賑やかな食卓と、静かなる断絶
「ちょっと、ハルト! さっさとそのパン食べちゃいなさいよ。冷めたらもっと固くなるんだから!」
宿屋『黎明の宿』の食堂。朝の光が差し込む中、アリアの元気な声が響き渡る。
カウンターに並んで座っているのは、銀髪を揺らして一生懸命スープを啜るリナと、背筋をピンと伸ばして優雅に(中身は固いパンだが)フォークを運ぶセレーナ。
そして、その中心で堂々と真っ白なトランクス一枚で座っている俺だ。
「ハルト様。わたくし、昨晩のデータを元に、古龍の毒を中和するための薬草の配合を計算いたしましたわ。……ですから、その、あまりわたくしの方を見ないでいただけます? そのお姿でじっと見つめられると、計算式が……その、霧散してしまいますの」
セレーナが頬を赤らめ、扇子で口元を隠しながら視線を逸らす。
「は、ハルトさん! お野菜も食べてください! 過酷な『誓約』で削られたお身体を、少しでも内側から癒やさないと……っ! はい、あーん、です!」
「……リナ、自分で食べられる。あと、これは『誓約』じゃなくてただの……いや、なんでもない」
リナのキラキラした、それでいてどこか盲目的な瞳に押し負け、俺は差し出されたスプーンを口に含んだ。
アリアが呆れたように腰に手を当てる。
「もう、あんたたち甘やかしすぎよ! このハレンチ英雄、放っておいたら一生パンツ一丁で世界を救う気なんだから!」
「いいではありませんか、アリアさん。形はどうあれ、この方はわたくしたちを絶望から救い出してくださった。その代償として『羞恥』という人間性を捧げている……。ある意味、最も尊いお姿と言えますわ」
セレーナの冷静な、それでいて完全に間違った分析に、リナが深く頷く。
「はいっ、セレーナさんのおっしゃる通りです! 尊いです!」
「……もう勝手にしなさいよ!」
賑やかな、あまりにもハッピーな日常の風景。
かつて、俺一人で泥を啜り、スライムに噛み殺されていた頃には想像もできなかった光景だ。
彼女たちの笑い声を聞いていると、自分が今、本当に地獄のような死にゲーの世界にいることを忘れてしまいそうになる。
だが、俺の右手は、テーブルの下で+21の刀を片時も離さず握りしめていた。
◆ ◆ ◆
午後。
俺は彼女たちの手伝いという名目で、街の広場まで荷運びをしていた。
丸太のような木材を、パンツ一丁で軽々と担いで運ぶ俺の姿に、街の人々はもはや驚くことすら忘れている。
「ハルトさん、すごいです! 魔法も使わずにあんな重いものを……!」
「ふふん、ハルトはこれくらい当たり前なんだから。ね、ハルト?」
リナとアリアが左右で俺の腕(正確には、鍛え抜かれた筋肉)を見てはしゃいでいる。
セレーナはその後ろで、領地の再建に必要な資材のリストを片手に、「効率的ですわ……」と呟きながら、俺を運搬機械か何かのように熱心に観察していた。
平和だ。
このまま、この穏やかな時間が続けばいいのにと、心のどこかで願ってしまう。
けれど、俺の視界の端には、常に『+21』の数字がちらついている。
今のままでは、古龍には届かない。それどころか、魔王なんて夢のまた夢だ。
◆ ◆ ◆
日が落ち、夜が訪れる。
宿屋の食堂で、アリアといつものように他愛もない話をした。
「……明日も、掃除当番なんだっけか」
「そうよ。だからあんたも、あんまり遠くまで行っちゃダメよ。お昼までには戻ってきなさいね」
「あぁ。約束する」
アリアの明るい笑顔を見送り、俺は一人、静かに宿を出た。
リナやセレーナの部屋からは、小さな話し声が聞こえてくる。
明日の作戦会議か、あるいは女の子同士の秘密の話か。
その温かな光を背中に受けながら、俺は街外れの、誰もいない街道の脇へと歩みを進めた。
暗闇の中、俺は『+21』の刀を抜く。
研ぎ澄まされた刃が、月光を浴びて冷たく輝いた。
「……さて。今日の『リセット』を始めるか」
一ミリの迷いもなく、俺は自分の首筋に刃を当てた。
アリアとの約束。リナの涙。セレーナの信頼。
それら全てを、一度この命ごと絶って、明日へ「確定」させるために。
一息に、引き裂く。
熱い血が噴き出し、俺の視界は真っ赤に染まった。
骨が砕け、肉が裂ける痛み。
数分前まで感じていた、あの女の子たちの温もりとの、あまりにも激しすぎるギャップ。
この断絶こそが、俺がこの世界で最強に辿り着くための、唯一のガソリンだった。
【あなたは死亡しました】
【ランダム抽選を開始します……】
【『無銘の錆刀+21』を次周へ引き継ぎます】
翌朝。
始まりの広場、噴水の冷たい飛沫で、俺は意識を覚醒させた。
「……おはよう、俺。今日も死にに行こうぜ」
手元には、昨日と同じ刀。
俺はパンツ一丁で立ち上がり、何食わぬ顔で、愛する彼女たちが待つ宿屋へと歩き出した。
俺の100万回の死は、まだ始まったばかりだ。




