第一話 エラーと呼ばれた少年
翌朝、遠く離れた田舎町のとある配信サイトでも、境ノ杜での戦闘の映像がひっそりと拡散され始めていた。
――《神主様、密教使えるってマジ?》
――《巫女さん強すぎ。あの浄化見た?》
――《黒歴史側の人、逃げるの早すぎわろた》
――《これもう本編じゃん、うちの町のダンジョンとかしょぼすぎて泣ける》
コメント欄が流れていく画面を、豊田紡樹はスマートフォンの画面越しに、ぼんやりと眺めていた。
「……すげえな」
思わず声が漏れる。画面の向こうの世界と、自分がいる場所とのあまりの隔たりに、乾いた笑いしか出てこない。
紡樹の実家は、地方の外れにある小さな神社――「豊守神社」だ。境内の裏手には、誰も管理していない廃寺の跡もある。子供の頃から「ボロ神社の子」と揶揄され、三年前の適性検査でも、望むような結果は出なかった。町の人々にとって、豊守神社は「お祭りのときだけ思い出す、寂れた社」でしかない。初詣の列も、隣町の大きな神社に比べればささやかなもので、それすらも年々短くなっている。
参道の隅、社務所の脇に、古びた狐の石像がちょこんと鎮座していた。稲荷社の名残なのか、いつからそこにあるのか、紡樹自身も覚えていない。苔むした表面には飴色に焼けたような独特の艶があり、丸く彫られた瞳が、時折、妙に人間くさくこちらを見ているように思えた。
「稲荷、お前も暇そうだな」
紡樹は、いつものように石像に軽口をたたいた。もちろん、返事などあるはずもない。ただの古い置物だ。……そのはずだった。
紡樹には、誰にも言っていない趣味がある。夜な夜な、境内の片隅にスマホを立てて、誰も見ていない配信を続けていることだ。チャンネル名は『豊守神社の由緒を紐解く配信』。同時接続者は、多い日でも三人。
「――というわけで、今日は本殿の彫刻に彫られた紋様について調べてみました。これ、よく見ると、蓮の花の意匠が混ざってるんですよね。神社なのに、なんでだろうって、ずっと気になってて」
コメント欄はいつも静かだ。それでも紡樹は、毎晩欠かさず配信を続けていた。適性がなくても、探索者になれなくても、歴史を紐解くことだけは、誰にも奪えない自分の居場所だったから。
「配信」は単なる娯楽ではない。視聴者から寄せられる好意的な反応やコメントは、システムを通じて「祈り」として集積され、探索者の力の底上げに繋がるとされている。人気配信者ほど、視聴者の祈りを味方につけ、強大な由緒を掘り起こせるという理屈だ。だが、同時接続三人の紡樹には、それはあまりにも縁遠い話だった。
「おい紡樹、また配信見てんのか。暇そうだな」
声をかけてきたのは、同級生で今や中堅探索者になった男だった。腰に下げた認証タグには、神道適性の等級が誇らしげに刻まれている。
「べつに、暇じゃない。参道の掃除、終わったところ」
「はは、掃除ね。……お前、適性検査でエラー出たんだろ? 神社の子なのに神道適性ゼロとか、逆にレアだよなあ」
悪気なく放たれた言葉が、地味に刺さる。紡樹は曖昧に笑って、それ以上何も言わなかった。
「毎日大変ねぇ、紡樹くん」
社務所を覗き込んできたのは、近所に住む老婆だった。腰の曲がった彼女は、毎朝欠かさずこの神社にお参りに来る、数少ない常連のひとりだ。
「ばあちゃん、おはよう。今日もお参り?」
「ええ。ここのお社は、なんだか落ち着くのよ。大きな神社とは違ってね」
老婆は賽銭箱に小銭を入れ、丁寧に手を合わせた。その後ろ姿を見送りながら、紡樹はふと思う。適性がなくても、探索者になれなくても、こうして誰かの日常に寄り添うことくらいは、自分にもできるのかもしれない、と。
エラー。そう判定されたのは、三年前のことだ。全国民が一斉に受けたその適性検査で、紡樹の結果だけが「無効値」として弾かれた。神道でもない、仏教でもない、ただの「バグ」。だから紡樹は、探索者にはなれなかった。竹箒を握って、誰も来ない神社の参道を掃くことしかできなかった。
夕方、母屋に戻ると、母がため息交じりに帳簿をつけていた。「紡樹、今月もお賽銭、去年の半分以下よ……。あなたが適性さえあれば、探索者組合から支援金が出るのに」
「ごめん、母さん」
分かっている。分かっているからこそ、何も言い返せなかった。父は無言のまま、社務所の修繕をしていた。口数の少ない人だったが、時折、紡樹の配信を欠かさず見ていることを、紡樹はまだ知らない。




