第四十六話 波紋、渚を越えて
「紡樹さん、これ……」
鏑木が差し出したスマホの画面には、見たこともないような数字が並んでいた。同時視聴者数、共有回数、トレンド一位の表示。
「氷室冴さんの正体が明らかになった瞬間の映像、機構内部だけでなく、一般にも広く出回ってしまっています。……由緒管理機構の公式チャンネルとしては、前代未聞の事態です」
「隠すつもりは、なかったんだけどな」紡樹は苦笑した。
「隠す必要が、そもそもなかったのかもしれぬ」氷室冴が、静かに口を挟んだ。「わしが消えたことも、宵のことも……誰かが、隠す方を選んだだけだ」
「機構の上層部から、緊急の連絡が入っています」鏑木の声が硬くなった。「氷室冴様の生存確認と、これまでの経緯について、正式な聴取を行いたいと」
宵が、氷室冴の袖をそっと握った。
「わたしも、行きます。もう、隠れているつもりはありません」
「危険かもしれぬぞ」
「危険は、もう十分すぎるくらい味わいました」宵はまっすぐに氷室冴を見た。「今度は、わたしの意志で動きたいんです」
結樹が、いつもの気だるげな調子で肩をすくめた。
「僕も付き合うよ。……語り部として、これを見届けないなんて、あり得ないからね」
一行は、鳥居渡りを通じて、由緒管理機構の本部へと向かった。
到着した瞬間から、様子がおかしかった。廊下という廊下に職員が詰めかけ、怒号にも似たざわめきが響いている。
「なぜ、これを止めなかった!」「配信の完全停止は間に合わなかったのか!」
白装束の職員数名が、通路を塞ぐように立ちはだかった。
「これより先は、緊急事態につき立入禁止です。お引き取りを」
「僕たちは、議長に呼ばれてきたんです」紡樹が食い下がる。
「聞いておりません。氷室冴様の件は、機構内で慎重に――」
「慎重に、隠すつもりだったんでしょう」結樹が、いつもの気だるげな調子を消し、鋭く言い放った。「もう手遅れだよ。世界中が見てる」
職員たちの顔に、動揺が走った。その隙をつくように、密迹が一歩前に出た。
「道を、空けてもらおうか」
低い声に、圧のようなものが滲む。職員たちは顔を見合わせ、やがて渋々と身を引いた。
奥の会議室に踏み込むと、記憶にある議長の姿があった。だが、その顔は、以前よりもずっと憔悴して見えた。
「氷室、冴……本当に、お前なのか」
議長の声が、震えていた。
「お久しぶりです、議長殿。……といっても、わしの顔を覚えている者は、もう少ないでしょうがな」
議長は、老いた氷室冴の姿をまじまじと見つめ、深く息を吐いた。
「三年前……いや、お前にとっては、もっと長い歳月だったのだろうな。あの聴聞の日、わしは末席で立ち会っていた。お前が禁じ手に手を出す寸前、止められなかった自分を、ずっと悔いておった」
「議長」宵が一歩前に出た。「教えてください。……聴聞が再開された時、なぜわたしは、その場から遠ざけられたんですか」
議長の顔が、目に見えて青ざめた。
「それは……」
「『静養』という名目でした。でも、わたしは病気なんて、していなかった」
議長は、しばらく口を開けなかった。会議室に、重い沈黙が満ちた。
「……あの時、機構内部で、ある巻物の記述が問題になったのだ」議長はようやく、絞り出すように言った。「『失われた片方が還る日、境界は再び結ばれ、忌み子は――』。あの一節が、お前の存在と、あまりにも重なって見えたのでな」
紡樹の心臓が、大きく跳ねた。
「忌み子……その言葉が、宵さんと、どう繋がるんですか」
議長は、深い皺の刻まれた両手で顔を覆った。
「――全て、話そう。今更、隠し通せるものでもない」




