第三十五話 咆哮せよ、金剛の魂
瓦礫の陰から現れたのは、白髪交じりの、痩身の老僧だった。
錆びついた薙刀を片手に、着崩れた墨染めの衣を纏っている。目だけが、異様なほど鋭く光っていた。
「我が名は、覚山。……この荒法師山を、代々見守ってきた者だ」
「見守ってきた、って」紡樹が一歩前に出た。「ここには、誰も住んでないはずじゃ」
「住んではおらぬ。だが、誰かが守り続けねば、この地はとうに食い荒らされていた」
覚山は薙刀を構え、密迹を真っ直ぐに見据えた。
「――お前が、密迹金剛か」
「……我を知っているのか」密迹の声が、低く響いた。
「知っているとも。かつて、お前と対を成していたもう一体を、幾人もの輩がこの手で追い払ってきた」覚山の目が、初めて微かに揺らいだ。「由緒力の欠片を拾い集め、力に変えようとする輩が、この百年で何組もこの山に踏み入った。……我が師も、そのまた師も、そうした者どもから、この地に眠るものを守り続けてきた。それが、覚山の名を継ぐ者の役目だ」
「僕たちは、盗みに来たわけじゃない」紡樹が声を張った。「密迹の……那羅延の、本当の由緒を知りたいだけだ」
「知りたい、だと」覚山の声に、怒りが滲んだ。「これまでも、皆そう言った。知りたい、力にしたい、記録に残したい。……だが、この地に眠るものが望んでいるのは、そんなものではない」
「なら、教えてくれ。何を望んでいる?」
「力で示せ。それだけが、我が唯一の物差しだ」
覚山が地を蹴った。薙刀の一閃が、密迹の左肩を掠める。
「速い……!」阿形が息を呑んだ。
「密迹さん、援護を!」吽形が前に出ようとするが、密迹は片手でそれを制した。
「不要だ」密迹は肩の傷から立ち上る血のような由緒の残光を見つめ、静かに笑った。「この老僧、本気で我を試しておる。……ならば、我も本気で応えねば、失礼というものよ」
密迹の拳が、大気を震わせた。
「――来るがいい、覚山!」
薙刀と拳が、何度も激しく交錯する。石造りの体は、薙刀の刃をものともせず受け止め、逆に打ち返す一撃は、老僧の足元の岩盤を粉々に砕いた。
「見事な剛力よ」覚山は息を切らしながらも、笑みを浮かべた。「だが、剛力だけでは、この山は超えられぬ」
覚山の薙刀が、地を薙いだ。瓦礫が舞い上がり、視界を塞ぐ。その隙をつくように、覚山の姿が密迹の背後に回り込んでいた。
「――終わりだ」
薙刀が振り下ろされる、その刹那。
密迹の体に、石目の亀裂が幾筋も走った。振り向きざま、密迹は素手でその一撃を受け止めていた。
「……なに?」
「我は、百五十年、独りで待ち続けた」密迹の声が、低く、深く響く。「那羅延の行方も分からぬまま、ただ暗闇の中で、いつか誰かが見つけてくれることだけを信じてな。……お前の一撃、痛みはある。だが、それ以上に痛かった歳月を、我はすでに越えてきたのだ」
拳を握る密迹の目に、赤い光が灯った。空間に朱肉の印影が浮かび上がり、石の肌が金と紫に発光していく。
「――我が魂に刻め。咆哮せよ、金剛の魂!」
咆哮とともに放たれた拳が、覚山の薙刀ごと、その体を弾き飛ばした。老僧の体が瓦礫の上を転がり、ようやく止まる。
静寂が、荒法師山を包んだ。
「発動配信システム、記録完了……」鏑木が震える声で呟いた。紡樹のスマホのコメント欄は、これまでにない速さで流れ続けていた。
――《密迹さん熱すぎる、静かなキャラだと思ってたのに》
――《百五十年、ずっと独りで待ってたのか……》
――《覚山さん、負けたけど悪い人には見えない》
覚山は、瓦礫の中でゆっくりと体を起こし、静かに笑った。
「……久方ぶりだ。ここまで魂で殴られたのは」
「まだ、話は終わっていない」密迹が拳を下ろしながら、覚山に歩み寄った。「教えてくれ。那羅延に、何があった」
覚山は薙刀を杖代わりに立ち上がり、崩れた本堂の奥へと目をやった。
「……ついてくるがいい。お前になら、話してもよかろう」




