第五十八話 もう半分の理
夜更け、皆が寝静まった頃、結樹はひとり、二上山の岩陰に腰を下ろしていた。
胸に刻まれた対紋に、そっと指先を這わせる。金と黒が縒り合わさった紋様が、淡く発光した。
「――試してみるか」
結樹は、懐から古い写しを取り出した。豊守神社の人柱の伝承――紡樹にはまだ、その先を話していない一枚だった。
対紋を通して、紡樹の由緒を紐解く感覚に、そっと意識を重ねる。いつもの傷紋とは、明らかに違う手応えがあった。
「……見える」
紡樹が使う『理解し、紐解く』力。それが今、結樹の中にも流れ込んでくる。だが、結樹の目を通したそれは、紡樹のものとは違う色をしていた。信仰の記憶ではなく、そこに埋もれた痛みだけが、鮮やかに浮かび上がってくる。
「これが、僕の理解の仕方、ってわけか」
結樹は、写しの文字をなぞりながら、静かに笑った。
思えば、随分と昔から、この日を待っていたのかもしれない。常宮が頑なに隠し続けてきた"あの時"の記録――そこに、紡樹の由緒と繋がる何かがあるはずだと、結樹はずっと疑っていた。だから、紡樹に近づいた。それは事実だ。
だが、それだけではなかったことも、結樹自身、よく分かっていた。
「発動配信システムの記録で見たな。荒法師山の番人が言っていた。……由緒力の欠片を、力に変えようとした輩が、何組も踏み入ったと」
結樹は、暗い笑みを浮かべた。あの「輩」の中に、かつての語り部衆の先達がいたことを、結樹は知っていた。彼らは失敗し、追い返された。……だが、今なら。
「僕になら、できる」
対紋という鍵さえあれば、悲劇を覚えるだけだった傷紋を、もっと先へ進められる。語り部衆の同胞たちひとりひとりに、紡樹陣営の神使にも劣らない力を、与えられるかもしれない。まずは誰から――結樹の脳裏に、幾つかの顔が思い浮かんでは消えた。
「紡樹との日々が、嘘だったわけじゃない」結樹は、月を見上げながら呟いた。「でも、僕には、僕の譲れないものがある。……消された者たち全員に、声と力を取り戻す。それだけは、誰にも譲れない」
岩陰から見える夜空に、二上山の稜線が、黒々と浮かび上がっていた。
結樹は、静かに写しを懐にしまい、何事もなかったかのように、仲間たちの元へと戻っていった。




