次元の壁と、死体の回廊
世界を闇で塗り潰す魔王の居城。その最奥、玉座の間。
そこに座していたのは、圧倒的な「死」の概念そのものだった。
人間の姿形を保ちながらも、周囲の空間そのものが魔王の存在圧に耐えきれず、ひび割れている。
空気が重いのではない。この空間の法則が、魔王を中心に書き換えられているのだ。
「……なるほど。四天王とは、文字通り次元が違うわけだ」
真っ白な、清潔感すら漂うトランクス一丁の男。
「……何者だ」
玉座に鎮座する魔王は、思わず声を漏らした。
数多の英雄や賢者を屠ってきた魔王の瞳に映るのは、あまりにも異質な存在。
鍛え上げられた筋肉は鋼のように強靭だが、美しく光る刀だけを持っていた。
男はゆっくりと、魔王へと歩み寄る。
魔王は無意識に、指先から絶対的な「恐怖」の波動を放った。並の人間であれば心臓が止まり、英雄であっても膝を突く絶望のオーラ。
だが、パンイチの男は、それを春先の微風でも受けるかのように受け流した。
「止まれ。貴様……この我が、見えていないのか?」
魔王の困惑は、今や隠しようもないほどに膨れ上がっていた。
「……ああ、よく見えているよ。まるで圧倒的な『絶望』の概念そのものだ」
俺は+99の刀を振り抜き、その絶望の塊を真っ向から両断した。
――斬れた。
一撃目は、届いた。魔王の頬に、ほんの僅かな血の線が走る。
だが、次の一瞬。
魔王の周囲から放たれた無数の漆黒の棘が、全方位から俺の体を串刺しにした。
魔法防御も物理防御もゼロの肉体。回避する隙すら与えない、神の領域の飽和攻撃。
+99の攻撃力があっても、それを振り抜くための「俺の体」が、魔王の攻撃にコンマ一秒すら耐えられない。
「……あ、はは。……そりゃ、そうだよな……」
薄れゆく意識の中、俺は確信した。
武器だけじゃない。防御も、耐性も、全てをカンストさせなければ、奴の玉座へ近づくことすら許されないのだと。
◆ ◆ ◆
再び『初日』の夜。
俺は、静かに宿屋を抜け出し、真っ直ぐに魔王の玉座へと向かった。
道中の敵は全てやり過ごし、最短距離で。
玉座の間に踏み入り、魔王の圧倒的な殺気が俺を包み込む。
だが、俺は刀を構えなかった。
「……待たせたな。お前の出番は、しばらくお預けだ」
俺は、右手に握った+99の刀に視線を落とした。
300年。スライムに殺され続けた日からずっと、俺の心を繋ぎ止め、共に地獄を歩んでくれた唯一の相棒。
俺はこの刀を、自分の魂ごと、魔王の玉座の目の前に『固定』しなければならない。
「……いいか、絶対に離すなよ。俺が迎えに来るまで、ここで待ってろ」
魔王の漆黒の棘が、俺の体を貫く。
俺は、崩れ落ちる自分の死体の右手が、+99の刀をしっかりと握りしめているのを見届けながら、意識を手放した。
【あなたは死亡しました】
【ランダム抽選を開始します……】
【『無銘の錆刀+99』を次周へ引き継ぎます】
そして。
始まりの広場。冷たい噴水の水音。
目覚めた俺は、真っ白なトランクス一枚。
そしてその右手には――もう、あの刀の感触はなかった。
完全なる丸腰。正真正銘、防具もない、武器もない、レベル1の最弱の肉体。
「……よし。まずは、防具探しからだな」
俺は空の右手を強く握り込み、狂気的な『死体の回廊』計画の第一歩を、ついに踏み出した。




