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窮屈な服と、最高の厄介払い

窓から差し込む朝日の眩しさに、俺はゆっくりと瞼を持ち上げた。

 聞こえてくるのは、10万年の間、俺の魂を現世に繋ぎ止めてくれた懐かしい噴水の水音……ではなく、宿屋の階下から漂ってくる香ばしいパンの匂いと、誰かが通りを掃く小気味いい音だった。


「……あの日が、本当に『今日』と繋がっているんだな」


俺はベッドから起き上がり、大きく伸びをした。

 10万年という狂気の主観時間を経て、魔王を討伐してから一夜。世界は滅びず、リセットもされず、当たり前のように「今日」という続きを用意してくれていた。


俺は少しだけ迷った末に、昨日王宮から支給された上質なリネンのシャツとズボンに袖を通した。

 10万年の大半を真っ白なトランクス一枚で過ごしてきた俺にとって、肌を覆う布の感覚は、まるで見覚えのない拘束具のようでひどく落ち着かない。それでも、今日という日は公式なパレードがある。いつまでもパンイチで街を歩くわけにはいかないのだ。


「……おはよう、アリア」


一階の食堂に降りると、そこには朝の準備に勤しむアリアの姿があった。

 彼女は俺の足音に気づいて振り返ったが、その瞬間、手に持っていたお盆をガタンッとテーブルに落とした。


「……えっ。あんた、誰?」


「誰って、俺だよ。ハルトだ」


「嘘でしょ……。あんた、服なんて持ってたの?」


アリアは信じられないものを見るような目で俺を凝視し、それから耐えきれないといった様子で吹き出した。


「あはははは! なにそれ、おかしい! あんた、なんか服着てると違和感すごいわね……変態のくせに!」


「……失礼だな。これでも今日は世界を救った英雄として、王様に会わなきゃいけないんだよ」


「わかってるわよ。でも、変態としての輝きが消えてただのイケメン……コホン。普通の人に見えるのが一番のギャグだわ」


アリアは顔を赤くして、照れ隠しのようにポニーテールの先を指でくるくると弄りながら笑っている。

 俺はそんな彼女のクセを懐かしく眺めながら、いつもの固いパンと温かいスープを胃に流し込んだ。

 今日を境に、俺はこの宿の住人ではなく爵位をもらい貴族になる。この日常とも、一旦お別れだ。


◆ ◆ ◆


王都は、狂乱の渦の中にあった。

 魔王の死によって永遠に続くと思われた魔族の時代は終わり、青空の下、世界を救った英雄を祝うパレードが行われていた。


「英雄ハルトに栄光あれ!!」

「救世主様ー! こっち向いてー!」


鳴り止まない歓声。降り注ぐ花の雨。

 俺は豪華な馬車に揺られながら、窮屈な服の襟元を少し緩めた。

 10万年。

 この一瞬の「平和」というリザルト画面を表示させるために、俺は数十万回死に、数億回刀を振り抜いてきたのだ。民衆が喜ぶのは当然だが、俺にとっては「ようやく作業が終わった」という解放感の方が大きかった。


本来なら、この特別な馬車に乗るのは世界を救った英雄である俺一人のはずだった。

 だが、俺のすぐ隣には、なぜか銀色のショートボブを揺らす少女が、身を縮こまらせて座っている。


「……ふぇぇ、ハルトさん……すごい人の数です……っ。わ、私、なんだか大きな音が怖くて……」


魔道士のリナだ。

 パレードの出発前。あまりの人の多さと割れんばかりの大歓声に完全にパニックになった彼女が、半泣きで俺の馬車に逃げ込んできたのだ。

 『大きな音も、モンスターみたいに怖い人混みも嫌ですぅ……っ!』と涙目で訴えられれば、追い出すわけにもいかない。


「……まぁ、仕方ないな。俺の馬車なら誰も文句は言わないだろ」


そう言って匿ってやったはいいものの、彼女は長めの前髪の奥から怯えたように外を伺い、不安に耐えきれなくなったのか、俺の上着の裾をぎゅっと力強く掴んできた。


「大丈夫だ、リナ。もうモンスターもいないし、君を傷つける存在はこの世界にいない」


「は、はい……。ご、ごめんなさい……っ。ハルトさんの大きな背中が隣にあると、すごく安心するんですけど……やっぱり、少しだけ……慣れませんね……っ」


俺の裾を握る小さな手の温もりに、俺は優しく微笑み返した。


◆ ◆ ◆


王宮の謁見の間。

 そこには、昨日の魔王戦で俺にドン引きしていたはずの王が、今度は計算高い満面の笑みを浮かべて座っていた。


「英雄ハルトよ! 貴公の功績はもはや言葉では語り尽くせぬ! よって、貴公を伯爵に叙し、我が国の重鎮として迎え入れたい!」


王の言葉と共に、周囲の貴族たちから儀礼的な拍手が送られる。

 だが、彼らの瞳の奥にあるのは賞賛ではなく、明らかな恐怖と警戒だ。

 魔王を一撃で葬り去った、理不尽の化身。そんな得体の知れない男を、王都の近くに置いておきたくない……それが彼らの本音だろう。


「ハルト伯爵よ。貴公には、我が国の南端に位置する『カオス・ボーダー(魔境)』を領地として与えよう。伯爵領としては異例の広さだが、いまだ魔獣の脅威が絶えぬ地だ。貴公のその無双の力で、ぜひともあの地を平らげてほしい」


側近の貴族たちがニヤリと笑った。

 魔境。そこは毒沼が広がり、古代の魔獣が跋扈し、いかなる軍隊も踏み込めない「死の土地」だ。事実上の厄介払いであり、体裁の良い流刑。


だが。


(……魔境?)


俺は俯き、震える肩を必死に抑えた。

 悲しんでいるのではない。笑いを堪えるのに必死だったのだ。


魔王もいない、四天王もいない。そんな土地に、俺の敵になるような魔獣など一匹もいない。

 つまり、そこは誰にも邪魔されず、誰の目も気にせず、好きな時にパンイチになり、自分の好きなように理想の街をゼロから作り上げられる「究極のプライベート・リゾート」ではないか!


「……謹んでお受けいたします。陛下の御期待に沿えるよう、尽力いたしましょう」


俺は精一杯、殊勝な顔をして頭を下げた。

 内心では、これまでの10万年で一度も見せたことがないほどの全力のガッツポーズを、魂の底で決めていた。


王都なんて窮屈な場所はもういい。布切れ一枚の服なんて、すぐにでも脱ぎ捨ててやる。

 俺の10万年越しの「最高のスローライフ」が、今、南の魔境から始まろうとしていた。

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