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おっさん漁師、神になる   作者: 祭人
第二章 奴隷少女とわけありシスターに困る
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第3話 修道院の美人シスター

 修道院の門をくぐると、正面の建物からひとりの女性が出てきた。


 黒い修道服に白い頭巾。年は二十代後半くらいだろうか。


「あら、セシリアさん」


「こんにちは、シスター」


「いつもありがとうございます」


 シスターは俺に目を向け、柔らかく微笑んだ。


「そちらの方は、旦那さんですか?」


「えっ!」


 セシリアの頬がみるみる赤くなる。


「ち、違います! ただの幼馴染です!」


「あら、ごめんなさい。とてもお似合いだったので、つい」


「お似合いって、そんな……」


 否定するセシリアの頬は、少し赤い。


 ――ていうか俺もかも……。


「初めまして。マリアンヌと申します。マリーとお呼びください」


 シスターが丁寧に頭を下げる。


「クライスです」


 顔を上げたシスターと目が合った。その視線が一瞬、俺の顔から身体へと下りる。


 なんだろう。


 修道女にしては、妙に男を見る目が慣れているような――。


『麗しい。まさに聖母を思わせる――』


 勝手に俺のモノローグを付けるんじゃないよ、ジェミィ。


『それに、いい香りだ。ワケアリな大人の女の色気と匂いがプンプンする。俺は思わず――』


 だからやめろ。


 いつもの調子の余計なひと言に動揺する俺を、セシリアがジト目で見ている。


「クライス?」


「な、なんでもない」


 シスター・マリーが小さく笑った。


「これからも、よろしくお願いしますね。クライスさん」


 色っぽい視線。やっぱり少し距離が近い。


「さあ、こちらへ。子どもたちも楽しみにしているんですよ」


 シスター・マリーに案内され、俺たちは建物の中へ入った。


 ◇


 広間に入ると、子どもたちの賑やかな声が一気に近くなった。


 修道院の中は、外から見た印象よりずっと広い。白い漆喰の壁に太い木の梁が渡り、古びた暖炉には薪がくべられている。


 壁際には本棚や子ども用の小さな机が並び、窓辺には洗ったばかりの衣服が干されていた。


 長い木のテーブルが並び、十数人の子どもたちが昼食の準備をしている。


 皿を並べる子。水差しを運ぶ子。厨房から漂う匂いにつられて、鍋を覗き込んでいる子もいた。


「こら、つまみ食いしないの」


 シスター・マリーに声をかけられ、男の子が慌てて逃げていく。


「ふふっ。元気でしょ?」


 セシリアが微笑む。


「元気すぎるくらいだな」


 ここは祈りの場であると同時に、親を亡くした子や、事情があって家族と暮らせない子たちを受け入れる場所でもあるそうだ。


 奥には寝室や厨房があり、十数人の子どもたちがシスターたちと一緒に生活している。


 俺は魚箱を厨房の脇へ下ろした。


「すげー! でっかいお魚だ!」


「今日、お魚?」


「そうですよ。セシリアさんたちにお礼を言いましょうね」


「ありがとう!」


 子どもたちの声が重なる。こうして見ると、普通の子どもたちと何も変わらない。


「シスター」


 小さな声が聞こえた。


 振り返る。食器を両手に抱えた少女が、こちらを見ていた。


 黒い髪。小柄な身体。薄いベージュの素朴なワンピース。


 見覚えがある。


「……あ」


 ミア・キスペだ。


 ――そうか。ここにいたのか。


 胸の奥が、少しだけ軽くなった。


 ミアも怪訝そうに俺を見ている。当然、俺だとは気づいていない。あの時の俺は、仮面をつけた白銀の紳士だったのだから。


「ミア、どうしました?」


「お魚、運びます」


「あら、ありがとう。でも重いから大丈夫ですよ」


 シスター・マリーがミアの頭を撫でる。


「この子は少し前から、ここで一緒に暮らしているんです」


 その言葉を聞きながら、俺は奴隷市場で見た光景を思い出していた。


 鎖で繋がれ、人前に並べられて、値段をつけられる。同じ人間を商品みたいに売り買いする。


 今思い出しても、腹が立つ。


 神になりたいなんて思ったことはない。人助けをするために生きているわけでもない。


 だけど――。


 あんなものを見て、知らないふりができるほど腐ってもいない。


 あの時、ジェミィが俺を連れていかなかったとしても。きっと俺は、同じことをしただろう――


「クライスさん?」


 シスターの声で我に返る。


「あ、いや。なんでもない」


 もう一度ミアを見る。


 鉄枷はない。値踏みするような目で見る奴もいない。普通の服を着て、普通に飯の支度をしている。


 それでいい。


 ここで元気に暮らしているなら、それで充分だ。


 ◇


 あたし――ミア・キスペは、遠い国から連れてこられた。


 故郷を離れたのがいつだったのか、もうよく覚えていない。長いあいだ馬車に揺られて、船にも乗った。知らない町をいくつも通った。


 気がつけば、あたしは奴隷市場にいた。


 値段をつけられて、知らない人たちに身体を見られた。怖かった。これから自分がどうなるのか、誰も教えてくれなかった。


 そんなあたしたちを助けてくれた人がいる。


 あの日。あの人のおかげで、あたしたちは自由になった。


 銀色の仮面をつけた、白銀の紳士。


 名前は知らない。あの人が何者なのかも知らない。声さえ、聞いたことがない。


 それでも、ときどき思い出す。あの日、あたしたちの前に現れた、あの人の姿を。


 もう一度、会えたらいいなと思う。会って、ちゃんとお礼を言いたい。


 それだけなのに、思い出すと胸の奥が少しだけ温かくなる。


 自由になったあと、行くあてのなかったあたしを、ミッシェル――あのお嬢様が、ここへと導いてくれた。


 それから、あたしはこの修道院で暮らしている。


 シスター・マリーは優しい。


 ここへ来たばかりの頃、あたしは男の人を見るだけで怖かった。


 夜中に目を覚まして、眠れなくなることもあった。


 そんな時、シスターは何も聞かなかった。ただ隣に座って、一緒にいてくれた。


「大丈夫ですよ。ここでは、誰もあなたを買ったりしません」


 次にこうも言ってくれた。


「わたくしたちは、家族です」


 どうしてシスターが、あんなに寄り添ってくれるのか、あたしの気持ちをあんなに分かってくれたのか。直接、聞いたことはない。


 血は繋がっていないけど、家族。


 ここには同じくらいの歳の子も、小さな子もいる。


 朝はみんなで掃除をして、昼は食事の準備を手伝う。夜には同じ部屋で眠る。


 温かいご飯が食べられる。雨の日には、屋根のある場所で眠れる。もう、誰かに値段をつけられることもない。


 修道院に来てから、少しずつ分かった。


 たぶん――


 ここが、あたしの居場所なんだ。


 ◇


 翌朝。


 修道院の扉が、乱暴に叩かれた。


 シスター・マリーが扉を開ける。


 外には、黒い服を着た男たちが立っていた。その中央に、ひときわ大柄な男がいる。


 黒いスーツに黒いハット。でっぷりと突き出た腹に、太い首。肉のついた顔には小さな目が埋まり、指には大きな宝石の指輪がいくつも光っている。


「おはよう。今朝も一段とお美しいですのぉ、シスター・マリー?」


 シスターの優しい表情が消えた。


「おはようございます、ドン・ガルディーニ」


 バルトロメオ・ガルディーニ。


 この町の裏社会を牛耳る男――ドン・ガルディーニだった。

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