表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/51

一万回の観察と、幻の祝宴

東塔の暗闇の中。俺は刀を振るうことをやめ、ただひたすらに己の命を「観察用のチップ」として投げ打ち続けた。

 一万回。主観にして数年。ただ殺されるためだけに消費した時間の果てに、俺はゼクスの絶対的な死角へと滑り込んだ。


「なっ……!?」


初めて、ゼクスが驚愕の声を漏らす。俺は、これまでの全ての鬱憤と、数万の死の重みを乗せた全力の一撃を、+60の刀と共に振り抜いた。


ズパァァァァァッ!!


暗殺者の体が両断され、東塔の暗闇が光の粒子となって晴れていく。


【『無銘の錆刀』が強化されました(+61)】


「……はぁっ、はぁっ……! 終わっ、た……!」


俺は血まみれのパンツ一丁で、その場に仰向けに倒れ込んだ。ついに、四天王の一角を崩したのだ。


◆ ◆ ◆


その日の夜、宿屋『黎明の宿』では、これまでにないほど豪華で幸せな祝賀会が開かれた。

 アリアが腕によりをかけた料理が並び、リナとセレーナが頬を赤らめて俺の勝利を称えてくれる。


「ハルトさん、すごいです……!」

「わたくしの計算を超えた、最高の戦いでしたわ」


アリアも「今日は特別なんだからね!」とはしゃいで、俺の背中を叩く。

 温かいスープ、肉の脂の甘み、そして何より、自分を信じてくれる仲間との笑い声。


……けれど。

 俺の心の中では、冷酷な現実が顔を覗かせていた。


この「+61」に到達した刀をシステムに確定させ、次へ進むためには、俺は再び死んで『初日』に戻らなければならない。

 今日中に死ななきゃいけないわけじゃない。明日でも、明後日でもいい。このまま数日間、彼女たちとこの温かい時間に浸ることだってできる。


けれど、この世界には魔王復活というタイムリミットがある。

 ここで立ち止まれば、いずれ全てが灰になる。前に進むためには、どうしても自分で終わらせなきゃいけないんだ。


そして俺が死ねば、時間は俺がパンツ一丁でこの街に現れた、あの『初日』まで巻き戻る。


 明日、俺が目覚める時、アリアは俺を「不審者」として追い払い、リナは俺を見て「変態」と叫んで気絶する。セレーナは俺を「地獄の鬼」だと蔑むだろう。


 俺たちが積み上げてきたこの数日間の絆も、名前を教え合ったあの夜も、このスープの味も。

 全部、消えてなくなる。


俺が死体から刀を回収する、あの朝に。

 つまり、この肉の味も、勝利の美酒も、リナやセレーナの歓喜も、アリアの特別な笑顔も。

 この最高に楽しい時間は全て、『なかったこと』になるのだ。


「……っ」


「ハルト? どうしたの、急に黙り込んじゃって……えっ?」


アリアが覗き込んできた時、俺の視界はひどく歪んでいた。

 声を出さずに、ただポロポロと、大粒の涙が頬を伝って落ちていく。


「ど、どうしたんですかハルトさん!? どこかお怪我でも……!?」

「ハルト様……?」


心配する彼女たちに「なんでもない」と笑いかけようとしたが、上手く表情が作れなかった。

 俺は逃げるように食堂を飛び出し、夜の冷たい風が吹く薪小屋へと駆け込んだ。


◆ ◆ ◆


薪小屋の藁の上に座り込み、両手で顔を覆う。

 情けない。一万回切り刻まれても泣かなかったのに、こんな温かい場所を失うことが、こんなにも恐ろしくて悲しいなんて。


ギィ、と古びた扉が開く音がした。


「……風邪、引くわよ。英雄さん」


ランプを持ったアリアが、そっと俺の隣に腰を下ろした。

 彼女は何も聞かず、ただ俺の冷たい背中に、温かい毛布をかけてくれた。


「……ごめん、アリア。せっかくの料理だったのに」


「いいのよ。あんたが泣くなんて、よっぽどのことなんでしょ。……何があったか、聞いてもいい?」


俺は、暗闇の中で静かに息を吐いた。

 リナやセレーナには、俺の『システム』は崇高な魔法や計算だと思わせている。

 だが、この日常の象徴であるアリアにだけは、本当のことを言わなければならない気がした。


「俺は、死ぬことで時間を巻き戻してるんだ」


「え……?」


「刀の強化値を持ち越すために、俺はこれから自殺しに行く。そうすれば時間は今朝に戻り……今日のお前たちが開いてくれたこの祝賀会は、完全に消えてなくなる。お前たちの記憶からも、全て」


俺が背負っている『業』。

 全てを一人で記憶し、他者の時間を強制的にリセットして生き続ける、孤独な化け物の真実。

 アリアは目を見開き、そして、泣き出しそうな顔で俺の手を両手でギュッと包み込んだ。


「……あんた、そんなバカみたいなこと、一人でずっと繰り返してたの……?」


「あぁ。俺の本当の名前は、春人はるひとだ。……別の世界から、このふざけたゲームに引きずり込まれた、ただの人間だよ」


アリアの手に、俺の涙が落ちる。


「魔王さえ倒せば……この理不尽なゲームをクリアできれば、俺は元の世界に戻れるはずなんだ。だから、どうしても今日、死ななきゃいけない。この楽しい時間を、俺の手で壊さなきゃいけないんだ……!」


震える俺の背中を、アリアは強く、本当に力強く抱きしめてくれた。


「泣かないで、春人」


初めて呼ばれた、その名前。


「記憶が消えても、私が作った料理が消えても。春人がこの世界を救おうとしてる事実は、絶対になくならないわ。……だから、行きなさい」


アリアの声は震えていた。彼女自身、自分が過ごした時間が消える恐怖があったはずだ。

 それでも彼女は、俺を前へ進めるために笑ってくれた。


「明日、今朝の私が何も知らずに『おはよう』って言ったら……心の中で、今日のこの料理の味を思い出してよね。約束よ」


「……あぁ。絶対に、忘れない」


俺はアリアの温もりを振り解き、+61の刀を手にして立ち上がった。

 彼女に見送られながら、街道の脇へ向かう。

 どれだけ時間が巻き戻ろうと、この胸に焼き付いた温もりだけは、誰にも奪わせない。

 俺は静かに、自分の首へと刃を立てた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ