第三十六話 礎に眠る誓い
崩れた本堂の奥、覚山が案内したのは、瓦礫に半ば埋もれた小さな厨子だった。
「この中に、那羅延の最後の姿がある」
覚山が静かに扉を開くと、中には、拳ひとつ分ほどの石の欠片が、丁寧に布に包まれて安置されていた。それは、先ほど崩れた山門の礎石で密迹が拾った欠片と、確かに同じ紋様を持っていた。
「治承四年、平重衡の南都焼き討ちの夜――ここは、まだ名もない小さな寺だった。逃げ惑う僧たちの頭上に、燃え崩れた梁が落ちようとした、その時だ」
覚山の声が、初めて震えた。
「那羅延は、迷わず飛び込んだという。梁を受け止め、僧たちを庇い、そして――己の身と共に、砕け散った」
密迹が、拳を強く握りしめた。
「……我を、置いて逝ったのか」
「置いていったのではない」覚山は首を振った。「守ったのだ。お前が景清殿によって密かに隠された頃、那羅延はすでにこの地にはいなかった。だが我らの先祖は、彼の最期を、決して忘れなかった。……砕けた姿のまま、無理に元へ戻すことはしなかった。それは、彼の誓いそのものだったからだ」
「誓い?」紡樹が尋ねた。
「己を守りに来た者ではなく、己が守るべき者として立つ――那羅延は、その姿のまま、永く在り続けることを望んだのだと、我らは信じている。だから、この地を暴かせるわけにはいかなかった。心無い者の手で、彼の誓いが、ただの『力』に変えられてしまわぬように」
密迹は厨子の前に膝をつき、震える手で欠片にそっと触れた。
「――すまぬ。我は、ずっとお前を捜し続けておった。だが、お前はとうに、己の役目を果たしていたのだな」
石の欠片が、淡く光を帯びた。密迹の体に走る石目の亀裂が、朱と墨、ふたつの色を帯びていく。それはやがて重なり合い、金と紫の輝きへと変わっていった。
「――心紋、刻まれました」
密迹の声は、いつもの豪快さの奥に、静かな涙の色を滲ませていた。
「感じるか、密迹?」紡樹が問うと、密迹は小さく頷いた。
「胸の奥に、何かが満ちておる。……那羅延の誓いを、我が代わりに、この身に刻んだような心地だ」
覚山は薙刀を杖に立ち上がり、深く一礼した。
「これで、我が家系の役目もひとつ、終わったやもしれぬ。……もう、この地を独りで守り続ける必要はなさそうだ」
「これからも、時々顔を見せてくれるといい」紡樹が笑いかけると、覚山はふっと目元を緩めた。
「考えておこう」
鏑木が端末を確認しながら、そっと声をかけた。
「次の候補地が挙がりました。……武甕槌の杜、です」
「阿形さんの番、であります!」阿形が胸を張った。
紡樹のスマホの中で、コメント欄が静かに賑わっていた。
――《那羅延さん、ちゃんと皆を守ってたんだな……》
――《覚山さんも良い人だった、また出てきてほしい》
――《次は阿形か、武神の聖地って熱そう》
荒法師山を後にする一行の足取りは、来た時よりも、確かに軽やかだった。密迹は懐に、那羅延の欠片をそっとしまい込み、二度と離すまいというように、その上からもう一度、手を添えた。




