規格外の公共事業と、湧き上がる熱狂の湯
冒険者ギルドの誘致が決定し、魔境の開拓は次なるフェーズへと移行していた。
急激に増え続ける人口と、これから押し寄せるであろう商人や冒険者たちのために、外部の領地とこの街を繋ぐ「巨大な街道」の整備が急務となったのだ。
「――というわけで、本日は領民総出での土木工事となります。ハルト様も、領主として皆の士気を高めるお言葉をお願いいたしますね」
完璧にまとめられた工程表を手に、セレーナが優雅に微笑む。
俺は執務室で渋々着せられた上等なシャツの袖をまくり上げながら、大きく溜息をついた。
「言葉で士気が上がるなら苦労はしないさ。まあ、見回りくらいはしてやるよ」
城壁の外に出ると、そこには数千人規模の領民たちがツルハシやスコップを手に、汗泥に塗れて働いていた。
彼らの顔に悲壮感はない。むしろ「働けば絶対に腹いっぱい食べられる」という絶対的な生活保障があるため、誰もが目を輝かせて開拓に精を出している。魔法を使える者は岩を砕き、力自慢の男たちは大木を切り倒して道を切り拓いていた。
だが、俺から見ればその光景は、あまりにも「遅すぎた」。
「……ハルトさん、皆さんとっても頑張っていますね。私も、回復魔法で皆さんの疲れを癒してきます……っ」
隣を歩いていたリナが、杖を握りしめながら健気に言う。彼女は本当に働き者で、領民たちからも「聖女様」と呼ばれて慕われ始めていた。
だが、このペースで街道を王国の国境まで繋ぐとなれば、数ヶ月、いや数年はかかるだろう。
俺のスローライフ計画において、そんな無駄な時間は一秒たりとも許されない。
「リナ、お前は少し下がってなさい。……みんな、作業を一旦止めて道を開けろ!」
俺が声を張り上げると、領民たちは不思議そうな顔をしながらも、慌てて左右に道を開けた。
俺は開かれた未舗装の荒野のど真ん中に立つと、窮屈なシャツのボタンを引きちぎるように外し、バサリと地面に投げ捨てた。
上半身裸。下半身はズボンを穿いているが、心意気は完全にパンイチだ。
「ハ、ハルト様!? まさか、またご自身で何かされるおつもりですか……!?」
セレーナが扇子で口元を覆いながら青ざめるが、俺はもう止まらない。
「数ヶ月も泥まみれになって道を作るなんて、非効率にも程がある。俺が『一瞬』で終わらせてやる」
俺は右足を引き上げ、大地に向けて、渾身の力を込めた「踏みつけ」を放った。
ズッドォォォォォォォォォォォォンッ!!!
その瞬間、大地震でも起きたかのような凄まじい轟音が響き渡り、大地が悲鳴を上げた。
俺の足元から放たれた物理的な衝撃波が、前方にあった岩山、枯れた森、起伏の激しい荒野のすべてを「粉砕」しながら、地平線の彼方まで一直線に突き進んでいく。
巻き上げられた土煙が晴れた後。
そこには、王国の国境まで真っ直ぐに続く、幅百メートルを超える「完全に平坦に押し固められた巨大な大通り」が完成していた。石畳を敷き詰めたかのように硬く、滑らかな完璧な街道だ。
「……えっ?」
「な、何が起きたんだ……? 山が、消えた……?」
「領主様が、足で地面を踏んだだけで……道が、できた……?」
ツルハシを持った領民たちは、ポカンと口を開けたまま、眼前に現れた地平線まで続く道と俺の顔を交互に見比べている。
「よし、これで流通の道は確保したな。セレーナ、あとは適当に街灯でも設置しておいてくれ」
「……物理法則が泣いていますわ。ええ、もう慣れましたけれど。手配いたします」
セレーナは優雅に溜息をつき、手帳に何かを書き込んだ。
◆ ◆ ◆
さて、道づくりが一瞬で終わったとはいえ、領民たちは朝から力仕事をしていたせいで、汗と泥にまみれていた。
俺は彼らの疲労困憊な様子を見て、ふとあることを思いついた。
「これだけ汗をかいたら、ひとっ風呂浴びたいよな。……よし、風呂を作ろう」
「お風呂、ですか? 確かに、街に大公衆浴場があれば皆様も喜ぶと思いますが……」
リナが不思議そうに小首を傾げる。
「ただの風呂じゃない。この魔境の地下深くには、極上の熱を秘めた『地脈』が流れているのを、10万年の探索で知っているんだ。それを直接引き上げる」
俺は街の居住区から少し離れた、まだ何もない開けた広場へと移動した。
そして、右拳を、今度は大地に向けて真っ直ぐに振り下ろした。
ドゴォォォンッ! という轟音と共に、地面に直径五十メートルほどの巨大なクレーターが穿たれる。
俺の拳の衝撃は、分厚い岩盤をいとも容易く貫通し、地下深くを流れる地脈の層にまで到達した。
直後。
ゴゴゴゴゴゴ……という不気味な地鳴りと共に、クレーターの底から、天を突くような巨大な水柱が噴き出した。
「うおっ!? 水が……いや、お湯が噴き出してきたぞ!」
「あ、熱い! でも、なんだかすごく良い匂いがする……!」
領民たちが慌てて後ずさる。
噴き出したのは、地下の鉱物成分をたっぷりと含んだ天然の温泉だ。しかも、上流に設置した『永久浄化の聖杯』の影響を受けているため、ただのお湯ではなく、淡く神聖な光を放つ「治癒の聖泉」へと変貌していた。
硫黄の香りと共に、心地よい温気が広場全体を包み込む。
「ふははは! 大成功だ! 地脈をぶち抜いて作った、特大の天然温泉だぞ! さあ、お前ら、服を脱いでさっさと入れ!」
俺が上半身裸のままそう叫ぶと、最初は躊躇していた領民たちも、あまりの心地よさそうな湯気と温もりに誘われ、次々とクレーター……もとい、巨大な露天風呂へと足を踏み入れていった。
「お、おおお……っ!? なんだこのお湯、浸かった瞬間に体の疲れが完全に消し飛んだぞ!?」
「ツルハシで痛めた腰が……嘘だろ、一瞬で治っちまった!」
「なんて極楽だ……生きててよかったぁ……」
あちこちから、歓喜と感嘆の声が上がる。
俺は満足げに頷きながら、自分もズボンを脱いで(ついに完全なパンイチとなり)、ざぶんと温泉に身を沈めた。
「はぁ〜……。やっぱり、肉体労働の後の温泉は最高だな」
俺が極上のスローライフを満喫していると、湯船の向こう側で、領民たちがヒソヒソと話し合っている声が聞こえてきた。
「……なぁ。うちの領主様って、本当に人間なのか? 山を足で消し飛ばして、拳で地面を割って温泉を湧き出させるなんて、神様か化け物の所業だろ……」
「しっ、滅多なことを言うな! ……でも、確かに人間には見えねぇな」
「……いや、人間じゃなくたっていいじゃねぇか!」
一人の老人が、お湯に浸かって紅潮した顔で力強く言った。
「こんなに美味い飯を食わせてくれて、立派な家をくれて、こんな極楽みたいな温泉まで作ってくれるんだ。領主様が神様だろうが、魔王の生まれ変わりだろうが関係ねぇ! 俺は一生、ハルト伯爵についていくぞ!」
「「「おおぉぉぉっ!! ハルト伯爵、万歳!!」」」
温泉の中で、数千人の領民たちによる熱狂的な大合唱が巻き起こった。
彼らの瞳には、もはや俺への畏怖や恐怖はない。あるのは、絶対的な信頼と、狂信に近いほどの熱狂的な支持だけだった。
「……やれやれ。大げさな奴らだ」
俺は苦笑しながら、お湯で顔を洗う。
ふと視線を向けると、温泉の縁でセレーナが湯気を手で払いながら、どこか呆れたような、けれど心底楽しそうな微笑みを浮かべていた。
その後ろでは、リナが俺の脱ぎ捨てたシャツを大事そうに胸に抱きしめながら、真っ赤な顔をして湯船の俺を見つめている。
規格外の公共事業は、結果として領民たちの心を一つにまとめ上げた。
この最高の温泉に浸かりながら、俺のパンイチスローライフは、さらに充実した日々へと突入していくのだった。




