区画整理と、街の心臓を握る少女
魔境に「ハルト伯爵領」が誕生してから、わずか数週間。
伝説の肥料による無限の食料、底なしの鉱脈、そして絶対安全の城壁。この規格外すぎる噂は瞬く間に世界中を駆け巡り、難民や商人、果ては他国の没落貴族までもが、この新天地へと雪崩れ込んできていた。
「ハルト様、現在の総人口が三万人を突破いたしました。そろそろ、本格的な『区画整理』を実施するべきかと存じます」
領主の館の執務室で、セレーナが山積みの書類を前に優雅に扇子を揺らした。
「区画整理? 適当に空いてる場所に住まわせればいいんじゃないか?」
「それではいけませんわ。人は、衣食住が満たされると次に『派閥』を作る生き物です。北の寒冷地出身の者たち、東の商業都市から逃げてきた者たち……文化も価値観も違う彼らを無作為に混ぜれば、いずれ必ず摩擦が起きます」
セレーナは理知的な瞳で俺を真っ直ぐに見据えた。
「ですので、出身地や文化圏ごとに居住区画を分け、それぞれの区画から『まとめ役』を一名ずつ選出させます。彼らに自治権の一部を与え、揉め事はまずその中で解決させるのです。そうすれば、領主である貴方の手を煩わせることはありませんわ」
「なるほど。流石は俺の頭脳だな、完璧だ。……それなら、俺はもっと部屋でダラダラしてても問題ないわけだ」
「……ええ、貴方はそうしてドカッと構えていてくだされば結構です。細かい事務は、全てこのわたくしが完璧に処理してご覧に入れますから」
セレーナはどこか嬉しそうに微笑み、さらなる書類の決済へと戻っていった。
◆ ◆ ◆
セレーナの施策は驚くほど上手く機能した。
出身地ごとに分けられた区画は、それぞれが独自の文化を保ちながら発展し、各区画のまとめ役たちが連携することで、街全体の治安は信じられないほど安定したのだ。
だが、そんな多様な文化を持つ三万人の領民たちが、唯一「全員共通」で心を一つにする場所があった。
街の中央広場に面して建てられた、巨大な酒場兼食堂――『黎明の宿・魔境支店』だ。
「はい、お待たせ! 東区画のまとめ役さんには、特製の角煮丼ね! そっちの冒険者たち、お酒は一人三杯までって言ったでしょ!」
厨房から響く、アリアの明るく張りのある声。
夕時になれば、過酷な開拓作業や冒険を終えた領民たちが、こぞってこの食堂へと押し寄せる。
アリアの作る料理は、高級食材を使っているわけではない。だが、その素朴で温かい味は、故郷を失い、魔境という最果てに流れ着いた彼らの凍えきった心を、優しく、力強く溶かしていった。
「アリアちゃんの飯を食うと、明日も頑張ろうって思えるんだよなぁ」
「ああ。領主様がこの街の『頭』なら、アリアちゃんはこの街の『心臓』だぜ」
男たちが豪快に笑い合いながら、温かいスープを飲み干す。
美味しいご飯と、アリアの裏表のない明るい笑顔。それは間違いなく、急速に膨れ上がったこの街を繋ぎ止める、最強の精神的支柱となっていた。
◆ ◆ ◆
その夜。
俺もまた、日課となった夕食をとるために『黎明の宿』の奥にある領主専用の特別席に座っていた。
「はい、ハルト。今日はあんたの大好きな、ホーンラビットの香草焼きと特製スープよ。最近、ちゃんと寝てないんでしょ? しっかり栄養つけなさい」
アリアがエプロン姿のまま、テーブルいっぱいに湯気を立てる料理を並べていく。
ポニーテールを揺らしながら、俺の顔を覗き込む彼女の瞳には、昔から変わらない世話焼きな親愛……いや、それ以上に、俺の生活のすべてを管理したいという、微かな独占欲が滲んでいた。
「悪いな、アリア。お前の飯がなきゃ、俺はとっくに干からびてるよ」
「……っ、ば、馬鹿なこと言ってないで、早く食べなさいよ! 冷めちゃうでしょ!」
アリアが顔を赤くしてそっぽを向いた、その時だった。
「あら。ハルト様の健康管理は結構ですが、塩分が少し多すぎるのではなくて?」
涼やかな声と共に、セレーナが優雅な足取りで特別席へとやってきた。
彼女は俺の向かいの席に、当たり前のような顔をして腰を下ろす。
「ハルト様、今日の区画整理の報告書ですわ。お食事をしながらで構いませんので、わたくしの説明を聞いていただけますか? 貴方の『頭脳』として、夜のこの時間も有意義に使わせていただきますわ」
「ちょっと、セレーナ! 食事中に仕事の話なんて非常識よ! ハルトの胃が休まらないじゃない!」
「胃袋を満たすだけの単純な思考では、この巨大な街は回せませんわ、アリアさん。ハルト様には、わたくしとの知的で高尚な時間が必要なのです」
アリアとセレーナの視線が交錯し、パチッ、と見えない火花が散る。
二人の間に流れる空気は、明らかに普通の「知り合い」のそれではない。お互いが無意識のうちに抱える、10万年分のバグめいた執着が、静かに、けれど確実に牽制し合っている。
「あ、あの……! ご、ごめんなさい、私……遅れちゃって……っ」
そこへ、大きな杖を抱えたリナが小走りで駆け寄ってきた。
彼女はアリアやセレーナのように堂々と向かいに座ることはせず、俺のすぐ隣――腕が触れ合うほどの至近距離にちょこんと座り込み、俺の服の裾をぎゅっと握った。
「ハ、ハルトさん……。私、今日も一日、皆さんの怪我を治してきました。えへへ……。あの、ご飯を食べ終わったら、私がハルトさんに『疲労回復の魔法』をかけてあげますね。……ハルトさんの背中のお世話は、私の役目ですから……」
上目遣いで、俺にだけ聞こえるような甘ったるい声で囁くリナ。
その瞬間、アリアとセレーナの目がスッと細められ、室内の温度が急激に下がったような気がした。
「……リナ。あんた、最近ちょっとハルトに近すぎじゃない?」
「ええ。回復魔法など、少し離れた場所からでもかけられるはずですわよね?」
「ふぇぇ……っ。で、でも、ハルトさんの隣は……絶対に、譲りません……っ」
リナは震えながらも、俺の裾を握る手だけは絶対に離そうとしなかった。
胃袋を支配しようとするアリア。
頭脳として全権を握ろうとするセレーナ。
隣という物理的な特等席に依存するリナ。
三者三様の、異常なほど重たい矢印が俺一人に突き刺さっている。
街の喧騒から隔離されたこの特別席だけが、息苦しいほどの静かな修羅場と化していた。
(……あー、早く部屋に帰ってパンイチになりてぇ……)
バチバチと火花を散らす三人の美少女を前に、俺はただ無心で、アリアの作った極上のスープを胃袋へと流し込み続けるのだった。




