第十一話 黒衣の歌劇
近所のコンビニで買い物を終え、駐車場に出ると、そこに見覚えのある人影があった。黒っぽい服装、気だるげな立ち姿。
「――やあ」
松田結樹が、缶コーヒー片手に、ガードレールに腰掛けていた。
「なっ……結樹!?」
紡樹は思わず身構えた。だが、周囲を見回しても戦闘の気配はない。結樹はただ、静かにコーヒーを啜っているだけだった。
「そう警戒しないでよ。今日は、ただ話しに来ただけだから」
「話、って……」
「うん」結樹は缶を軽く掲げてみせた。「――君の由緒について、ね」
稲荷が紡樹をかばうように前に出ようとしたが、紡樹は手で制した。結樹の目に、敵意らしきものは見当たらない。少なくとも、今は。
紡樹が身構えたまま黙っていると、結樹はゆっくりと立ち上がり、缶コーヒーを近くのゴミ箱に放り込んだ。
「僕はね、豊田紡樹――ずっと、探していたんだ」
その声色が、不意に変わった。
「歴史の闇に葬られた、名もなき悲劇の続きを! 千年の沈黙を破る、たったひとつの真実の声を! そして今――ついに見つけた! この僕の前に姿を現した、忌み子と噂される少年よ!!」
「なっ……なに、その喋り方!?」
紡樹は思わず後ずさった。ついさっきまでの気だるげな態度はどこへやら、結樹は空に向かって両手を広げ、まるでオペラ歌手のように朗々と語り出している。頭の中では、荘厳なオーケストラでも鳴り響いているのだろうか。表情も、身振りも、まるで舞台の上に立っているかのようだった。
「あ、あの、結樹……?」
「――失礼」結樹はふっと我に返り、咳払いをひとつした。「取り乱した。……君の前だとどうも、こうなる」
「僕の前だと、って……いつもこうなの?」
「まさか。葵くんや宵ちゃんの前では、もっと静かにしてるよ。語り部衆の連中の前でも、ね」結樹は気まずそうに視線を逸らした。「ただ、君は……なんていうか、僕がずっと追いかけてきた物語そのものみたいでさ。抑えが利かなくなるんだ」
「迷惑なんだけど……」
「奇遇だね、僕もそう思ってる」
結樹はけろりと言って、また元の気だるげな調子に戻った。稲荷が半歩下がり、小声で「……変な御仁なのじゃ」と呟いたのが聞こえたのか、結樹はわずかに口の端を上げた。
「――で、本題だけど」結樹はポケットから、あの巻物の切れ端を取り出した。「君の家の由緒には、隠されてる部分がまだあるはずだ。裏山に、何か埋まってるって話、聞いたことない?」
紡樹の心臓が跳ねた。祖父から聞いた、五代前の先祖が本尊を埋めたという話――誰にも話していないはずなのに。
「なんで、それを……」
「やっぱりね」結樹は満足げに頷いた。「実はさ、僕には人柱とか、消された歴史とか、そういうものの気配を感じ取る力があるんだ。人柱っていう風習、知ってる? 城とか堤防とか橋の工事のとき、人を生きたまま土台に埋めて、神への捧げものにしたっていう伝承」
「知ってるよ、それくらい」
「実際にあったかどうかは、考古学的にはほとんど確認されてないんだけどね。でも、たとえば松江城の築城には、人柱にされた娘の伝説が今も残ってる。その娘の霊を弔うために盆踊りをすると、なぜか天守が揺れたっていう言い伝えもある。……大事なのは、あったかどうかじゃない。人々が、それを『あった』と信じて、語り継いできたことなんだ」
紡樹は、思わず聞き入ってしまった。
「僕が力にしてるのは、そういう祟りの記憶でもある。たとえば、菅原道真――太宰府に左遷されて、恨みを抱いたまま亡くなった後、都では雷や疫病が相次いだ。人々はそれを道真公の祟りだと恐れて、北野天満宮に祀って鎮めようとした。……祟り神を、鎮めるために神様として祀り上げる。それも、立派なひとつの『歴史の解釈』なんだよ」
「祟りを鎮めるための神格化、か……」
「出雲大社なんかも、根っこは似た発想だよ」結樹は続けた。「国譲り神話――大国主神が、自分の国を天孫に譲り渡す代わりに、盛大に祀ってもらう約束を取り付けた、という話だ。敗れた者、追いやられた者を、丁重に祀ることで鎮め、味方につける。……この国の信仰は、昔からずっと、そうやって『負けた側』と折り合いをつけてきたんだ」
「怖がって終わりにするんじゃなくて、ちゃんと向き合って、居場所を与える。案外、君のやってることと近いのかもしれないね」
結樹は自嘲気味に笑った。
「お前の家の裏山からも、それに似た気配がする。何か大事なものが、ずっと埋められたままになってる。……たぶん、悲劇じゃない。誰かが、必死に守ろうとした何かだ」
「守ろうとした、って……」
「廃仏毀釈のとき、仏像を土の中や床下に隠して、破壊から守った寺や家は、全国にいくつも記録が残ってる。お前の先祖がやったことも、その中のひとつなんだろうね。……僕が集めてるのは、そういう『守られた歴史』でもあるんだ。虐げられた記録だけが、僕の仕事じゃない」
「なんか、意外」紡樹は正直に言った。「もっと、暗いことばっかり調べてる奴かと思ってた」
「暗いことしか調べてないよ」結樹は肩をすくめた。「守られた歴史だって、裏を返せば『守らなきゃいけないほど、壊されかけた歴史』ってことだ。……明るい話なんて、僕の周りにはひとつもない」
その言い方には、これまでの芝居がかった調子とは違う、どこか静かな実感がこもっていた。紡樹は、何と返せばいいか分からず、ただ黙って結樹を見つめた。
「結樹はさ」紡樹はしばらくしてから、ぽつりと口を開いた。「歴史を、悲劇として覚えていたいの? それとも――」
「それとも?」
「僕はさ、覚えているだけじゃ、足りないと思ってる。覚えた上で、ちゃんと今に繋げて、これから先へ紡いでいきたいんだ。……結樹は、悲劇を悲劇のまま、大事に抱え続けたいように見える」
結樹は一瞬、虚を突かれたような顔をした。それから、皮肉っぽく口の端を上げる。
「――紡ぐ、か。いかにも君らしい発想だ」
「悪い?」
「悪くはないさ。ただ、僕には眩しすぎる」結樹は空を見上げた。「忘れられた悲劇を、ただ美しい未来の踏み台にされるのは、僕は好きじゃない。悲劇は悲劇のまま、きちんと悲劇として語られるべきだ。……そこだけは、たぶん僕らは、一生分かり合えないと思うよ」
「かもね」紡樹も、それ以上は無理に言い返さなかった。「でも、話すのは嫌いじゃなかった」
「僕もだよ」




