最果てのリゾート地と、パンイチの整地
王都からの馬車は、国境の境界線で逃げるように引き返していった。
御者の男は「死にに行くようなものです」と青ざめていたが、俺は軽やかな足取りで境界線を越えた。
南の果て、『カオス・ボーダー(魔境)』。
そこは、赤黒い瘴気が空を分厚く覆い、ブクブクと嫌な音を立てて泡立つ毒沼がどこまでも続く地獄のような場所だった。枯れ果てた木々の奥からは、王国の精鋭騎士団ですら逃げ出すような高レベルの魔獣たちの禍々しい咆哮が絶え間なく響き渡っている。
だが。
「……ふぅ。なんて美味い空気なんだ」
俺は両腕を広げ、思い切り深呼吸をした。
左手の薬指に光る『奇跡の指輪+99』の効果で、あらゆる状態異常は完全に無効化される。普通の人間なら一瞬で肺が焼け爛れる致死量の猛毒ガスも、今の俺にとってはマイナスイオンたっぷりの大自然の空気に自動変換されていた。
10万年、血と鉄と絶望の匂いしかしない魔王城に通い詰めたことに比べれば、ここはまさに究極のプライベート・リゾート地だ。
「よし。まずは……これだな」
俺は、王都で着せられた窮屈なシャツのボタンを引きちぎるように外し、ズボンごとバサリと脱ぎ捨てた。
肌を撫でる、魔境の生暖かい風。
真っ白なトランクス一枚。
「あー……最高だ。やっぱり俺には、このスタイルしかない」
パンイチになった瞬間、細胞の隅々まで力がみなぎり、本来の『完全体』としてのポテンシャルが完全に解放されるのを感じた。服なんていうデバフアイテムは、この俺だけの自由な領地には必要ない。
さて、スローライフを始めるには、少しこの土地は荒れすぎている。
特に目の前にそびえ立つ、空を遮るような巨大な黒い山脈が邪魔だ。あれのせいで日当たりも悪いし、家を建てるための平地も少ない。
「ちょっと平らになってもらうか」
俺はパンイチのまま軽く跳躍し、眼下の山脈のど真ん中へ向けて右の拳を真っ直ぐに突き出した。
ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!
大気が悲鳴を上げ、天文学的な物理ダメージが空間そのものをぶん殴る。
一瞬にして、強固な岩盤でできた巨大山脈が砂の城のように崩壊し、爆風と共に跡形もなく消し飛んだ。
その際、空間の裏側に潜んでいたらしい『システムエラー』の気配がするバグじみた隠しボスも巻き込んだ気がしたが、何が起きたか理解する間もなく一緒に消滅したはずだ。
土煙が晴れると、そこには見渡す限りの広大で平坦な更地が広がっていた。
山も沼も森もない。ただただ、柔らかな土だけが残る完璧な平野だ。
◆ ◆ ◆
「よし、基礎工事完了。次は……食材と建築素材の調達だな」
俺は視線を、平野の端で震えている魔獣の群れに向けた。
四つの目を持つ神話クラスの毒竜、猛毒の酸を放つキマイラ、大地を揺らす超巨大なベヒーモス。どれもこれも、世界に厄災をもたらすレベルの化け物ばかりだ。
「お前ら、美味いのか? まあいい、とりあえず狩っておくか」
俺は神速のステップで駆け出した。
魔獣たちが恐怖に顔を引き攣らせて逃げようとするが、魔王すら凌駕する力を持つ俺から逃げ切れるはずもない。
「フハハハハ! 最高の夏休みだぜ!!」
大魔境のど真ん中で、真っ白なトランクス一丁の男が、逃げ惑う巨大魔獣たちを手当たり次第にワンパンで狩り尽くしていく。
上質な肉はインベントリで保存し、強靭な骨や牙、毛皮は後で建材として使うために山積みにした。
◆ ◆ ◆
更地を作り、素材を集め終えたところで、俺はふと顎に手を当てた。
「平地にはなったが……これだけじゃまだ『快適な街』とは呼べないな」
いくら俺が強くても、これから領民を集めて街を発展させるなら、水や防衛設備といった絶対的なインフラが必要不可欠だ。
だが、一から井戸を掘ったりレンガを積んだりするのは面倒くさい。俺は究極のスローライフを送りたいのだ。
「……そうだ。アレを使えばいい」
10万年のループの中で、俺は世界中のあらゆるダンジョンや秘境を探索し尽くしている。
その過程で、「武具」以外の伝説級アイテムを山のように発見してきた。しかし、一つの武具だけを確実に引き継ぐために、パンイチで旅をしてきた俺にはむしろ邪魔で、その場に放置してきたものばかりだった。
「よし、ちょっと世界を一周してくるか」
俺は絶空の神靴に力を込め、空気を蹴り飛ばした。
音速の数百倍。もはや瞬間移動に近い速度で、俺は魔境から世界中へと飛び立った。
まずは、北の果てにある『忘れられた精霊の泉』。
かつて竜王が守っていたその泉の底に沈む、『永久浄化の聖杯』を回収する。泥水や毒水であろうと、この杯を通せば無限に湧き出る神聖な清水へと変わるという伝説の祭器だ。
次に、東の絶島『星落ちの神殿』。
何万年もの間、何者も寄せ付けなかったその神殿の最奥から、『星脈の結界石』をもぎ取ってくる。これを起動すれば、あらゆる外敵の侵入や空間転移を完全に遮断する絶対領域を作り出せる。
ついでに、西の砂漠の地下迷宮から『豊穣の神土』を削り出し、南の古代遺跡から、半永久的に適温の熱と光を放ち続ける『太陽の種火』を拾い集めた。
世界中の国々が血眼になって探し求め、一つ手に入れるだけで国家予算が吹き飛ぶような伝説の神宝たち。
俺はそれらを、わずか十数分の「お使い」でパンイチのまま回収し、再び魔境へと舞い戻ってきた。
◆ ◆ ◆
「さーて、配置していくか」
俺はまず、魔境を横断する泥と毒にまみれた大河の上流に降り立ち、川の源泉に『永久浄化の聖杯』を力任せにブチ込んだ。
ピカーッ! と聖なる光が溢れ出したかと思うと、ドロドロの毒沼だった川が、一瞬にして透き通るような美しい清流へと変わっていく。
ただの浄水場ではない。この水は聖杯を通ったことで「聖水化」しているため、これを飲めばあらゆる病が治り、この水で育てた作物は常識外れの成長速度と品質を誇ることになる。最高の水源の完成だ。
次に、更地にした平野の中央に『星脈の結界石』を突き立てた。
カアァァァッ! と透明なドーム状のエネルギーが広がり、俺の領地となる広大な土地をすっぽりと包み込んだ。
これで、魔王クラスの攻撃でも傷一つ付かず、外部からの転移魔法も完全に無効化する「絶対安全圏」が出来上がった。
さらに、更地に『豊穣の神土』を適当にばら撒き、街灯の代わりに『太陽の種火』を等間隔で浮かべておく。
「……完璧だな。我ながら恐ろしいほどの土木センスだ」
毒の沼地だった魔境は、わずか一時間足らずで、清浄な聖水が流れ、いかなる外敵も侵入できず、豊かな土壌と永遠の光に包まれた「世界一安全で豊かな土地」へと変貌を遂げていた。
汗もかいていないが、俺は満足げにパンイチの腰に手を当てて頷いた。
さあ、土地とインフラは整った。
あとは、ここに住む人間を集め、誰もが笑って暮らせる街を作っていくだけだ。
最強のパンイチ領主による、やりたい放題の開拓スローライフが、今ここに本格的に幕を開けたのだった。




