第四十九話 光と影、拳を交わす
機構本部を出た夜、結樹が唐突に言った。
「――紡樹。ひとつ、付き合ってくれないか」
「付き合うって、何を」
「僕と、正面から一戦」結樹はいつもの気だるげな笑みを消し、真剣な目をしていた。「二上山に行く前に、確かめておきたいことがある」
阿形が拳を鳴らして進み出ようとしたが、紡樹はそれを手で制した。
「……いいよ。受けて立つ」
紡樹には、結樹の言いたいことが、なんとなく分かる気がした。
境内の外れ、開けた空き地に、ふたりは向き合って立った。
「予言は言ったよね。忌み子は、世を照らすか、呑み込むか」結樹は静かに語り出した。「君は宵ちゃんに、綺麗事を言った。選ぶのは自分たちだ、と。……でも、影の力を本当に理解しないまま、光だけで選べると思ってるなら、それは傲慢だ」
「だから、僕に見せてくれるのか。影の方を」
「そういうことだね」
結樹の声色が、不意に変わった。
「――紡げ、忌み子よ! 選べぬまま彷徨う魂に、真の理を刻んでみせよ! この松田結樹、語り部の名において、その覚悟を試そう!!」
両手を大きく広げ、空を仰ぐような大仰な身振り。まるで舞台の上に立っているかのような、朗々とした語り口だった。
「……相変わらず、戦う時はそれなんだ」紡樹が思わず苦笑する。
「うるさいな。血が滾る(たぎる)と、つい」結樹は咳払いをひとつしてから、それでも芝居がかった調子を崩さずに続けた。「さあ、始めよう!」
結樹の周囲に、黒い靄が立ちのぼった。腕に、傷紋の紋様が幾筋も走る。
「――結べ! 消された者たちの無念を、今この手に!!」
黒い手が地から伸び、紡樹めがけて殺到した。紡樹は朱印帳を構え、静かに息を吸った。
「――紡げ、歴史を。両部の理、以て弾く!」
金と墨、ふたつの光が交差し、迫る黒い手を弾き返す。衝撃が、夜の境内に鈍い音を響かせた。
「へえ」結樹が口の端を上げた。「本当に、両方の理を使いこなしてるんだ」
「教わったからね。……祖父から、そして君たちからも」
紡樹は一歩、前に踏み込んだ。結樹の傷紋が、さらに強い輝きを帯びていく。
「僕の力は、忘れられた悲劇を覚えていることで生まれる」結樹が続けた。「宵ちゃんの母親のことも、氷室冴のことも、僕はまだ何ひとつ、本当の意味では覚えていない。……知識としてなら知ってる。だけど、覚えて背負うのとは、決定的に違う」
「だから、僕を殴りたいのか」
「殴るというより――君の中の、覚悟の重さを、量りたいんだ」
結樹の姿が、闇に紛れて消えたかと思うと、紡樹の背後に回り込んでいた。
「――遅い!」
紡樹は振り向きざま、朱印帳の力を全身に纏わせ、迫る拳を真正面から受け止めた。金と墨の光が、黒い靄をわずかに押し返す。
「くっ……!」
「まだまだだ、紡樹」
拳と拳がぶつかり合うたび、境内の空気が震えた。稲荷たちは固唾を呑んで、その一進一退の攻防を見守っていた。
「発動配信システム、記録します」鏑木が小声で呟いた。「……これは、貴重な資料になりそうです」
何合目かの拳がぶつかった瞬間、両者は同時に弾き飛ばされ、荒い息をつきながら、互いに膝をついた。
「……勝負、あずけだね」結樹が笑った。
「うん」紡樹も、同じように笑い返した。「でも、少しだけ分かった気がする。君が背負ってるものの、重さの端っこくらいは」
結樹は立ち上がり、服についた土を払った。芝居がかった声色は、いつの間にか、いつもの気だるげな調子に戻っていた。
「上出来だよ。……二上山に着く前に、それが聞けただけで、僕は満足だ」
夜風が、ふたりの間を静かに吹き抜けていった。光と影、ふたつの理を持つ者たちが、初めて対等に向き合った夜だった。




