第六十四話 まつろわぬ声
葛城の山中、苔むした洞穴の奥に、結樹は足を踏み入れていた。
「――ここか」
洞穴の壁には、無数の手形のような跡が刻まれていた。ひとつひとつが違う大きさ、違う深さ。数えきれないほどの、名もなき手のひらの跡だった。
「感じる。……ひとりじゃない、たくさんの気配だ」
結樹が対紋に指を這わせると、洞穴の奥から、幾重にも重なった声が響いてきた。
「……我ら、まつろわぬ民」
「……大和の言葉に従わなかった、というだけで」
「……土蜘蛛と、貶められた(おとしめられた)」
無数の声が、少しずつ重なり合いながら、ひとつの意志へと収束していく。
結樹は、静かに語りかけた。
「葛城の地に、かつて独自の暮らしを営んでいた者たちがいた。……大和の朝廷は、従わぬ者たちを、まとめて『土蜘蛛』と呼んで貶めた。手足が長く、穴に住む化け物――そんな姿に描かれたのは、ただ、違う生き方を選んだというだけの理由でだ」
「……そう、その通りだ」
「……よく、知っている」
「……語り部の、匂いがする」
洞穴の奥から、輪郭の定まらない、いくつもの影が滲み出てきた。ひとつの体でありながら、幾人もの声が重なっているような、異様な気配だった。
「僕は、あなたたちを覚えている。……名もなく貶められた歴史を、力に変えたい」
「……我らに、何を望む」
「同じ譲れないものを持つ者として、共に歩いてほしい。それだけだ」
影たちは、しばらく揺らめきながら、互いに囁き合うように相談していた。やがて、ひとつの声として、答えが返ってきた。
「……よかろう。我らの声を、聞き届けよ」
結樹が対紋の力を注ぎ込むと、無数の影が、ひとつの姿へと編み上げられていく。長い手足、土に汚れた衣、そして、いくつもの目のような紋様が浮かぶ、異形の姿だった。
「――我ら、土蜘蛛。まつろわぬ者たちの、声そのものなり」
その声は、もはやひとりの声ではなく、幾人もの声が重なり合った、独特の響きを持っていた。
「技の名は」結樹が尋ねると、土蜘蛛はゆっくりと答えた。
「……百鬼の蠢動。……我らの数だけ、力がある」
結樹は、満足げに頷いた。
「二人目、完了だ。……残るは、将門だけだね」
洞穴を出ると、葛城の空に、夕焼けが広がっていた。結樹の巡礼は、最後のひとりへと向かっていく。




