十万年の残夢と、建国のための『協定』
魔境豊穣祭の初日は、熱狂のままに夜を迎えた。
空には、色鮮やかな魔法花火が次々と打ち上がり、地上の喧騒を優しく照らし出している。
バルコニーから逃げ出した俺は、結局屋根の上でパンイチのまま夜風に吹かれていたが、いつの間にかセレーナ、アリア、リナの三人に発見され、今は四人並んで夜空を見上げていた。
「綺麗ですわね、ハルト様」
「あんたが作った花火にしては、悪くないわね」
「ハルトさんと見る花火……私、一生忘れません」
三人は俺の隣で、それぞれの想いを胸に夜空を見つめている。
こうして平和な景色を誰かと共有できる日が来るなんて、血と絶望に塗れた10万年のループの中では、想像すらできなかった。
「……ああ。そうだな」
俺はパンイチの膝を抱えながら、静かに頷いた。
この何気ない夜が、彼女たちの魂の奥底に眠る「パンドラの箱」を開ける引き金になるとは、この時の俺は知る由もなかった。
◆ ◆ ◆
その日の深夜。
セレーナ、アリア、リナの三人は、それぞれの自室のベッドで、全く同じ『夢』を見ていた。
『――逃げろ、セレーナ!!』
視界を埋め尽くすほどの、巨大な魔獣の群れ。
毒の沼に沈んでいくアリアの悲鳴。
無惨に引き裂かれるリナの絶望。
そして、その絶対的な死の運命を覆すために、何度殺されても、何度腕を引きちぎられても、血反吐を吐きながら立ち上がる一人の男の背中。
『俺が、絶対にお前たちを守る……! 何万回やり直したって、俺が絶対に……っ!』
現実の枠組みを超えた、バグのような執念。
彼が死ぬたびに世界はリセットされ、また同じ絶望が繰り返される。
その途方もないループの全てを、彼女たちは夢の中で「追体験」していた。
彼がどれほどの痛みを伴って自分たちに微笑みかけているのか。彼がどれほどの孤独を抱えながら、あの無敵の力を手に入れたのか。
――九条 春人。
彼が一度だけこぼした、その本当の名前の重さが、魂に直接刻み込まれる。
「「「……っ、はぁっ、はぁっ……!!」」」
夜明け前。
三人は全く同じタイミングで、滝のような汗と涙を流しながら跳ね起きた。
夢ではない。これは、彼が一人で背負い続けてきた「真実の歴史」だ。現実とゲームの境目は完全に崩壊し、彼女たちの中にあった『好意』や『独占欲』は、もはやそんな生易しい言葉では表せない次元へと変異していた。
彼なしでは、呼吸すらできない。
彼に全てを捧げなければ、この魂が狂ってしまう。
三人は何かに導かれるように自室を飛び出し、夜明け前の薄暗い談話室で顔を合わせた。
言葉を交わす必要はなかった。互いの赤く腫れた瞳と、そこに見え隠れする常軌を逸した「重すぎる執着」を見れば、同じ記憶を共有したことは一目瞭然だった。
◆ ◆ ◆
「……見ましたのね、お二人とも」
セレーナが、震える声で沈黙を破った。
「ええ……。私、あんな……あんなにボロボロになってまで……っ、ハルトが……っ」
アリアは両手で顔を覆い、再びポロポロと涙をこぼした。
「ハルトさん……私のために、何万回も……っ。あぁ、どうしよう……愛おしくて、申し訳なくて、今すぐハルトさんの全部を私の中に閉じ込めてしまいたい……っ」
リナは自分の体を抱きしめながら、焦点の定まらない瞳で悦楽と絶望の入り混じった笑みを浮かべている。
今までのように「誰が一番ハルトの隣に相応しいか」などと牽制し合っている場合ではない。
10万年分の借りと、底なしの愛。
これをハルトに返すためには、もはや生半可な繋がりでは足りないのだ。
「……感情のままに動いては、あの方はまた風のように逃げてしまいますわ」
セレーナが、知性を総動員して自らの狂いそうな感情を制御し、扇子をパチンと広げた。
「あの視察団の反応を見てもわかる通り、この街はもう一つの『国』として世界から認識されようとしています。あの方が望むスローライフを永遠に守り抜くためには、この地を正式な独立国家として盤石なものにする必要がありますわ」
「国に……? でも、それとハルトを私たちのもとに縛り付けることに、何の関係があるのよ?」
アリアが涙を拭いながら問う。
「国というものは、領地と民、そして圧倒的な力だけでは成立しません。……国として未来永劫存続するためには、『王の血脈』……すなわち、建国の勇者であるハルト様の『血筋を引く者』が必要不可欠なのです」
セレーナのその言葉に、談話室の空気がピタリと凍りついた。
血脈。血筋を引く者。
それはつまり。
「ハルトさんの……赤ちゃん、ですか……っ?」
リナの頬がカァッと朱に染まり、しかしその瞳にはゾッとするほどの熱情が宿る。
「そうですわ。この街を国にするため。……そして何より、あの方と私たちを『絶対に逃れられない運命』で永遠に繋ぎ止めるため。建国という大義名分のもと、子作りを行うのです」
セレーナの理路整然とした、しかし完全に狂気を孕んだ提案。
普段なら「はしたない!」と怒るはずのアリアも、今は自分の唇を舐め、ゾクゾクとするような笑みを浮かべていた。
「……なるほどね。ハルトは強いけど、押しには弱いわ。私たち三人が争っているから、隙を突いて逃げられるのよ」
「ええ。胃袋も、頭脳も、安らぎも……全てで退路を塞ぎ、外堀を完璧に埋め尽くすのですわ」
「ふぇぇ……三人で協力すれば、ハルトさん、もう一生……ベッドの上から逃げられませんね……」
三人のヒロインたちは、夜明けの光が差し込む談話室で、硬く手を握り合った。
最強のパンイチ領主を捕獲し、その全てを搾り取るための『建国(子作り)協定』。
魔境が世界一の楽園へと発展していく裏側で。
ハルトの貞操は、10万年分の激重感情を抱えた三人の結託により、かつてない究極の危機を迎えようとしていた。




