丸腰の初日と、シュールすぎる伝説
始まりの広場。冷たい噴水の飛沫を浴びて、俺は目を覚ました。
「……軽いな」
真っ白なトランクス一枚の体。
そして何より、右手が空っぽだった。
300年もの間、俺の魂そのものだった『+99の刀』は、今頃はるか遠く、魔王の玉座の前で俺の死体が握りしめているはずだ。
喪失感はある。だが、立ち止まっている暇はない。俺は自分の頬を両手で強く叩き、気合を入れた。
「まずは、あのゴミ(伝説の防具)を拾いに行くか」
◆ ◆ ◆
素手での行動は、実はそこまで苦ではなかった。
武器がないとはいえ、俺の肉体はすでに四天王の神速を上回り、氷の龍将のブレスを躱し切る域にまで洗練されている。
西の『嘆きの谷』。
リナを襲うゴブリンの群れを、俺は文字通り「デコピン」のような軽い指弾だけで次々と頭部を粉砕して救出した。
続く洞窟の最深部。セレーナを閉じ込める巨大な魔力結晶も、極限まで圧縮した『浸透勁』の要領で拳を添え、内部から粉々に打ち砕く。
「……ハルト様。貴方のその、異常なまでの暴力……。素手で魔力結晶を砕くなど、物理法則が崩壊していますわ」
「ハルトさん、すごいです! 武器すら持たないなんて……っ!」
リナとセレーナの、永遠に繰り返される「初めまして」の反応。
俺は「ちょっと鍛えてるだけだ」と適当に誤魔化し、二人を連れて南の『死の森』へと向かった。
標的は、かつて俺のトラウマの量に耐えきれずに発狂したネームドモンスター、『幻惑の夢魔帝インソムニア』。
『ククク……愚かな人間よ。我の前に立ったこと、後悔させて――』
「今回は急いでる。寝てろ」
ドゴォォォォォォンッ!!
幻惑の魔法が発動するより早く、俺の右ストレートがインソムニアの顔面を捉えた。
刀の斬撃ではない。純粋な質量と速度による、暴力の極致。
大悪魔の首は千切れ飛び、そのまま光の粒子となって霧散する。
【伝説の防具:幻惑の兜 を獲得できます】
玉座の跡地にドロップした、禍々しくも美しい紫銀の兜。
かつては「抽選プールを汚すノイズ」として一瞥もくれなかったそのアイテムを、俺は初めて両手で拾い上げた。
あらゆる精神異常を無効化し、魔法防御力を飛躍的に向上させる、魔王戦には必須のパーツ。
「……よし。装備、と」
俺は躊躇なく、その重厚な『幻惑の兜』を頭に被った。
――ガチャリ。
視界が兜のバイザー越しに狭まり、確かな重量感が首にのしかかる。
伝説の武具特有のオーラが、兜の周囲にふわりと漂っていた。
「…………」
「…………」
背後で、リナとセレーナが言葉を失っていた。
無理もない。
今の俺の姿は、首から上は『魔王軍の幹部か伝説の暗黒騎士』。
首から下は『真っ白なパンツ一丁のほぼ全裸』。
おまけに武器すら持っていない、完全なる素手。
圧倒的なアンバランス。防御力の概念を嘲笑うかのような、この世で最もシュールな変態がそこに完成していた。
「な、なんて過酷な……っ!」
沈黙を破ったのは、やはりリナだった。
彼女は両手で口を覆い、ポロポロと涙を流し始めた。
「視界を奪う重い兜で自らの感覚を封じ、肉体はあえて無防備な下着姿のまま晒す……。武器を持つことすら放棄し、己の拳一つで戦い抜くための『誓約』……っ! ハルトさん、貴方はどこまで自分を痛めつければ気が済むんですか……っ!」
「(……いや、ただ防具がこれしかないだけなんだけど)」
「理解を超えていますわ……」
セレーナも頭を抱えている。「ですが、そのお姿から放たれる理不尽なまでのプレッシャー……。貴方の前では、わたくしの常識など塵に等しいようですわね」
◆ ◆ ◆
その夜、宿屋『黎明の宿』にて。
「ちょっ……! あんた、なんなのその格好ぉぉぉぉっ!?」
食堂の扉を開けた瞬間、俺の姿を見たアリアが持っていたお盆を盛大に落とした。
「いや、ちょっと防具を手に入れてな」
「防具って、頭だけじゃないのよ!! 下は!? 下はなんでいつも通りなのよ!! あんた、ただでさえ変態だったのに、顔が見えない分もっとタチの悪い変質者になってるじゃない!!」
アリアの容赦ないツッコミが食堂に響き渡る。
兜のバイザーの奥で、俺は少しだけ笑っていた。
記憶はリセットされても、彼女たちのこの温かい騒がしさは変わらない。
俺はカウンターに座り、兜をカシャリと外して、いつものようにアリアの固いパンをかじった。
「……さぁて。明日から、また忙しくなるぞ」
この『幻惑の兜』を、+99まで鍛え上げる。
刀の時と同じ、途方もない数十万回の死のループ。
俺の狂気的な『素手縛り』の修行が、いよいよ本格的に幕を開けようとしていた。




