第九話 由緒管理機構、動き出す
「紡樹、大丈夫なの!? さっき、庭からすごい音が……」
母が血相を変えて駆けつけてきた。「怪我は? ねえ、その人たち、誰だったの?」
「平気だよ、母さん。ちょっと、来客があっただけ」
母の後ろから、父が黙って様子を窺っていた。何も言わず、ただ小さく頷いただけだったが、紡樹はその視線に、いつもと違う何かを感じた気がした。まるで、驚いてはいるが、どこか誇らしくもある――そんな複雑な色を宿した目だった。
一部始終を、少し離れた木立の陰から見つめる影があった。
「へえ……」
松田結樹は、口の端を吊り上げた。
「両部の理、か。教科書通りの知識を、まさか実戦で振るうとはね。……悪くない。悪くないよ、豊田紡樹」
彼は懐から、あの巻物の切れ端を取り出し、もう一度目を落とした。「失われた片方が還る日、境界は再び結ばれ、忌み子は――」
「続きが気になるなあ。……ねえ、豊田紡樹。君はもしかして、常宮が必死に隠してきた“あの時”の記録と、何か関係があるんじゃないか? だとしたら――僕が先に、君の由緒を暴いてあげるよ。誰よりも先に」
結樹は喉の奥で低く笑うと、巻物の切れ端を大事そうに懐にしまい直した。「よし、決めた。次は、僕が話しかけに行こうかな」
結樹が姿を消すのと入れ替わるように、隠れ古宮の鳥居の前に、黒塗りの公用車が一台、静かに停まった。降りてきたのは、由緒管理機構の腕章をつけた、見慣れぬ人物だった。
「――失礼します。由緒管理機構、現地調査班の者です。豊田紡樹さん、いらっしゃいますか」
紡樹は座り込んだまま、その声の方を振り返った。まだ息も整っていないというのに、休む間もなく、次の来訪者がやって来たらしい。
「……はあい。ここに、います」
顔を上げると、そこに立っていたのは、眼鏡をかけた、まだ若い女性だった。名刺を差し出しながら、彼女は淡々と名乗った。
「由緒管理機構、特別調査官の鏑木彰と申します。……随分と、賑やかな朝だったようですね」
鏑木と名乗った調査官は、崩れた鳥居の残骸や、焦げた地面の跡に目を走らせながら、小さくため息をついた。
「詳しいお話、聞かせていただけますか。豊田さん――いえ、これからは、こうお呼びした方がよさそうですね。『隠れ古宮』の、代表適性者さん」
「あ、はい……えっと、その、今起きたことについてですよね」
鏑木は懐から小型の記録端末を取り出し、淡々と操作しながら言った。
「機構としては、あなたを直ちにどうこうするつもりはありません。ただし、これだけは伝えておきます。……両属性の同時発現は、統計上、極めて稀な――というより、正式な記録が残っている限り、過去に一例しかありません」
「一例……」
紡樹の胸が、どくりと鳴った。祖父や、葵たちの口から何度も出てきた、あの「かつて習合を成し遂げた者」の話と、繋がっているのだろうか。
「詳細は機密指定されていて、私にも開示されていません。ですが」鏑木は紡樹の目をまっすぐに見た。「その一例が、今どうなっているのか――誰も知らない、ということだけは申し上げておきます」
沈黙が落ちた。境内に、朝の光が眩しく差し込んでいる。
「今日のところは、定期観察対象として登録させていただきます。次に来る時は、正式な聴聞のご案内になるかもしれません」
鏑木はそう言って、名刺をもう一枚、祖父の方にも差し出した。
「何かあれば、いつでもご連絡を。……個人的には、応援していますよ。あなたのその配信、実は少し前から見ていましたので」
「聴聞、というのは……その、僕、何かの罪に問われるんですか」紡樹が恐る恐る尋ねると、鏑木は首を横に振った。
「今のところは、あくまで観察対象です。ただ、上層部が今回の件をどう扱うかは、正直、私にも読めません。何しろ、前例がほとんどない話ですから」
「ちなみに」鏑木は端末をしまいながら、思い出したように付け加えた。「先ほどの戦闘、律儀に配信されていましたね。……ご存知でしたか? 適性登録者の端末には、『発動配信システム』というものが自動で組み込まれます。由緒力の発動を検知すると、記録と同時に、公式の配信網へ自動で中継される仕組みです」
「え、そんなの聞いてない……」
「昨夜、登録が完了した時点で、規約に同意したことになっていますので」鏑木は小さく肩をすくめた。「事故や乱用を防ぐための、公的な証拠保全措置です。……ただ、副次的に、視聴者の応援が探索者の力を底上げする、という報告も上がっています。あなたの場合、それが結果的に功を奏したのかもしれませんね」
紡樹は言葉を失った。あの土壇場で押し返せた理由のひとつが、まさか制度の裏付けのある話だったとは、思ってもみなかった。
鏑木は小さく微笑み、公用車へと戻っていった。エンジン音が遠ざかっていくのを見送りながら、紡樹は呆然と立ち尽くす。
「同時接続、十七人だと思ってたのに……勝手に配信されてたのか」
紡樹は自動で続いていた配信を、ようやく手動で止めた。コメント欄には、見たこともない量の言葉が並んでいた。
――《は!? 今の何? まって嘘でしょ》
――《配信中に本物のバトルとか草も生えない》
――《この人、絶対応援する。チャンネル登録した》
たった一晩で、紡樹の世界は、竹箒を握って参道を掃くだけの毎日から、大きく動き出していた。三陣営、由緒管理機構、そして――まだ見ぬ、闇の解釈派。すべてが、この小さな神社に、否、隠れ古宮に、集まろうとしていた。
長い一日は、まだ終わりそうになかった。




