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おっさん漁師、神になる   作者: 祭人
第一章 お嬢様と女海賊に困る
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第6話  お嬢様と女海賊に困る

 海蛇船団の襲撃から、数日が過ぎた。


 私、ミッシェル・ヴァルネスは、領主館の一室から窓の外を見つめている。


 港では壊れた荷車や露店が片づけられ、兵士たちが行き交う。その中に、白銀の鎧をまとった姿はない。


「まだ、見つかりませんか」


 背後に控えていた兵士が答える。


「港の者にも聞いて回っていますが、誰も素性を知らないようです」


「引き続き、捜してください。どんな些細なことでも構いません」


「承知しました」


 兵士が一礼し、部屋を出ていく。


「お嬢様。今日も人探しですか?」


 入れ替わるように声をかけてきたのは、エレノアだった。


 屋敷で働くメイドで、妹の家庭教師も務めている。あの日も私と一緒に避難誘導をしていたけれど、途中ではぐれてしまい、白銀の戦士が私を助けてくださったところは見ていない。


「当然です。命を救っていただいたのですよ」


「そうですね」


「それだけではありません。あれほど大勢の海賊を相手にして、一人も命を奪わなかったのです」


「はい」


「そして海蛇船団を、たったお一人で退けてしまわれました」


「すごい方ですね」


 返事は柔らかい。けれど、どうにも温度が違う。


「エレノア。ちゃんと聞いていますか?」


「もちろん聞いておりますよ」


 エレノアは穏やかに微笑んだ。


「お嬢様が、その方のお話をなさるのは、今日で何度目だったでしょう」


「……そんなにお話ししましたか?」


「ええ。17度目です」


 少しだけ頬が熱くなる。


 私は誤魔化すように、もう一度、港へ目を向けた。


 あの方は、今どこにいらっしゃるのだろう。


 海賊に襲われ、死を覚悟した私を、その腕で抱き上げてくださった方。目を閉じれば、力強い腕の感触も、胸元に触れた白銀の鎧の冷たさも、昨日のことのようによみがえる。


 お名前も知らない。仮面の下のお顔も知らない。それなのに、あの日から、あの方のことばかり考えている。


 もう一度、お会いしたい。


 次にお会いできたら、助けていただいたお礼を伝えたい。そして、許されるなら。今度はあの方に、一人の大人の女性として見ていただきたい。


 窓の外を、白銀の隼が横切る。


「あ……」


 隼は領主館の上空を一度旋回すると、北の空へ飛び去っていった。


「エレノア、今の――」


「隼ですね」


「白銀の隼です」


「白銀でしたね」


 やっぱり、温度が違う。


 ◇


 あたし、エルダ・スコルは、海蛇船団の旗艦、その船尾に立っていた。


 船団はヴァルネスを離れ、北の海を進んでいる。潮風が赤銅色の髪を揺らし、負傷した身体に容赦なく吹きつける。あたしの肩には、あの銀色の男が残していった白いマントが掛かっていた。


「頭領、傷に障ります。中へ戻った方が」


「うるさい」


「ですが――」


「一人にしろ」


 部下は何か言いたそうにしていたが、やがて諦めて甲板を離れていく。その姿が見えなくなってから、あたしは白いマントの端を握った。


 ――圧倒的だった。


 あたしの戦斧を正面から受け止め、その気になれば、いつでも命を奪えたはずだ。それでも、あの男はあたしを斬らなかった。


 剣を収め、傷ついた身体に自分のマントを掛け、何も求めずに去っていった。


「何なんだよ、あいつは……」


 ふと、昔の記憶がよみがえった。


 まだ今よりずっと若かった頃、一人の男と出会ったことがある。


 ヴァルネスの英雄。


 あの男も強かった。圧倒的な力を持ちながら、それを誇ることもなかった。


 しかも命の恩人でもある。短い出会いだったが、今でもよく覚えている。


 白銀の男を見ていると、ほんの少しだけ、あの男を思い出した。


「……まさかな」


 随分と昔の話だ。年齢的に辻褄が合わない。


 あたしは白いマントを握り直した。


 名前も知らない。どこから来たのかも、どこへ消えたのかも分からない。分かっているのは、誰よりも強くて、どうしようもなく優しい男だということだけだ。


 もう一度、会いたい。


 敵として、一人の女として、あの男の前に立ちたい。いや、立たねばならない。


「次に会ったら、絶対に逃がさない」


 白いマントを胸に抱く。


 男に負けたことなどなかった。けれど、男を追いかけたいと思ったのも、生まれて初めてだった。


 帆柱の上に、一羽の隼が止まっている。


 朝日に照らされた白銀の翼が、大きく広がる。隼はあたしを見下ろすと、ヴァルネスの方角へ飛び去っていった。


 ◇


 いつもの朝。


 わたし、セシリア・ヨンスドッティルは魚商の軒先に木箱を並べていた。


 海蛇船団の襲撃で壊された店先は、父や近所の人たちが応急処置をしてくれた。新しい板と古い板が継ぎ接ぎになった軒の下に、今朝仕入れた魚を種類ごとに並べていく。


 港の朝は早い。


 夜明けとともに戻ってきた漁船から魚籠が次々と下ろされ、石畳の上を荷車が行き交っている。


 魚を売る商人の声。値段を交渉する料理人。船のそばでは、漁師たちが破れた網を広げて繕っていた。


 まだ壊れた船や建物も残っている。それでも、数日前まで海賊に荒らされていた港には、少しずついつもの賑わいが戻ってきていた。


 木箱を並べ終え、腰を伸ばす。


 港へ続く道を、釣竿を担いだクライスが歩いてくる。


「もう漁へ出るの?」


「何日も休んだからね」


「港を救った英雄様は、まだ見つかってないみたいだよ」


「そうらしいね」


「どんな人なんだろう」


「さあ」


 クライスは足を止めずに答える。


「今日は早く戻る?」


「魚が釣れたら」


「それじゃ、いつになるか分からないね」


 わたしは意地悪に微笑んだ。


「お昼までには戻るよ」


「気をつけてね」


 クライスは片手を上げ、店の前を通り過ぎていく。わたしはその背中が、行き交う荷車や漁師たちの向こうへ消えるまで見送った。


 世間では銀色の英雄が話題になっているが、わたしたちには関係のない話だ。


 こうして毎朝クライスを海へと見送って、何事もなく平穏に過ごしていければ、それで――。


 ◇


 俺――クライスはいつもの岩場に腰を下ろし、海へ垂らした釣り糸を眺めていた。


 海蛇船団の襲撃から数日。港にはまだ壊れた場所も残っているが、漁船は少しずつ海へ戻り始めている。


 俺も今日から、いつもの暮らしに戻った。


 朝に海へ出て、魚を獲る。港へ戻ったら、セシリアの店へ持っていく。


 それでいい。


 白銀の戦士だの、港の英雄だのと、街では随分な騒ぎになっているらしいが、どうでもいい。俺は漁師だ。


 ただ――。


「一匹も釣れない……」


 ここのところ、漁師の仕事の方はさっぱりだ。


 白髪混じりの銀髪を掻きむしる。ずっと座りっぱなしで、腰も相変わらずしんどい。


 波の音を聞きながら、しばらく白い釣り糸を眺めていると、頭上から羽音が聞こえた。


 白銀の隼が、俺の隣へ舞い降りる。


『釣果はどう?』


「見ての通りだ」


 俺は口をとがらせ、白い釣り糸を見つめた。


『神、偵察に行ってきたよ』


「なんの?」


『さあね』


 ジェミィは愉快そうに翼を広げた。


『大漁すぎて困るね、英雄くん?』


(次章へ)

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