第2話 財力も神すぎる
「商談に来た。責任者に会いたい」
◇
真夜中の地下応接室。
ケニー・サンドロヴィッチは革張りのソファに深々と腰かけ、白銀の紳士と向かい合っていた。
銀色の仮面に、白銀の礼装。その肩には、美しい白銀の隼が止まっている。
「先ほどの娘を買い取りたい、ということですかな」
紳士は答えず、ケニーを見返した。
「ミア・キスペ。あれは遠い異国から連れてきた娘でしてね。この辺りではまず見かけない上玉だ。こちらとしても、安く手放すつもりはありませんが」
奴隷の売買は金貨1枚程度。庶民の年収とほぼ同額だ。若い女性だとその5から10倍になる。
ケニーは続ける。
「お見受けする限り、随分と羽振りよさそうですな。まあ金貨100枚ばかし積んで貰えれば話を聞かないでも――」
隼が紳士の耳元をついばむ。
彼はケニーを見据え、静かに首を振った。
「まかりませんよ、旦那。せいぜい95枚」
再び首を振る。どうやら逆だと言いたいようだとケニーは察した。
ケニーの目が細くなる。
「……200枚」
反応は変わらない。
「500枚」
やはり、紳士は動じなかった。ケニーは椅子に深く座り直す。
「ずいぶんと、あの娘をお気に召したようですな」
紳士の肩で、白銀の隼が首を傾けた。再び嘴を耳元へ寄せる。
紳士はしばらく黙っていたが、やがて懐から小さな革袋を取り出し、テーブルの上へ置いた。
ケニーが袋を開く。
「これは……」
中を確かめると、その手が止まった。七色に輝く大きな宝石がひと粒。時価にして金貨1000枚は下らない。
驚愕するケニーを尻目に、肩の隼が再び紳士の耳元へ嘴を寄せた。
紳士は頷き、もう一つ大きな革袋をテーブルへ置く。
「なっ……」
今度は同じ宝石が10粒だ。ケニーの口元が思わず緩む。
「全員お買い上げ、ということですかな」
銀の仮面が静かに縦に動く。ケニーは二つの革袋を手早く引き寄せた。
◇
昼下がりのヴァルネス。
港から吹く潮風に、焼いた魚の匂いが混じっている。
俺――クライスは魚の詰まった木箱を抱え、セシリアと並んで石畳の坂道を歩いていた。
市場の喧騒はもう遠い。それでも港町の午後は賑やかだ。坂の下では荷を積んだ馬車が石畳を鳴らし、路地の向こうからは樽を転がす音が聞こえてくる。
石造りの家々の間から見える北海には、白い帆を張った漁船がいくつも浮かんでいる。朝の冷たさはもう薄れ、春の日差しが灰色の屋根と海面を淡く照らしていた。
頭上では、ジェミィが大きな翼を広げている。
『しかし、ミッシェルお嬢様も偉いよね』
「ん?」
「なに?」
セシリアが横目で俺を見る。
「いや、なんでもない。それより、なんで修道院に魚を届けるんだ?」
「お父さんから聞いてなかったの?」
「魚を運んでくれとしか聞いてない」
「もう……」
呆れたようにため息をつき、セシリアが俺の抱えた木箱を撫でる。
「修道院で、身寄りのない子や貧しい家の子たちに食事を出してるの。ミッシェル様が始めた慈善事業よ」
「へえ」
「食材は町のお店から買って、代金はヴァルネス財団が払ってくれるの。うちも週に何度か魚を納めてるってわけ」
なるほど。あの時のお嬢様が――。
【「また、お会いできますか?」】
領主の娘というのも、俺が思っているよりご多忙らしい。
『君よりよっぽど人助けしてるよね。見習わないと、神なんだから』
「うるさいよ」
「え?」
「な、なんでもないって」
セシリアが怪訝そうに眉を寄せる。
この領土の守護神。そんな大役、引き受けた覚えはないのだが……いつも、ジェミィに唆され押し付けられてしまう。
そもそも先日の奴隷騒ぎだって、こいつが始まりだった。
『神、出番だよ』
町の上を飛んでいたジェミィが奴隷市場を見つけ、俺を連れていったのだ。
『これで、全員お買い上げ♪』
鼻歌まじりに用意したのが、ひと粒金貨千枚にもなる宝石の山。
『商談なんだから正装でね』
「持ってない。俺は漁師だ」
『その中から買えばいい』
「……ていうか。こんなの、どこから持ってきたんだ」
『どうとでもなるんだよ。だって神なんだから』
まったく、とんでもない相棒だ。けれど、そのおかげで奴隷たちは解放され、自由になったのだが……。
俺たちは歩みを進める。
通りには洗濯物が揺れ、軒先では猫が丸くなっている。開け放たれた窓から煮込み料理の匂いが漂い、家の前では老婆が椅子に腰掛けて網を繕っていた。
「クライス、着いたわよ」
セシリアの声に顔を上げる。坂道の先に、古びた石造りの修道院が建っていた。
白い壁には蔦が這い、小さな鐘楼が青空へ伸びている。開け放たれた窓の向こうから、子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。
「思ってたより、明るいところだな」
「でしょ? それにシスターも、とても素敵な人なのよ」
「へえ」
セシリアに導かれて、俺たちは修道院の門をくぐった。




