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影の四天王と、二つ目の本名

「――最初に狙うべきは、四天王が一人、『影刃えいじんのゼクス』ですわ」


深夜の宿屋。ランプの灯りに照らされたテーブルの上で、セレーナは分厚い羊皮紙の束を広げて言った。

 刀が+60に達し、次なる標的を四天王に定めた俺たちは、連日連夜、セレーナの集めた情報を元に作戦会議を重ねていた。


「ゼクスは暗殺者。四天王の中では最も腕力が低く、攻撃も軽いとされています。ですが、そのスピードと幻惑の技術は異常。……とはいえ、ハルト様のあの『時間を置き去りにするような反射神経』があれば、魔法や重装甲の相手よりも、純粋なスピード勝負の方が勝機があると踏みましたの」


「なるほど。攻撃が軽いなら、万が一喰らっても即死は免れるかもしれないな」


俺はセレーナの分析に深く頷いた。

 この時の俺は、四天王という存在の「格」を、完全に甘く見積もっていたのだ。


◆ ◆ ◆


数日後。魔王城の東塔。

 そこは、光すらも歪むような、絶対的な暗闇の迷宮だった。


「……ッ!」


極彩色のスローモーションの世界、『クロノスタシス』。

 だが、その静止した時間の中でさえ、ゼクスの刃は俺の視界から消え失せていた。


速いのではない。軌道が、動きが、完全に『理』の外にあるのだ。

 重力を無視したような跳躍、分身、死角からの毒針。

 そして何より絶望的だったのは――セレーナが「軽い」と評したその攻撃力だ。


シュッ、と。

 暗闇から飛来した、牽制用の小さな投げナイフ。

 本来なら、重装の騎士が盾で弾くか、鎧で受けてかすり傷で済ませるような、ダメージ判定すら低い牽制技。

 だが、俺は真っ白なトランクス一枚だ。防御力は、完全なるゼロ。


その「軽い」はずの投げナイフが肩を掠めた瞬間、俺の右腕は根元から吹き飛んだ。


「が、ああっ……!!」


激痛に体勢を崩した俺の首を、暗闇から現れたゼクスの凶刃が、あっさりと刈り取る。


【あなたは死亡しました】


そこから先は、ただただ泥濘ぬかるみのような死の連続だった。

 +60の刀を振るう暇すらない。

 見えない、読めない、躱せない。

 防御力ゼロの俺にとっては、ゼクスが放つどんな小技も、全てが一撃必殺ワンパンの即死技として牙を剥いた。


百回、五百回、千回。

 俺の死体が、東塔の暗闇に文字通り山のように積み上げられていく。


「……だめだ、見えない。どうすれば……っ」


始まりの広場で目覚めるたび、俺の心は確実にすり減っていた。

 これまで培ってきた『クロノスタシス』すら通用しない圧倒的な力量差。これを、いつか来る「素手」の状態で突破しなければならないのか?

 果てしない絶望が、冷たい泥のように足元から這い上がってくる。

 心が、折れそうだった。


◆ ◆ ◆


その夜、逃げるように宿へ戻った俺を待っていたのは、テーブルに山積みにされた資料と、インクで指先を真っ黒に汚したセレーナの姿だった。


「……セレーナ? こんな夜更けまで、何をしてるんだ」


俺の言葉に、彼女は目の下に酷い隈を作った顔を上げ、ふらりと立ち上がった。


「ハルト様……。お帰りなさいませ。ふふっ、ゼクスの暗殺記録、過去百年の文献から全て洗い出しましたわ」


「過去百年の、文献……?」


セレーナは、よろけるような足取りで俺に近づき、びっしりと文字が書き込まれた束を俺の胸に押し付けた。


「ええ。奴の動きはトリッキーですが、必ず『影が濃い場所』を起点にする癖があります。そして、ナイフを投げる直前、わずかに右肩の筋肉が沈む……。過去の生存者たちの証言と、空間の光源データを照らし合わせて、奴の『死角』を割り出しましたの」


没落したとはいえ、彼女は腐っても名門貴族の令嬢だ。

 そのプライドと類まれなる頭脳を全てかなぐり捨て、這いつくばるようにして、俺が明日も生き残るための『道』を探し出してくれていたのだ。


「……ハルト様。貴方は、わたくしたちの英雄です。……一人で、この絶望を背負い込まないでくださいませ」


セレーナのその不器用で、ひたむきな言葉が。

 折れかけていた俺の心を、強引に、だがひどく温かい力で繋ぎ止めた。


「……あぁ。助かるよ。お前の計算があれば、俺はまだ、戦える」


俺は、押し付けられた資料を強く握りしめ、つい、口を突いて出た言葉を紡いでいた。


「ありがとう、セレーナ。……俺は、春人はるひとだ」


その瞬間、セレーナの目が丸く見開かれた。

 リナの時のように、盲目的な涙を流すわけではない。彼女の知性的な紫色の瞳が、俺の言葉の「重み」を正確に量り、そして、ふっと柔らかく細められた。


「……春人様、ですのね」


彼女は、汚れた指先で自らのドレスの裾を摘まみ、最上級のカーテシー(淑女の礼)をとってみせた。


「わたくしの知略、貴方のその本当のお名前に懸けて、必ずや魔王の玉座まで導いてご覧に入れますわ。……春人様」


二つ目の、本名の共有。

 それは、俺がこの狂ったループの中で、彼女たちをただのNPCではなく、俺の魂を預ける「本物の相棒」として認め始めた証だった。


俺は資料を片手に、真っ白なパンツ一丁で静かに笑った。

 四天王がどれほど強大だろうと。

 俺には、この知略セレーナと、リナ、そして帰るべき日常アリアがある。


「さあ、反撃の計算を始めようか」

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