狙われるということすら、経験したことがなかった。恐怖より先に、奇妙な実感が湧いてくる。――ああ、僕は今、本当に「何か」になったんだ。
宵が両手を打ち鳴らすと同時に、白い光の帯が幾重にも紡樹へと殺到した。
「――清め給え、祓い給え。混じりし穢れよ、原初の姿へ還れ」
光が朱印帳の黒い印――仏の由緒に絡みつく。紡樹の体の奥から、ごっそりと何かが引き剥がされるような感覚が走った。
「ぐ、あ……っ!?」
朱印帳の左ページに浮かんでいた墨色の印が、端から薄れていく。片方だけを正確に抜き取る、恐ろしいまでに精密な力だった。
「紡樹さま!」
稲荷が飛び出そうとするが、葵が無言のまま手をかざす。目に見えない結界が、彼女の動きをぴたりと止めた。
「概念調伏――お前たちの出る幕ではない」
「――砕けろ、破魔の一撃であります!」
阿形が牙を剥いて突進するも、目に見えない結界に阻まれ、弾き返される。攻めを得意とする阿形の一撃は、本来なら並みの障壁など容易く打ち砕くはずだった。
「阿形、退がってください! 僕が支えます!」
吽形がすかさず前に出て、弾かれた阿形の体を受け止める。武闘派の阿形と、絶対防御を得意とする吽形――対を成す狛犬のふたりが、もう一度、今度は息を合わせて同時に突貫した。それでも壁は揺るがない。絶対的な守り。理屈も力業も、その壁を破れそうにない。
「くそっ……!」
紡樹は歯を食いしばった。仏側の力が薄れるほどに、体の均衡が崩れていく。片翼をもがれた鳥のように、まっすぐ立っていることさえ難しい。膝が、地面につきそうになる。
紡樹は咄嗟に、朱印帳を盾のように掲げ、力任せに押し返そうとした。だが、闇雲な抵抗は、宵の技をわずかに逸らすだけで、根本的な解決にはならなかった。
「無駄だと言ったはずだ」
宵の声に、紡樹の腕からさらに力が抜けていく。もう片方の膝も、崩れ落ちそうだった。
「無駄な抵抗はよせ」宵が冷たく告げた。「お前のそれは、本来あってはならないものなのだから」
社務所の戸口で、祖父が拳を握りしめていた。飛び出したい衝動と、老いた身では足手まといにしかならないという現実の間で、ただ「紡樹……!」と、掠れた声を漏らすことしかできなかった。




