初めまして、10万年ぶりだね
世界を闇で塗り潰す魔王の居城。その最奥、玉座の間。
重厚な扉を、俺は慣れ親しんだリズムで蹴破った。
現れたのが聖剣を携えた勇者でも、大魔導師の軍勢でもないことに、玉座の主が目を剥くのがわかる。
今の俺の格好は、清潔感すら漂う真っ白なトランクス一丁。そして、左手の薬指にだけ、不気味なほど透明な輝きを放つ『奇跡の指輪』が嵌められていた。
「……何者だ」
魔王が思わずといった様子で声を漏らす。
数多の英雄を屠ってきたその瞳には、俺という存在がさぞかし異様に映っていることだろう。鋼のように鍛え上げられた筋肉。だというのに、装備は皆無。
俺は、まるで散歩道を行くような足取りで、魔王へと歩み寄る。
魔王が指先から放ったのは、絶対的な「恐怖」の波動。並の人間なら心臓が止まり、英雄であっても膝を突く絶望のオーラだ。
だが、今の俺にとってそんなものは、春先の微風と変わりない。
「止まれ。貴様……この我が、見えていないのか?」
魔王の困惑が、肌に刺さるほど膨れ上がっていく。
俺から戦士としての殺気が全く感じられないからだ。今の俺にあるのは、気が遠くなるような「飽き」と、深淵のような「諦念」。そして、その奥に揺らめく僅かな希望だけ。
「……ああ、よく見えているよ。相変わらず、その立ち上がりは隙だらけだ」
俺は不敵に、だがどこか懐かしむような笑みを浮かべた。
「初めまして。……そして、10万年ぶりだね」
「……なん……だと?」
魔王が絶句する。
封印から解かれてまだ一ヶ月の奴にとって、10万年前など人類の文明すら乏しかった神話の時代だろう。
だが、俺の言葉に嘘偽りがないことは、奴の本能が警鐘を鳴らしているはずだ。俺にとってのこの一瞬は、永劫にも等しい積み重ねの果てにある。
「お前を殺すためのルート、タイミング、装備の配置……その全てを整えるのに、それだけの時間がかかったんだ。……いや、本当にお疲れ様。これでようやく、俺の『作業』も終わる」
「狂っておるのか……。よかろう、その妄言ごと塵に帰してやる!」
理解不能な恐怖を塗り潰すように、魔王が右手を振り上げた。
次の瞬間、視界を塗り潰すほどの漆黒の雷鳴が、俺を直撃する。
バリバリと、世界を引き裂く衝撃。
内臓が沸騰し、細胞が炭化していく感覚。
本来なら魂まで消滅するような一撃だが、俺の心は驚くほど静かだった。
10万年、数十万回。
雷に焼かれる熱さも、肉が爆ぜる音も、今さら俺を驚かせることはない。
薄れゆく意識の中で、俺はゆっくりと口角を上げた。
戦慄に顔を歪める魔王が見える。無理もない。奴にとっての「初対面」の男が、まるで親友の癖を指摘するように笑いながら死んでいくのだから。
目の前の虚空に、もう何度見たか分からない無機質なウィンドウが浮かび上がる。
【あなたは死亡しました】
【ランダム抽選を開始します……】
世界が静止し、脳内に電子音が響く。
この瞬間だけは、何度経験しても心臓が跳ねる。
だが、祈る必要すらない。今回の周回で、俺が手にしている装備はこれ一つしかないのだから。
ピロンッ、と。
10万年で最も待ち望んだ、軽快な音が鳴った。
【『奇跡の指輪+99』を次周へ引き継ぎます】
【再試行まで、あと3秒――】
「……ははっ、よし。ようやく、全てが揃ったぞ」
炭化していく肉体の底で、俺は歓喜の息を吐き出した。
この指輪を「確定」で持ち越すために、俺は今回、服すら着ずに……この最高の相棒一丁で魔王城の最奥まで辿り着いたのだ。
武器、防具、装飾品。
10万年かけて世界中に配置した最強のピースたちが、今、一つの線に繋がった。
次の周回こそが、俺にとっての本当のラスト・ランだ。
【3、2、1――Game Start】
システムの無慈悲なカウントダウンと共に、視界が完全にブラックアウトする。
――これは、俺が「たった半年」で世界を救う英雄と呼ばれるようになるまでの、誰にも言えない100万回の死の記録だ。




