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ノイズの咆哮と、パンイチの暗躍者

ハルト伯爵領は、今日も信じられないほどの活気と平和に包まれて一日を終えた。

 昼間はガンツの「黄金のリンゴ」の噂を聞きつけた入植者たちで溢れかえり、夜になれば『黎明の宿』から漂うアリアの特製スープの匂いに、街中が幸せなため息をつく。

 領主の館の執務室では、セレーナが「完璧な収支報告書」を前に満足げな微笑みを浮かべ、俺の自室のドアの前では、リナが「夜這い……じゃなくて、夜の警護ですぅ」と言い張りながら布団を敷いて寝ずの番をしている。


そんな賑やかすぎる日常からようやく解放され、俺は自室の鍵を二重に閉めた。


「……はぁ、今日も疲れたぜ」


王都仕込みの窮屈なシャツを引きちぎるように脱ぎ、ズボンを蹴り飛ばす。

 真っ白なトランクス一丁。完全なるパンイチ。

 この肌で直接空気を味わう解放感こそが、俺にとっての真の『スローライフ』だ。ベッドにダイブし、ようやく訪れた一人の時間を満喫しようと目を閉じた、その時だった。


――ジジッ、……ギギギッ。


空間が、不快なノイズを立てて歪む感覚。

 並の魔法使いや冒険者なら絶対に気づかない、世界の『裏側』がバグを起こしたような奇妙な震えだった。

 俺は跳ね起き、窓から夜の魔境を見下ろした。

 『星脈の結界石』が張られた絶対安全圏のずっと外側、領地から数十キロ離れた荒野のど真ん中に、空間そのものを切り裂くような、どす黒い「亀裂」が走っているのが見えた。


「……システムエラーによる強制スポーンか。最悪だな」


10万年のループの中で、俺は何度もアレを見てきた。

 世界が処理しきれなくなった矛盾や、蓄積された瘴気が限界を超えた時、物理法則や魔法の概念を完全に無視した『隠しボス(バグモンスター)』が強制的に生み出される現象だ。

 放置すれば、結界すら無視して空間ごと街を喰い荒らす理不尽の化身。


「せっかくのパンイチタイムに、邪魔しやがって……」


俺は深いため息をつき、ドアの前でスヤスヤと眠るリナを起こさないよう、窓から音もなく夜の闇へと飛び出した。


◆ ◆ ◆


――【ERROR. INVALID_ENTITY.】

――【DELETE. DELETE. DELETE.】


領地の外れ。

 そこには、生物の形をしていない、赤黒いデジタルのようなノイズの塊が蠢いていた。

 空間そのものを削り取りながら巨大化し、その無機質な咆哮だけで周囲の岩山がドロドロと「データ消失」のように崩れ去っていく。

 通常の物理攻撃はすり抜け、魔法攻撃はエラーとして無効化される。国が軍隊を出しても数秒で消滅させられる、正真正銘の「存在してはならない敵」だ。


「……相変わらず、気味の悪い見た目してんな」


俺は空からふわりと降り立ち、そいつの目の前に立った。

 夜風が、俺の素肌と白いトランクスを撫でる。

 化け物は、パンイチの俺を『排除すべき異物』と認識したのか、あらゆる概念を消去する赤い閃光を無数に放ってきた。


「悪いが、この街には俺の好きな美味い飯と、うるさいけど大切な仲間たちがいるんだ。こんなバグに、俺の安眠を邪魔されてたまるかよ」


俺は飛んでくる閃光を、ただの裏拳でハエでも払うように弾き飛ばした。

 そして、インベントリから『修羅の籠手+99』だけを取り出し、右手に装着する。

 バグには、バグ以上の理不尽をぶつけるしかない。

 防御力を攻撃力に変換し、それを天文学的な数値で乗算する。俺の10万年分のステータスを乗せたその一撃は、もはやシステムの許容範囲を完全にオーバーフロウさせている。


「消えろ」


俺は無造作に、その赤黒いノイズの中心に向かって、渾身の右ストレートを放った。


ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!


音が消えた。

 いや、あまりに巨大な衝撃と魔力の奔流によって、周囲の空間から「音」という概念そのものが一時的に消滅したのだ。

 俺の拳から放たれた圧倒的な暴力は、化け物のノイズを物理的に粉砕し、バグった空間ごと強引に「正常な状態」へと書き換えていく。


――【ERR... OR...】


悲鳴すら上げることもなく、理不尽な隠しボスは一瞬にして光の粒子となり、夜空へと溶けて消え去った。

 後に残ったのは、異常なまでに綺麗に整地された巨大なクレーターと、静かな夜風だけだ。


「よし、バグ掃除完了。……誰にも見られてないな」


俺は籠手を外し、パンイチのままぐるりと周囲を見渡した。

 街の方は、結界のおかげで衝撃も音も届いていないらしく、平和な静寂を保っている。

 英雄として持ち上げられるのも、領民に感謝されるのも、昼間の領主業だけで十分だ。

 こういう理不尽な世界の裏側の掃除は、夜中にこっそり、誰にも知られずにパンイチで片付けるに限る。


「さて、湯冷めする前に寝るとするか」


俺は再び空を蹴り、音速を超えて自分のベッドへと帰還した。

 窓からこっそり部屋に戻り、ドアの隙間から外を覗くと、リナが毛布にくるまりながら「……ハルトさん、えへへ……」と幸せそうに寝言を呟いていた。


明日もまた、アリアの美味い飯を食い、セレーナの完璧な頭脳に頼り、リナの甘やかしを適度に躱しながら、平和なスローライフを送るために。

 世界で一番強いパンイチの領主が、夜の闇で街を守っていることなど、誰も知る由はなかった。

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