第三十話 刻まれる、白狐の絆
「――案内してやる。ついてこい」
玉藻は乱れた狩衣の袖を払いながら、そっけなく言った。
「え、いいの?」紡樹が驚いて尋ねると、玉藻はふいと視線を逸らした。
「負けは負けだ。それに……由緒を語りたがっているのは、お前だけじゃない。この社も、ずっと語り部を待っていた」
石段を登った先、朽ちかけた祠の奥に、古い石碑が埋もれていた。玉藻がそっと苔を払うと、微かに文字の跡が浮かび上がる。
「この社は元々、稲荷神と荼枳尼天を共に祀っていた。……知っているか。稲荷信仰は、平安の頃から真言密教の荼枳尼天と深く習合してきた。狐に乗る天女の姿で描かれる荼枳尼天が、稲荷の狐と結びつけられ、ひとつの信仰として広まっていったんだ」
「じゃあ、この石碑も……」
「神仏分離で引き剥がされる前は、両方の名が並んで刻まれていたはずだ。今は片方しか読めなくなっているがな」
稲荷が石碑にそっと手を触れた。同族の記憶が、指先を通して流れ込んでくるようだった。
「妾たちお稲荷は、もとより神と仏、どちらの信仰も併せ持って生きてきたのじゃな……」
朱と墨、両方の光が、稲荷の体を淡く包んでいく。石目の亀裂が、今度は喜びに震えるように輝いた。空間に朱肉の印影がひとつ浮かび、静かに溶けて消える。
「――心紋、刻まれたみたいなのじゃ」
稲荷は自分の胸に手を当て、驚いたように呟いた。
「感じるか?」紡樹が尋ねると、稲荷は静かに頷いた。
「うまく言えぬが……前より、視界が広くなった気がするのじゃ。妾たち一族の由緒、その全部と繋がったような感覚なのじゃ」
「よかったな、稲荷!」阿形が満面の笑みで駆け寄った。
「一つ目の心紋、無事に獲得ですね」吽形も安堵したように頷く。
「我らも続かねば!」密迹が拳を打ち鳴らした。
玉藻は、その光景を腕組みしたまま見つめていた。
「悪くない目だ。……次はどこへ行く? 私の伝手でも使えることがあれば、力になってやってもいい」
紡樹は思わず笑った。敵として現れた相手が、いつの間にか味方のような口を利いている。
「鏑木さん、次の候補地って?」
「不動ヶ滝不動堂、というところが候補に挙がっています」鏑木が端末を確認しながら答えた。「吽形さんの由緒に、直接関わる場所のようですね」
吽形が、静かに拳を握りしめた。
「――望むところです」
紡樹のスマホには、配信を締めくくる直前のコメントが並んでいた。
――《敵が仲間になる展開、王道すぎて好き》
――《次は吽形か、楽しみすぎる》
――《この配信、毎回神回すぎない?》
狐塚稲荷社を後にする一行の足取りは、来た時よりも幾分か軽やかだった。




