第十二話 裏山への誓い
「紡樹さま!」
稲荷が血相を変えて駆けつけてきた――というのは少し語弊がある。実際には、紡樹のすぐ隣で話を聞いていたのだが、阿形と吽形が遅れて店の裏手から飛び出してきたのだ。
「闇の解釈派……!」
阿形が身構えると、結樹は両手を軽く上げてみせた。
「落ち着いて。今日は本当に、ただの世間話をしに来ただけだから」
「信じられるかよ、そんなの」
「まあ、信じなくてもいいけどさ」結樹は肩をすくめ、紡樹に向き直った。「裏山のこと、今すぐ暴くつもりはないよ。……でも、いずれ僕が先に辿り着く。それだけは覚えておいて」
「なんで、教えてくれたんだよ。黙ってた方が、あんたには都合よかったんじゃないの」
結樹は少し考えるように黙り込んでから、静かに答えた。
「隠されたままの物語は、嫌いなんだ。誰かに見つけて、語られて、初めて意味を持つ。……僕は、それを暴く役どころでありたいだけだよ」
「暴いた後は?」
「さあね」結樹は肩をすくめた。「その先の筋書きまでは、まだ書けてない。……もしかしたら、それを一緒に書く相手が、君なのかもしれないけどね」
「では、また会おう――歴史という名の舞台の上で!!」
言うが早いか、結樹は芝居がかった仕草で一礼しかけて、ふと動きを止めた。
「……いや、待って。今の、我ながらちょっとキメすぎたな」
「今更!?」
「一度乗ってしまうと、なかなか降りられないんだ、これが」結樹は気まずそうに頬をかいた。「――よし、仕切り直そう。またね、豊田紡樹」
「普通に言えるんじゃん……」
紡樹が半ば呆れて呟くと、結樹はにやりと笑った。
「油断させておいて、ここぞという時にまた爆発させるのが、僕の美学なんでね」
そう言い残し、今度こそ路地の闇へと溶けるように消えていった。夜の空気だけが、彼がそこにいた証のように、しばらく揺れていた。
紡樹たちは、しばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。
「……驚きました、今の」阿形が呟いた。
「危険な奴なのじゃ」稲荷が眉をひそめる。「でも……悪い人ではない、のかもしれぬのじゃ」
「そういえば」阿形が思い出したように言った。「さっき言ってた『語り部衆』って、結局何者なんですか?」
「僕も詳しくは知らない」紡樹は首を振った。「でも、結樹の他にも、何人かいるっぽいことは分かった。……みんな、それぞれ別々の『消された歴史』を背負ってるって」
「気味が悪いのじゃ」稲荷が腕を組む。「秘密主義な上に、正体不明の集団だなんてのう」
「戦うとしたら、厄介そうです」吽形が眉をひそめた。「相手の能力が読めないと、僕の防御も勘頼みになるのです」
「戦わずに済むなら、それが一番だけどね」紡樹は苦笑した。「今日みたいに、話すだけで済むなら」
「甘くありませんか、それ」阿形が突っ込む。
「甘いかもしれないけど」紡樹は少し考えてから続けた。「結樹の話し方、途中からは演技じゃなかった気がする。……あいつなりに、本気でやってるんだと思う」
紡樹は、結樹が最後に口にした「裏山」という言葉を、頭の中で繰り返していた。祖父に、確かめなければならないことができた。
その日の夜、紡樹はいつも通りスマホを境内に立てた。だが、コメント欄に映る数字は、もう「多い日でも三人」ではない。
「――今夜は予告通り、うちの狛犬について調べてみました」
紡樹は阿形と吽形の、まだ石像だった頃の写真を画面に映しながら話し始めた。
「狛犬って、実はもともと日本のものじゃないんです。起源をたどると、古代オリエントやインドのライオン像が、中国に伝わって『石獅子』になって、それが朝鮮半島を経由して日本に入ってきた、というのが定説です。しかも面白いのが、本来は『獅子』と『狛犬』は別の生き物として一対にされてたってこと。左側が獅子で口を開けた阿形、右側が本来の狛犬で、角が生えていて口を閉じた吽形――というのが、古い形式なんですよね」
「――というか、それ俺らの話じゃありませんか!?」
配信の後ろで、阿形が思わず声を上げた。紡樹は苦笑しながら続けた。
「で、ここからが本題なんですけど。この『阿吽』っていう対の概念、実は仏教用語なんです。梵字――サンスクリット文字の、最初の音『阿』と最後の音『吽』。すべての始まりと終わりを表すとされてます。つまり、神社の入り口を守る狛犬に、仏教由来の概念がそのまま当てはめられてるってことなんですよ。……本来、神道と仏教は別のもの、って教わりますけど。神社の一番目立つところに、こんなにはっきり神仏習合の跡が残ってるんです」
コメント欄が、これまでにない速さで流れていく。
――《まって、それ普通に授業でやってほしい》
――《狛犬、そんな成り立ちだったんだ……》
――《この人の配信、毎回勉強になるな》
紡樹は、画面の向こうの反応を見て、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。誰かに届いている。数の多さではなく、確かに届いている実感があった。
「あ、そうだ。今度、狛犬の兄弟にも直接出てもらおうかな」
背後で阿形と吽形が、揃って「え」と声を漏らしたのが聞こえた。
「今日はこのへんで。また明日……いや、明日は色々あるから、明後日かな。それじゃ、おやすみなさい」
配信を切った後も、コメント欄には温かい言葉がぽつぽつと残り続けていた。紡樹はしばらくその画面を眺めてから、ゆっくりとスマホをしまった。
配信を終えると、紡樹は朱印帳を懐にしまい、社務所へと向かった。結樹から聞いた話を、まだ祖父に伝えていなかったことを思い出したからだ。




