第十七話 景清の言葉
「じいちゃん、あれ見て」
紡樹が指差した先、崩れた岩壁の一部に、扁額の続きらしき文字が浮かび上がっていた。本堂に浮かんでいたのと同じ、淡い発光。
祖父が目を凝らし、掠れた声で読み上げる。
「――ここに眠るは、神仏習合の証。心正しき子孫、いつの日か、この地の真実を紐解かん事を……」
その先には、もう少しだけ文字が続いていた。祖父はしばらく黙り込み、目を細めてから、震える声でその続きを読んだ。
「――たとえ世が、それを許さぬ時代であろうとも、な」
紡樹の胸が、大きく高鳴った。百五十年以上前の景清が、まだ見ぬ子孫に宛てて遺した言葉。「世が許さぬ時代」というのは、まさに今、紡樹が置かれている状況そのものだった。
「じいちゃん……これ、僕たちに向けて書かれてたんだ」
「そのようじゃな」祖父の目にも、光るものがあった。「景清様は、ただ隠しただけじゃなかった。……いつか誰かが、正しく紐解いてくれると、信じておったんじゃ」
密迹が静かに頷いた。
「その信頼を、我はずっと預かってきた。そして今、正しくお前に渡すことができた」
紡樹は扁額にそっと手を触れた。指先から、遠い昔の誰かの祈りが伝わってくるような気がした。血の繋がりというものが、こんなにも確かな形で、時を超えて手渡されることがあるのだと、初めて実感した瞬間だった。
紡樹はしばらく、その場から動けなかった。見ず知らずの、けれど確かに血の繋がった誰かが、百五十年越しに自分へ言葉を託していた。それだけで、胸がいっぱいになった。
同じ頃、隠れ古宮から放たれた強い由緒力の波動は、遠く離れた場所にも届いていた。
顕れの常宮の一室で、本田宵の懐の端末が、小さく震えた。
「また……?」
画面に表示された座標を見て、宵は息を呑んだ。葵がそれを覗き込み、眉をひそめる。
「隠れ古宮、新たな由緒力反応。……仲間を増やしたか」
「これで四体目、いえ、四人目です」宵が訂正した。「聴聞まで、あと六日しかないのに」
「向こうも、無策で聴聞に臨むつもりはない、ということだろう」葵は静かに端末をしまった。「……常宮としても、動向を注視するしかあるまい」
「葵くん、聴聞の場に、常宮からも誰か出るのかしら」
「おそらくな。上層部が、豊田紡樹をどう扱うか決めるための、恰好の材料になるだろう」葵の声には、いつもよりわずかに緊張が滲んでいた。「……我々の技が、正面から無効化された。それを知った上層部が、どう出るか」
宵は何も言わなかったが、その横顔には、複雑な色が浮かんでいた。
一方、冥の別宮では、松田結樹が窓の外に浮かぶ淡い光の波動を眺めていた。
「へえ。……賑やかになってきたじゃないか」
彼は口の端を吊り上げ、懐の巻物の切れ端に、そっと指を這わせた。
「仁王、か。あの巻物に書かれてた『失われた片方』って、まさかこっちの話じゃないよね」
結樹は独り言のようにそう呟き、少しだけ真剣な顔になった。もし本当に、紡樹陣営の仁王と、あの予言の欠片が繋がっているとしたら――考えを巡らせるほど、面白くなってくる。
「忌み子の物語、また一幕増えたわけだ。聴聞まで、あと六日……ちょうどいい。そろそろ僕も、次の台詞を考えておかないとね」
その独り言は、誰に届くこともなく、黒い鳥居の下に静かに溶けていった。
由緒管理機構の本部でも、同様の反応が記録されていた。鏑木彰は、深夜のデスクでモニターに映る波形を見つめ、小さく息をついた。
「また増えたか、隠れ古宮の由緒力……」
「聴聞、本当に予定通りで大丈夫なんですか」隣の席の同僚が声をかけてきた。「向こう、どんどん戦力を増やしてますけど」
「だからこそ、予定通りにやるべきなんです」鏑木は端末を閉じながら答えた。「変に先延ばしにすれば、それだけ向こうにも、こちらにも、余計な緊張が積み重なるだけですから」
同僚は肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。鏑木は窓の外、隠れ古宮のある方角に目をやり、小さく呟いた。
「六日後、か……。しっかり準備しておいてくださいね、豊田さん」
机の端に置かれた『正式聴聞のご案内』の控えを、鏑木はもう一度手に取った。上層部が何を基準に判断を下すのか、彼女自身にもまだ読めない。だが、これだけ真摯に由緒と向き合う探索者を、ただの前例扱いで切り捨てるようなことがあってはならない――そんな思いだけは、日に日に強くなっていた。




