伝説の城壁と、押しかけ才女の算盤(そろばん)
更地にしたばかりの広大な領地。その境界線に立って、俺は月明かりの下で腕を組んでいた。
「インフラは整ったが、やはり『街』としての形がないと格好がつかないな」
魔境の魔獣どもは俺のワンパンで散り散りになったが、これから領民を招くとなれば、視覚的な安心感が必要だ。たとえ『星脈の結界石』で不可視の壁があるとしても、見た目がただの更地では誰もやってこないだろう。
「よし。ちょっと『素材』を贅沢に使うか」
俺はインベントリの奥底から、かつて北の聖域で守護像が持っていた『神盾イージス』を取り出した。伝説ではあらゆる神の雷すら防ぎ、一国を守護したと言われる巨大な神具だ。普通の冒険者が一生に一度拝めるかどうかという代物を、俺は建築資材として地面に叩きつけた。
「構築――『神意の絶壁』」
神盾を核として、俺が魔王城の地下から剥ぎ取ってきた不壊の黒曜石を練り合わせる。10万年の間に嫌というほど見てきた、魔王城の「絶対に壊れない構造」を再現する作業だ。俺の拳から放たれる圧倒的な魔力が素材を融解させ、領地を囲む巨大な円環を描いていく。
一晩中、轟音と黄金の光が魔境の夜を支配した。
翌朝。
そこには、高さ三十メートル、厚さ十メートルを超える、重厚かつ美しい白銀の城壁が、領地をぐるりと一周するように聳え立っていた。ただの石壁ではない。神盾の加護を受け、それ自体が聖なる光を微かに放ち、邪悪な存在を寄せ付けない概念的な「不落」を具現化したものだ。
「……ありえない……。到底認められませんわ、こんな物理法則を無視した建造物」
聞き覚えのある、凛とした声が響いた。
振り返ると、そこには豪華な旅装束に身を包んだ女性が立っていた。
艶やかな黒髪のロングウェーブを揺らし、上品な扇子で口元を隠している。没落しかけていた名門貴族の令嬢、セレーナ・ヴァレンシュタインだ。
「セレーナ? なんでこんな魔境に」
彼女は扇子を閉じると、聳え立つ城壁に触れ、そのあまりの強度と魔力密度に目を細めた。
「……この城壁、国を三つ売っても買えない神具を素材にしていますわね? 貴方のやっていることは理論的に『ありえない』ことばかり。……ですが」
セレーナはそこで一度言葉を切り、どこか満足げに微笑むと、優雅な仕草で俺の前に膝をついた。
「理論上はありえない。けれど、目の前には最高の結果がある。……わたくし、理不尽は嫌いですが、貴方の生み出すこの圧倒的な『成果』は認めざるを得ませんわ。ハルト様、今日から私を貴方の『頭脳』として、この領地の事務方、そして対外的な交渉の全てを手伝わせてくれませんか?」
「……頭脳、か。確かに俺は細かい計算は苦手だからな。助かるよ」
俺が笑って彼女の手を取ると、セレーナは扇子の影で目を細め、どこか熱っぽい視線を俺に向けた。
◆ ◆ ◆
「では領主様、最初のお仕事ですわ。家屋はどうされるおつもりで? 腕力でレンガを積むおつもり?」
「いや、それは非効率だろ。これを使う」
俺はインベントリから、一本の古びた巻物を取り出した。
『大建築家の即席邸宅』。
これ一本で、指定した場所に最高級の家屋を一瞬で「生み出す」ことができる、魔法工学の結晶だ。
「……それは一本で数千万ゴールドはする、使い捨ての超高コストアイテムではありませんか。普通は王族の離宮を作る際、どうしても時間が足りない時に一、二本使われる程度の禁忌の代物ですわよ?」
「ああ。それを世界中の商ギルドから三千本ほど買い占めたい。金なら魔王城の地下に山ほど置いてきたから心配いらないぜ。足りなきゃまた拾いに行ってくる」
セレーナは一瞬、扇子を落としそうになるほど絶句したが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。算盤の弾ける音が聞こえてきそうなほど、彼女の瞳に知性の光が宿る。
「よろしいですわ。その無駄の極み、わたくしが最も効率的な取引で、世界中の商人たちを黙らせて買い集めてみせましょう。……ふふっ、これほど楽しい予算編成は初めてですわ」
それからの数日間、セレーナの実務能力は凄まじかった。
彼女は各地の商会へ瞬時に連絡を飛ばし、「ハルト伯爵」の圧倒的な資金力を盾に、世界中の『即席邸宅』の在庫を根こそぎ買い叩いていった。本来なら一生に一度お目にかかれるかどうかの貴重な巻物が、木箱に詰められて次々と魔境に運び込まれてくる。
「ハルト様、手配は完了しましたわ。さあ、この巻物という名の『家』を、貴方の望むままに配置なさいませ」
俺はセレーナがテキパキと作成した都市計画図に従い、更地に巻物を次々と投げ込んでいった。
ポンッ、ポンッ、ポンッ!
軽快な煙と共に、何もなかった平野に豪華な石造りの家、広い商店、役場、さらには噴水付きの公園までもが次々と「生えて」いく。
通常、数十年、数百年かけて作られるはずの街並みが、わずか数時間で完成していく光景は、もはや神話の創造主のようだった。
「……本当に、どこまでも常識外れですね。物理学も経済学も、すべてが置き去りです」
完成した完璧な街並みを夕陽が照らし出す。セレーナは扇子で胸元を扇ぎながら、規格外の力で理想の国を築き上げていく俺の背中を見つめた。
「ですが……不思議ですね。こんなに『ありえない』光景なのに、貴方が作っているというだけで、これ以上ないほど納得してしまいます。……ええ、とても美しい景色です」
俺たちの新しい街に、初めての夜が訪れようとしていた。




