袋小路の死、そして摩耗する魂
四度目か、あるいは五度目か。
意識が戻るたびに、この眩しすぎる青空と噴水の音がひどく恨めしくなる。
石畳の冷たさを肌に感じながら、俺は這いずるようにして起き上がった。
全身は無傷だ。だというのに、神経が焼けるような痛みの残像だけが、泥のように脳にこびりついて離れない。
目の前の虚空には、見慣れた初期装備の選択ウィンドウが浮かんでいた。
全アイテムを失い、完全に初期状態へとリセットされた俺への、システムからのささやかな施し。
俺は震える指で『魔法使いセット』を選択した。
剣が届かないなら、遠距離から焼き払う。
近づかなければ、あの牙に届くこともないはずだ。
手に現れた安っぽい木の杖を握りしめ、俺は再び街の門を潜った。
誰一人いないこの世界で、誰も俺を引き留める者はいない。
◆ ◆ ◆
結果は、あまりにも無惨な惨敗だった。
森の入り口。
そこには、喉を食い破られた俺と、右腕をへし折られた俺の、二つの死体が転がっている。
自分の死体を直視しないように視線を逸らしながら、俺は杖を構えた。
スライムの擬態を解く前に、最大火力の火球を叩き込む。
呪文を唱え始めた瞬間、致命的な欠陥に気づいた。
この世界の魔法発動には、不自然なほどの硬直時間がある。思考と同時に発動するわけではないのだ。
火球が杖の先に灯るよりも早く、あの水色の弾丸が俺の胸に突き刺さった。
「――がはっ……っ!」
肋骨が粉砕される音が、頭蓋の奥まで響く。
肺が潰れ、魔法を紡ぐための声も出ない。
地面に転がった俺の顔面を、あの顎が容赦なく噛み砕いた。
五度目。
今度は『弓使いセット』を選んだ。
森の木々に登り、射程距離の限界から矢を放ち続ける作戦だ。
だが、放たれた矢はスライムの粘液質な表面に呆気なく弾かれ、内部の核を貫くには至らない。
焦った俺が二の矢を番える間に、スライムは驚異的な跳躍力で木を駆け上がり、宙を舞う俺の頭から丸呑みにした。
六度目。
俺は広場の隅にある無人の道具屋を見つけた。
手持ちのわずかな初期資金を全て叩き、回復薬の入った小瓶を懐に捩じ込む。
ダメージを受けたらすぐに飲めばいい。死ぬ前に回復すればいい。
自分に言い聞かせる声が、惨めに震える。
森へ入り、スライムの体当たりを受ける。
吹き飛ばされ、足の骨が折れた瞬間に小瓶の蓋を噛み千切り、中身を煽る。
ジュッ、と。
肉が急速に再生する音と共に、耐え難いほどの熱さが体を駆け抜ける。
回復の過程すら、この世界は苦痛を強いるのか。
それでも俺は立ち上がろうとした。だが、あいつの顎は、俺が二本目の瓶に手をかける隙すら与えてはくれなかった。
生きたまま削がれていく肉。
喉に詰まった血の味を飲み下しながら、俺の意識は再び暗闇に沈んだ。
◆ ◆ ◆
七度目。
俺は広場の噴水の縁に座り込み、虚空を見つめていた。
杖を失い、弓を失い、回復薬の瓶は砕け散った。
森の入り口には今頃、剣を握った俺、杖を持った俺、弓を持った俺、そして血まみれの俺の死体が、気味の悪いオブジェのように積み重なっているはずだ。
どれだけ工夫しても。どれだけ武器を変えても。
あいつに、たった一匹の初期モンスターにすら、掠り傷一つ負わせることができない。
「……無理だ」
ぽつりと、乾いた声が漏れる。
難易度設定を間違えている。これは救済措置のない、ただの拷問だ。
痛覚すら遮断できないこの地獄で、何度死ねば気が済む。
次の一歩を踏み出せば、またあの肉を噛み裂かれる感触を味わうことになる。
それを分かっていて、誰が外へ出られるというのか。
俺は膝を抱え、ガタガタと震え続けた。
美しい青空。心地よい風。
その全てが、俺の肉を削ぐために用意された飾り付けに見えて、吐き気がした。
「……もう、嫌だ」
攻略法なんてない。
俺はここで、永遠に死に続けるだけなんだ。
絶望に塗り潰され、俺は広場で蹲り続けた。
夕闇が広場を包み、夜が訪れても、俺はただの一歩も動けなかった。
ふと、月明かりに照らされた自分の足元を見た。
ボロボロになった心の中で、たった一つだけ。
真っ白な光を放ち、一点の汚れもなくそこにあるもの。
「……お前だけは、本当に変わらないな」
初期装備の下着。
どれだけ俺が絶望しても、どれだけ惨めに殺されても、こいつだけは新品同様の姿で俺に密着している。
相棒と呼ぶにはあまりに滑稽な、ただのパンツ。
けれど、この世界で唯一不変なこいつを眺めているうちに、俺の死に絶えかけていた脳のどこかで、一本の細い糸が繋がった。
「……待てよ」
俺は顔を上げた。
死ぬたびにアイテムの抽選が行われ、引き継がれたものは死体に残り、外れたものは世界から消滅する。
それが、この世界の絶対のルールだ。
なのに、なぜ、こいつだけは抽選の枠組みから外れ、俺の肉体と一緒に必ずここへ戻ってくる?
どんな攻撃でも破壊されず、死体に残ることもなく、常に俺と共にある。
もし。
もし、この不変の法則こそが、この狂った世界で唯一残された、システム上の抜け道だとしたら。
俺は震える足で立ち上がった。
まだ確証はない。狂人の妄想かもしれない。
だが、この真っ白なパンツが、果てしない暗闇の中で唯一の道標に見えたのだ。
俺の目は、まだ完全に死んではいなかった。




