第三十四話 崩れた山門、失われた片翼
鳥居渡りの光が収まると、一行を迎えたのは、これまでのどの訪問先とも違う静けさだった。
鳥の声すら聞こえない。緑に沈んだ山道の先、かつて山門があったはずの場所には、崩れた礎石だけが等間隔に並んでいる。荒法師山・羅漢寺跡――地図にも「立入注意」とだけ記された、由緒管理機構でさえ詳細な記録を持たない土地だった。
「……静かすぎるであります」阿形が声を潜めた。
「気配が薄いだけではありません」吽形が周囲を見回す。「まるで、何かを故意に消し去った後のような……」
紡樹は隣を見た。密迹が、いつもの豪快さを消し、ただ黙って山門の礎石を見つめている。
「密迹、大丈夫か?」
「……ああ」密迹は短く答えたきり、それ以上は続けなかった。百五十年間、共に旅をしてきた仲間たちでさえ、初めて見る顔だった。
礎石は、左右に二基。だが、片方には仁王像の足元を示す跡がくっきりと残っているのに対し、もう片方は、まるで叩き割られたかのように、無残に砕けていた。
「これは……」鏑木が端末の記録を確認しながら、眉をひそめた。「機構の資料でも、この寺の詳細な廃絶時期は不明とされています。焼失、なのか、それとも……」
「調べてきたことがある」紡樹が口を開いた。出発前、祖父の書庫でこの土地の名を見つけてから、ずっと気になっていたことだった。
「奈良の東大寺は、平安の末――治承四年、平重衡の南都焼き討ち(なんとやきうち)で、多くの伽藍が炎に呑まれた。今わたしたちが知る南大門の金剛力士像は、その後、鎌倉時代に運慶・快慶を中心とした仏師の一門が、記録によればわずか六十九日という驚くべき速さで彫り上げたものだと伝わってる。……戦で失われたものを、もう一度、皆の手で取り戻した。そういう歴史がある場所なんだ」
「六十九日、か」密迹がようやく口を開いた。「我らの記憶にも、ある。……業火に焼かれる伽藍。崩れゆく山門。隣に立つ者の名を、我は確かに呼んだはずだ。だが、その声すら、覚えておらぬ」
密迹は砕けた礎石にそっと膝をつき、震える指先で欠片に触れた。
「那羅延――そう、呼んでいたはずだ」
紡樹の朱印帳が、懐でかすかに熱を帯びた。密迹の中に眠る記憶の断片が、由緒として反応しているのが分かった。
「豊守神社の裏山で、景清様が我を隠してくださった。だが、それより前――我と那羅延が、共に山門に立っていた時代が、確かにあったはずなのだ。ここが、その山門だったのやもしれぬ」
「じゃあ、那羅延は……」
「分からぬ」密迹は首を振った。「隠されたのか、壊されたのか、それとも――」
言葉を切った密迹の手の中で、砕けた礎石の欠片が、微かに光を帯びた。刻まれていたのは、指先ほどの小さな紋様――拳を握る、大きな手の一部だった。
「稲荷、これは……」
「妾の目にも、由緒の残滓が纏わりついているように見えるのじゃ」稲荷が声を落とした。「それも、ただの残滓ではない。……もっと、深く、重い気配なのじゃ」
紡樹のスマホの中で、コメント欄がいつになく静かに流れていた。
――《なんか、今日は雰囲気違うな》
――《密迹さん、こんな顔するんだ》
――《那羅延、見つかってほしい》
不意に、崩れた山門の奥、瓦礫の陰から声が響いた。
「――その先、踏み入ることは許さぬ」
低く、乾いた声だった。姿は見えない。だが、確かにそこに、誰かがいる気配があった。
「この地に眠るものを、これ以上暴くな。……その先にあるのは、お前たちが望むような、優しい結末ではない」
密迹が、ゆっくりと立ち上がった。その目に、これまで見せたことのない、静かな怒りにも似た光が宿っていた。
「――何者だ。名を、名乗れ」
瓦礫の向こうから、ゆっくりと足音が近づいてくる。荒法師山の空気が、一段と重く沈んだ。




