第6話 お嬢様と女海賊に困る
海蛇船団の襲撃から、数日が過ぎた。
私、ミッシェル・ヴァルネスは、領主館の一室から窓の外を見つめている。
港では壊れた荷車や露店が片づけられ、兵士たちが行き交う。その中に、白銀の鎧をまとった姿はない。
「まだ、見つかりませんか」
背後に控えていた兵士が答える。
「港の者にも聞いて回っていますが、誰も素性を知らないようです」
「引き続き、捜してください。どんな些細なことでも構いません」
「承知しました」
兵士が一礼し、部屋を出ていく。
「お嬢様。今日も人探しですか?」
入れ替わるように声をかけてきたのは、エレノアだった。
屋敷で働くメイドで、妹の家庭教師も務めている。あの日も私と一緒に避難誘導をしていたけれど、途中ではぐれてしまい、白銀の戦士が私を助けてくださったところは見ていない。
「当然です。命を救っていただいたのですよ」
「そうですね」
「それだけではありません。あれほど大勢の海賊を相手にして、一人も命を奪わなかったのです」
「はい」
「そして海蛇船団を、たったお一人で退けてしまわれました」
「すごい方ですね」
返事は柔らかい。けれど、どうにも温度が違う。
「エレノア。ちゃんと聞いていますか?」
「もちろん聞いておりますよ」
エレノアは穏やかに微笑んだ。
「お嬢様が、その方のお話をなさるのは、今日で何度目だったでしょう」
「……そんなにお話ししましたか?」
「ええ。17度目です」
少しだけ頬が熱くなる。
私は誤魔化すように、もう一度、港へ目を向けた。
あの方は、今どこにいらっしゃるのだろう。
海賊に襲われ、死を覚悟した私を、その腕で抱き上げてくださった方。目を閉じれば、力強い腕の感触も、胸元に触れた白銀の鎧の冷たさも、昨日のことのようによみがえる。
お名前も知らない。仮面の下のお顔も知らない。それなのに、あの日から、あの方のことばかり考えている。
もう一度、お会いしたい。
次にお会いできたら、助けていただいたお礼を伝えたい。そして、許されるなら。今度はあの方に、一人の大人の女性として見ていただきたい。
窓の外を、白銀の隼が横切る。
「あ……」
隼は領主館の上空を一度旋回すると、北の空へ飛び去っていった。
「エレノア、今の――」
「隼ですね」
「白銀の隼です」
「白銀でしたね」
やっぱり、温度が違う。
◇
あたし、エルダ・スコルは、海蛇船団の旗艦、その船尾に立っていた。
船団はヴァルネスを離れ、北の海を進んでいる。潮風が赤銅色の髪を揺らし、負傷した身体に容赦なく吹きつける。あたしの肩には、あの銀色の男が残していった白いマントが掛かっていた。
「頭領、傷に障ります。中へ戻った方が」
「うるさい」
「ですが――」
「一人にしろ」
部下は何か言いたそうにしていたが、やがて諦めて甲板を離れていく。その姿が見えなくなってから、あたしは白いマントの端を握った。
――圧倒的だった。
あたしの戦斧を正面から受け止め、その気になれば、いつでも命を奪えたはずだ。それでも、あの男はあたしを斬らなかった。
剣を収め、傷ついた身体に自分のマントを掛け、何も求めずに去っていった。
「何なんだよ、あいつは……」
ふと、昔の記憶がよみがえった。
まだ今よりずっと若かった頃、一人の男と出会ったことがある。
ヴァルネスの英雄。
あの男も強かった。圧倒的な力を持ちながら、それを誇ることもなかった。
しかも命の恩人でもある。短い出会いだったが、今でもよく覚えている。
白銀の男を見ていると、ほんの少しだけ、あの男を思い出した。
「……まさかな」
随分と昔の話だ。年齢的に辻褄が合わない。
あたしは白いマントを握り直した。
名前も知らない。どこから来たのかも、どこへ消えたのかも分からない。分かっているのは、誰よりも強くて、どうしようもなく優しい男だということだけだ。
もう一度、会いたい。
敵として、一人の女として、あの男の前に立ちたい。いや、立たねばならない。
「次に会ったら、絶対に逃がさない」
白いマントを胸に抱く。
男に負けたことなどなかった。けれど、男を追いかけたいと思ったのも、生まれて初めてだった。
帆柱の上に、一羽の隼が止まっている。
朝日に照らされた白銀の翼が、大きく広がる。隼はあたしを見下ろすと、ヴァルネスの方角へ飛び去っていった。
◇
いつもの朝。
わたし、セシリア・ヨンスドッティルは魚商の軒先に木箱を並べていた。
海蛇船団の襲撃で壊された店先は、父や近所の人たちが応急処置をしてくれた。新しい板と古い板が継ぎ接ぎになった軒の下に、今朝仕入れた魚を種類ごとに並べていく。
港の朝は早い。
夜明けとともに戻ってきた漁船から魚籠が次々と下ろされ、石畳の上を荷車が行き交っている。
魚を売る商人の声。値段を交渉する料理人。船のそばでは、漁師たちが破れた網を広げて繕っていた。
まだ壊れた船や建物も残っている。それでも、数日前まで海賊に荒らされていた港には、少しずついつもの賑わいが戻ってきていた。
木箱を並べ終え、腰を伸ばす。
港へ続く道を、釣竿を担いだクライスが歩いてくる。
「もう漁へ出るの?」
「何日も休んだからね」
「港を救った英雄様は、まだ見つかってないみたいだよ」
「そうらしいね」
「どんな人なんだろう」
「さあ」
クライスは足を止めずに答える。
「今日は早く戻る?」
「魚が釣れたら」
「それじゃ、いつになるか分からないね」
わたしは意地悪に微笑んだ。
「お昼までには戻るよ」
「気をつけてね」
クライスは片手を上げ、店の前を通り過ぎていく。わたしはその背中が、行き交う荷車や漁師たちの向こうへ消えるまで見送った。
世間では銀色の英雄が話題になっているが、わたしたちには関係のない話だ。
こうして毎朝クライスを海へと見送って、何事もなく平穏に過ごしていければ、それで――。
◇
俺――クライスはいつもの岩場に腰を下ろし、海へ垂らした釣り糸を眺めていた。
海蛇船団の襲撃から数日。港にはまだ壊れた場所も残っているが、漁船は少しずつ海へ戻り始めている。
俺も今日から、いつもの暮らしに戻った。
朝に海へ出て、魚を獲る。港へ戻ったら、セシリアの店へ持っていく。
それでいい。
白銀の戦士だの、港の英雄だのと、街では随分な騒ぎになっているらしいが、どうでもいい。俺は漁師だ。
ただ――。
「一匹も釣れない……」
ここのところ、漁師の仕事の方はさっぱりだ。
白髪混じりの銀髪を掻きむしる。ずっと座りっぱなしで、腰も相変わらずしんどい。
波の音を聞きながら、しばらく白い釣り糸を眺めていると、頭上から羽音が聞こえた。
白銀の隼が、俺の隣へ舞い降りる。
『釣果はどう?』
「見ての通りだ」
俺は口をとがらせ、白い釣り糸を見つめた。
『神、偵察に行ってきたよ』
「なんの?」
『さあね』
ジェミィは愉快そうに翼を広げた。
『大漁すぎて困るね、英雄くん?』
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