第五十六話 白の鳥居、再び
双堂の主との対峙を終え、一行が二上山の中腹で一息ついていた時だった。
不意に、透明な鳥居の輪郭が、山道の先に浮かび上がった。
「――白の鳥居……」宵が、はっと息を呑んだ。
くぐって現れたのは、記憶にある神主装束の青年――鈴木葵だった。以前よりも、どこか痩せたような、張り詰めた顔をしている。
「葵くん……」
「宵」葵は短く名を呼んだきり、しばらく言葉に詰まっていた。「……無事、なんだな」
「常宮には、何も告げずに来てしまいました」宵は静かに頭を下げた。「ごめんなさい」
「詫びるようなことか」葵の声に、微かな怒りと、それ以上の安堵が滲んでいた。「配信を見た。……いや、機構中が見た。氷室冴様のことも、忌み子の予言のことも」
紡樹が一歩前に出た。
「葵さん、常宮の反応は……」
「割れている」葵は率直に答えた。「これまでの隠蔽を追及すべきだという声もあれば、寝耳に水の常宮上層部を庇おうとする声もある。……正直、収拾がついていない」
「葵くんは、あれから、ずっと常宮に?」宵が尋ねた。
「ああ」葵は短く頷いた。「聴聞が片付いた後、俺はそのまま常宮の職務に戻された。……お前が全国の社寺を巡り始めてからも、機構経由の報告書には、目を通し続けていた。稲荷社での一件、不動ヶ滝、荒法師山……お前が少しずつ変わっていくのを、遠くから眺めている以外、何もできなかった」
「見ていた、って……」
「口を出す権限は、なかった。常宮の立場では、あくまで『聴聞対象者の監視記録』としてしか、お前たちの旅を追えなかったからな」葵の声に、苦いものが滲んだ。「何度も、直接会いに行こうとした。だが、その度に、常宮の誰かに止められた。……理由はいつも、はっきりしなかった」
紡樹は、その言葉に、氷室冴から聞いた真相を重ねた。
「それも、忌み子の疑いを隠すためだったんですね」
「今なら、そう思う」葵は頷いた。「あの日、氷室冴様の正体が世間に晒された瞬間、常宮内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。……俺は、これ以上黙って見ているわけにはいかないと思って、独断でここへ来た」
氷室冴が、静かに歩み出た。
「わしのことを、覚えておるか」
葵は、老いた氷室冴の姿をまじまじと見つめ、深く息を吐いた。
「話には聞いていた。……まさか、本当に生きておられたとはな」
「お前は、宵の……」
「常宮で、宵の教育係を任されていた者です」葵はそう名乗り、それから、宵の方を見た。「――正直に言う。俺はずっと、お前を『忌み子』かもしれないと疑いながら、育ての先輩として振る舞ってきた。……その矛盾に、ずっと苦しんでいた」
宵の目が、驚きに見開かれる。
「葵くんも、知っていたの?」
「明確にではない。だが、常宮上層部の妙な気の遣いようから、薄々は」葵は拳を握った。「由緒を正しく継ぐとは何か。……お前を見ていて、何度も分からなくなった。型通りに守ることが、本当に正しいことなのか、とな」
紡樹は、その言葉に、かつて祖父から聞いた話を思い出した。
「それが、あなたの中にあった『亀裂』だったんですね」
葵は、少し驚いたように紡樹を見た。
「……知っていたのか」
「なんとなく、ですけど」
葵は小さく笑い、それから居住まい(いずまい)を正した。
「常宮としての立場は、まだ何も言えぬ。だが、俺個人としては――宵、お前の選んだ道を、否定するつもりはない」
宵の目に、じわりと涙が滲んだ。
「ありがとう、葵くん」
葵は、ふと視線を巡らせ、二上山の頂を仰いだ。
「……この山まで来たということは、いよいよ核心か」
「うん」紡樹が頷いた。「忌み子は、僕と結樹だった。宵さんは、誤解されていただけだったんだ」
葵は、しばらく黙り込んでから、静かに言った。
「ならば、俺も見届けさせてもらおう。……常宮の名代として、ではなく、ひとりの人間として」




