第二十八話 狐塚稲荷社、着到
鳥居渡りを抜けた瞬間、紡樹たちは薄暗い杜の中に立っていた。担当官として同行する鏑木も、慣れない足取りで境内の地面を確かめている。
「鳥居渡り、何度乗ってもこの浮遊感には慣れませんね……」
「大丈夫ですか、鏑木さん」
「平気です。仕事ですから」鏑木は苦笑いしながら、懐から端末を取り出した。「では、こちらの訪問記録を残しますね。日時、由緒管理機構立ち会いのもと――」
苔むした石段の先、小さな朱の鳥居が幾重にも連なっている。狐塚稲荷社――地図にも小さくしか載っていない、忘れられかけた社だった。由緒管理機構からの正式な訪問許可証は、すでに懐に収めてある。
「懐かしい気配がするのじゃ」稲荷が目を細めた。「妾の同族が、ここにも眠っておる」
「よし、さっそく調べて――」
紡樹が石段に足をかけた瞬間、頭上から声が降ってきた。
「そこから先、通行禁止だ」
見上げると、鳥居の上に人影があった。白狐の耳と尻尾を持つ、狩衣姿の女。危なげない足取りで、音もなく石段の上に降り立つ。その所作ひとつひとつに、隙というものが感じられなかった。
「玉藻麗。この土地の由緒、預からせてもらっている者だ」
「その社、由緒管理機構から正式に許可を得て――」紡樹が言いかけると、玉藻は鼻で笑った。
「机上の許可がどうした。この土地の由緒は、代々の宗家が命を懸けて守ってきたものだ。配信で名を売っただけの小僧に、土足で踏み込まれる筋合いはない」
「あの、わたくし由緒管理機構の者ですが」鏑木が一歩前に出て、身分証を掲げた。「正式な訪問手続きは踏んでおります。宗家の方々のお立場も存じてはおりますが……」
玉藻の視線が、鏑木へと移った。
「機構の犬が出張ってきたか。……悪いが、私は機構の書類より、代々の由緒の方を信じている」
鏑木は小さくため息をつき、紡樹にだけ聞こえる声で呟いた。
「……こういう反応、実はよくあるんです。手続き上は完全にこちらが正しいんですが」
「配信で名を売っただけ、って……」
紡樹は思わず言葉に詰まった。
「稲荷神を祀る社は、全国に三万を超える。その頂点、伏見稲荷大社の由緒を継ぐ我ら宗家は、代々ここを含む眷属の社を見守ってきた。……お前のような、由緒を軽んじる者を通すわけにはいかない」
「軽んじてなんかいない!」
紡樹は思わず声を上げた。
「稲荷信仰は、平安の昔から東寺と深く結びついてきた。空海様が東寺を賜った折、稲荷の神が用材を運ぶのを助けたという伝承もある。神仏はもともと、境を分かたず助け合ってきたはずだ。それを、独り占めするみたいに『宗家』が縄張りにするなんて――間違ってる」
玉藻の目が、わずかに細くなった。
「言うようになったな、小僧。……だが、言葉だけでは通さない」
彼女の周囲に、九つの狐火が浮かび上がった。
「力で示してみせろ。由緒を継ぐに値する者かどうか、な」
阿形と吽形が、即座に紡樹の前に出る。
「やる気満々みたいであります、あの人」阿形が拳を鳴らした。
「油断は禁物です。狐火の展開速度、只者ではありません」吽形が冷静に分析する。
密迹も拳を構えた。
「うむ、良い気配だ。存分に暴れられそうだな!」
「稲荷、お前の出番みたいだよ」
紡樹が声をかけると、稲荷は不敵に笑った。
「望むところなのじゃ。同族相手に、負けるわけにはいかぬ」
狐火が、夜の杜を赤く染め上げていく。狐塚稲荷社での、最初の試練が幕を開けようとしていた。




