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呼吸する殺意と、次なる死地

始まりの広場から、俺は迷うことなく真っ直ぐに武器屋へと向かった。

 無人の店内に置かれた木箱の奥。昨日までなら見向きもしなかった埃まみれの隅っこに、そいつは静かに立てかけられていた。


鞘もない、ひどく錆びついた一本の打刀。

 数ヶ月間、俺の血と泥と執念を吸い込み続けて消えた、あの『無銘の錆刀』と全く同じ初期配置のガラクタだ。

 俺はそいつを手に取り、真っ白なパンツ一丁の姿で店を出た。


絶望は、確かにある。

 だが、不思議と足取りは軽かった。ゼロからのやり直し。それは確かに地獄だが、今の俺には「道筋」が完全に見えている。

 それに何より、俺の帰りを……俺が明日も生きていることを、当たり前のように信じて待っている人間がいる。


宿屋の裏手へ回ると、アリアが洗濯物を干しているところだった。


「……おはよう、アリア」


「うわっ、びっくりした! ちょっと、また変なとこから声かけないでよ。……って、あんた、少し顔色マシになったじゃない」


呆れたように腰に手を当てる彼女を見て、俺の口角が自然と上がる。


「あぁ。またゼロから、拾い直してきた。……行ってくる」


「そう。怪我しないようにね。夕方には戻りなさいよ、パンが固くなるから」


その何気ない小言を背中に受けながら、俺は街の鍛冶屋へ向かった。

 砥石に水を打ち、錆びた刀身を無心で削る。

 かつての俺なら指の皮を破っていた作業も、今ではどの角度で、どれだけの力を込めれば最速で刃が仕上がるのか、体が完全に記憶している。


研ぎ上がった刀を提げ、街道を歩く。

 森の入り口。あの忌々しい水色の弾丸が、茂みから跳ねる。

 だが、今の俺にとって、スライムの死角など止まっている的と何ら変わりはない。


足を止める必要すら、なかった。


すれ違いざま、呼吸をするのと同じ自然さで、ただ腕を振る。

 極限まで研ぎ澄まされた静止の世界の中で、刃が正確に粘液の奥の核を捉え、両断する。

 振り返ることもなく歩き続ける俺の後ろで、スライムが霧散する音が弾けた。


湿原に到達し、巨大なトカゲの顎を潜り抜け、鱗の隙間を的確に削ぐ。

 +1の強化値を得て、街へ戻る。


「ただいま」

「おかえり。パン、そこ置いとくわよ」


アリアの焼いた固いパンをかじり、彼女の他愛もない愚痴を聞く。

 そして日が落ちると、俺は街外れの街道脇へ行き、躊躇いなく自分の首に刃を当てた。


一息に切り裂き、血飛沫と共に意識を刈り取る。

 翌朝、広場で目覚め、死体から刀を回収する。

 アリアに挨拶し、刀を研ぎ、息をするようにスライムを殺し、トカゲを解体する。

 街へ戻り、アリアの顔を見て、死ぬ。


恐ろしいほどに洗練された、狂気のルーティーンだった。

 初めの頃に感じていた死への恐怖や、痛覚への怯えは、削ぎ落とされてどこかへ消え失せていた。

 アリアとの会話だけが、俺が「ただの殺戮と自殺の機械」に成り果てるのを防ぐ、唯一の安全装置だった。


どれだけの時間が過ぎたか。

 数十回、あるいは百回を超える死と解体を繰り返し。

 ついに、トカゲの核を貫いた刀身が、ひときわ強い光を放った。


【『無銘の錆刀』が強化されました(+20)】


刃こぼれ一つない、暴力的なまでの鋭さを秘めた鉄の輝き。

 ようやく、失った時間を取り戻したのだ。


「……終わったぞ」


泥まみれの湿原で、俺は深く息を吐き出した。

 だが、トカゲの死体が霧散した後、再び同じ場所にリスポーンしたトカゲを倒しても、刀が光を吸い込むことはなかった。

 +20。これが、この湿原の番人から得られる経験値の限界だ。

 これ以上の強化を望むなら、新たな死地を探さなければならない。


◆ ◆ ◆


その夜、自殺の前に立ち寄った酒場の裏口で、俺は冒険者風の男たちがこぼす愚痴を耳にした。


「……あんなの、どうやって通れって言うんだよ」

「西の『嘆きの谷』だろ? あそこに棲み着いてる四つ目の魔狼、完全に初見殺しじゃねぇか。魔法を撃とうにも、詠唱の前に影から首を刈り取られるんだぜ」


嘆きの谷。四つ目の魔狼。

 間違いなく、大トカゲよりも遥かに格上のネームドモンスターだ。

 次の標的は、決まった。


俺は宿へ戻り、カウンターを拭いているアリアに声をかけた。


「アリア。明日から、少し西の方へ行ってみる」


「西? 嘆きの谷の方? あんたバカね、あそこは強烈な魔物が出るって噂じゃない。その……パンツ一丁で行くような場所じゃないわよ」


「わかってる。だが、行かなきゃならないんだ」


俺の言葉の重みを感じ取ったのか、アリアは少しだけ目を伏せ、手元の布巾をきつく絞った。


「……そう。なら、止めないわ。でも……ちゃんと帰ってきなさいよ」


「あぁ。約束する」


俺は小さく笑い、宿を出て、いつもの街道脇で静かにその日最後の「リセット」を完了させた。


翌朝。

 +20の刀を死体から回収した俺は、未知の領域である西の谷へと足を踏み入れた。

 険しい岩肌と、昼間でも薄暗い霧が立ち込める不気味な谷底。

 そこで俺は、魔狼と遭遇するよりも先に、予想外の光景を目にすることになる。


「ひっ……あ、来ないで……っ、誰か……!」


岩の陰で魔物の群れに追い詰められ、銀色の髪を振り乱して震えている、一人の小柄な少女の姿を。

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