夢魔の発狂と、終わらない「初めて」の夜
灰色の古龍を淡々と狩り続けること、数え切れないほどのループ。
ついに『無銘の錆刀』が+45に到達し、古龍からの経験値を吸い込まなくなった。
次なる標的は、南の死の森に君臨するネームドモンスター、『幻惑の夢魔帝』。
対象の脳内に直接干渉し、その者が最も恐れる『死のトラウマ』を無限に体験させることで精神を崩壊させる、悪辣極まりない大悪魔だ。
森の最深部。
禍々しい玉座にふんぞり返る黒い影が、パンツ一丁で現れた俺を見て、嘲笑するように肩を揺らした。
『ククク……愚かな人間よ。我の前に立ったこと、後悔させてやろう。貴様の心の一番奥底にある、最も凄惨で、最も恐ろしい絶望の記憶を……永遠に味わい狂うがいい!』
インソムニアの目が赤く発光し、俺の意識が強制的に幻覚の世界へと引きずり込まれる。
普通の人間なら、ここで過去のトラウマを抉り出され、発狂して死ぬのだろう。
◆ ◆ ◆
――だが、数秒後。
発狂して泣き叫んだのは、夢魔帝インソムニアの方だった。
『ヒィィィィィッ!? な、なんだこれは!? なんなのだ貴様の脳内はぁぁぁっ!?』
インソムニアが頭を抱え、玉座から転げ落ちて床をのたうち回っている。
当然だ。俺の脳内から『死のトラウマ』を引き出そうとした結果、奴のキャパシティを遥かに超える、主観300年・数万回に及ぶ凄惨な死の記録が濁流となって流れ込んだのだから。
『ス、スライムに腹を食い破られる記憶が一万回!? 大トカゲに潰される記憶が五千回!? なぜだ!? なぜこれほどの死を経験して、貴様の精神は崩壊していない!? なぜ当たり前のように翌朝起きて、またパンをかじっているのだぁぁっ!!』
「……うるさいな。他人のプレイ履歴を勝手に覗き込んでおいて、文句を言うな」
俺は幻惑をあっさりと振り払い(というより、奴が耐えきれずに幻術を解除した)、+45の刀を肩に担いだまま呆れ果てていた。
奴が見た俺のトラウマなど、全て『通り過ぎたただの作業』に過ぎない。痛覚の記憶すら、今の俺にはただのデータだ。
『ひ、ヒィッ……! 来るな! 狂人! バケモノォォォォッ!!』
恐怖で涙と鼻水を撒き散らしながら後ずさる夢魔帝。
俺はため息をつき、極限まで短縮した踏み込みから、容赦なく一閃を放った。
ズバァッ!!
精神攻撃に特化している分、肉体は古龍よりも脆い。
インソムニアは抵抗すらできず、俺の刀の前に真っ二つに裂け、光となって霧散した。
【『無銘の錆刀』が強化されました(+46)】
「……よし。効率がいいな」
刀の輝きを確認した直後、インソムニアが座っていた玉座の跡地に、眩い光を放つ一つのアイテムがドロップした。
【伝説の防具:幻惑の兜 を獲得できます】
(※あらゆる精神異常を無効化し、魔法防御力を飛躍的に向上させる四天王討伐の必須アイテム)
伝説の防具だろうがなんだろうが、今の俺にとっては『100%確定引き継ぎ』のプールを汚すノイズでしかない。
俺は伝説の兜を完全に無視し、一瞥もくれずに踵を返した。
◆ ◆ ◆
それから、俺のルーティーンはさらに洗練された。
死に戻り、時間がリセットされた始まりの広場で目覚める。
森で死体から刀を回収し、鍛冶屋で寸分の狂いもなく手入れを済ませる。
宿へ向かい、アリアにいつもの挨拶を交わす。
西の谷へ先回りし、ゴブリンを瞬殺してリナを救い出す。
間髪入れずに洞窟の最深部へ向かい、セレーナの封印を的確に解く。
そして翌日南の森へ向かい、俺の記憶を覗き込んで発狂するインソムニアをワンパンで沈め、伝説の兜をゴミのように放置する。
夜は宿に戻り、みんなと仲良く賑やかな食卓を囲む。
「ハルトさん、すごいです……! あんな恐ろしい悪魔を退けるなんて!」
「計算外の強さですわ。貴方の力があれば、本当に魔王にも届くかもしれません」
リナとセレーナが目を輝かせ、アリアが誇らしげに笑う。
俺が死ぬたびに時間も巻き戻るこの世界において、彼女たちにとっては常にこれが『初めてのインソムニア戦』なのだ。
彼女たちは、俺が未知の強大な敵と死闘を繰り広げたと思っている。だが実際は、毎回同じセリフで泣き叫ぶ悪魔を事務作業のように斬り捨てているだけだ。
俺は温かいスープを飲みながら、「あぁ、四天王への対策は万全だ」と完璧なタイミングで微笑み返す。
そして、彼女たちが幸せな気分のまま眠りについた後。
俺は街外れの暗がりで、ただ一人、己の首を切り裂いて自殺する。
その光景を、数十回と反復した。
相手が精神攻撃特化で苦戦する要素が皆無だったため、今回は数ヶ月の主観時間が過ぎただけで、あっさりと限界の時が訪れた。
【『無銘の錆刀』が強化されました(+60)】
「……ここからが、本当の地獄か」
+60の圧倒的な輝きを放つ刀を提げ、俺は深く息を吐き出した。
次なる経験値の供給源は、ついに魔王の城を守る『四天王』たち。
武器を+99にするための、長きにわたる最終フェーズの幕開けだった。




