第5話 英雄に抱かれた乙女たち
巨大な隼の鉤爪が離れ、白銀の戦士が旗艦の甲板へ舞い戻ってきた。
あたし――エルダは片手をつき、起き上がろうとする。
力が入らない。片膝をついたまま、砕けた胸当ての下を腕で覆う。息をするたび、胸の奥が焼けるように痛んだ。
見上げると、白銀の戦士は何事もなかったように立っていた。
ようやく分かった。あたしが弱かったんじゃない。最初から、勝負にすらなっていなかったのだ。
白銀の戦士が剣を鞘へ収める。肩を留めていた金具を外し、白いマントを脱いだ。
「何のつもりだ」
白銀の戦士は答えない。あたしの前へ歩み寄ると、そのマントを肩へ掛けた。
白い布が傷ついた身体を包み、あたしのあらわになっていた胸元を覆う。
思わず目を見開いた。マントの端を握り、何かを言おうとする。
けれど、声が出なかった。
白銀の戦士が背を向ける。上空では、巨大な隼が旗艦の周囲を旋回していた。
白銀の戦士が甲板を蹴る。急降下してきた隼の鉤爪が、その身体を拾い上げた。
「待て!」
ようやく絞り出した声にも、白銀の戦士は振り返らない。
そのまま空へと舞い上がっていく。あたしは立ち上がろうとした。
足に力が入らず、身体が傾く。駆け寄ってきた船員たちが、あたしを左右から支える。それでも顔は伏せなかった。
白いマントを握りしめたまま、遠ざかっていく白銀の姿を見上げる。
「白銀の戦士……」
あたしを倒し、命を奪わず、マントまで残していった男。
この屈辱を、忘れるものか。
絶対に、忘れてやるものか。
*
海蛇船団の船が、次々と沖へ向かっていく。
桟橋に残っていた海賊たちも長船へ乗り込み、港から離れ始めていた。
私――ミッシェルは、壊れた荷車のそばに膝をつき、負傷した衛兵へ肩を貸していた。
「もう大丈夫です。すぐに手当てを受けられますから」
駆けつけた兵士に衛兵を預ける。
港には、領主軍の兵士たちが続々と集まっていた。逃げ遅れた人々を助け起こし、倒れている衛兵や海賊の手当てを始めている。
海賊の姿は、もうほとんど残っていなかった。終わったのだ。そう思ったとき、大通りの先から一人の戦士が歩いてきた。
白銀の鎧。目元を覆う仮面。
あの方だ。私に気づき、こちらへ向かってくる。
「あなたは……」
立ち上がろうとした瞬間、片足に鋭い痛みが走った。思わず顔を歪め、その場へ崩れそうになる。
白銀の戦士が歩み寄り、私の身体を支えた。
「大丈夫です。これくらいなら、歩けます」
一歩踏み出そうとした。けれど、足に力が入らない。再び身体が傾いてしまう。
白銀の戦士の腕が、私の背中と膝裏へ回された。
「え……?」
次の瞬間、身体が宙へ浮く。私は白銀の戦士に抱き上げられていた。
驚きのあまり目を見開く。反射的にその首へ腕を回し、白銀の胸当てへ身を寄せた。
「お、お待ちください。わたくしは本当に――」
白銀の戦士は何も言わず、私を抱いたまま歩き出した。
領主館へ続く大通りには、避難していた人々が戻り始めていた。誰かが私たちに気づき、声を上げる。
「白銀の戦士だ!」
周囲の視線が一斉に集まった。
海賊を退けたことを知った人々から、次々と歓声が上がる。その声は通りの両側へ広がり、やがて港全体を包んだ。
人々が道を開ける。白銀の戦士は、その間をまっすぐ歩いていく。
私は何も言えなかった。
すぐそばにある横顔を、ただ見つめていた。領主館の前では、兵士や使用人たちが待っていた。
「ミッシェル様!」
私の姿を見つけると、一斉に駆け寄ってくる。
白銀の戦士は玄関前の階段へ、私をゆっくりと降ろした。侍女が身体を支え、兵士たちが周囲を固める。
白銀の戦士が背を向けた。
「お待ちください」
思わず呼び止める。
「お、お名前を」
戦士は振り返らない。
「また、お会いできますか」
その足が止まることはなかった。人々の歓声を避けるように、白銀の背中は人通りのない路地へ消えていった。
*
俺は人々の歓声を避け、人通りのない路地へ入った。
路地の奥では、ジェミィが待っていた。
『ずいぶん丁寧に送り届けたものだね、英雄くん?』
俺は目元を覆っていた白銀の仮面を外した。
「怪我をしていたから」
『なるほど。傷ついた女性は、優しくマントで包み、抱き上げて家まで運ぶ。それが英雄の流儀というわけだ』
「何が言いたいんだよ」
『フフッ、面白いことになりそうだね』
ジェミィは翼を広げ、俺の肩へ飛び乗った。大通りでは今も、白銀の戦士を讃える声が続いている。
こうして、海蛇船団によるリーヴァ港襲撃は終わった。




