第4話 神、海を割る
白銀の隼となったジェミィに両肩をつかまれ、俺――クライスは海蛇船団の旗艦へ向かっていた。
眼下を、リーヴァの街並みが流れていく。
ついさっきまで、俺はいつもの漁師の格好だった。
◇
自宅へ戻ると、部屋の奥に置かれた古い木箱の蓋を開けた。
中に収められているのは、一振りの剣と白銀の鎧。どちらも、戦死した父が遺したものだ。
鎧を取り出し、一つずつ身につけていく。胸当てを革帯で固定し、籠手をはめる。最後に剣を腰へ下げた。
白銀の鎧をまとった俺に、ジェミィが言う。
『よく似合ってるよ、クライス・エイナルソン。さすがは英雄なる子だね』
エイナルの子と上手いこと引っ掛けたつもりだろうが、当然聞き流す。
木箱の隅にしまっていた白銀のアイマスクを顔につける。身バレ防止にとジェミィが用意したものだ。
もっと顔がしっかり隠れる仮面が良いんだが……。
『仕様なんだよ。神たるもの身だしなみは大事だからね』
なんだそうだ。
白銀の光が鎧と仮面をまとった全身を包み込む。最後に、背中から白いマントが広がった。
俺は剣を手に、自宅を出た。
◇
海風が白いマントを激しくはためかせる。
前方には、海蛇船団の旗艦。
その船首に、一人の女が立っていた。
潮風になびく長い赤髪。長身で引き締まった身体には、革と金属を組み合わせた軽装の鎧。その肩には、細身の身体には不釣り合いなほど巨大な戦斧を担いでいる。
エルダ・スコルだ。
◇
あたし――エルダ・スコルは、旗艦の船首から白銀の戦士を見上げていた。巨大な隼に両肩をつかまれ、こちらへ向かって飛んでくる。
「撃ち落とせ!」
部下たちが弓を手に甲板へ駆け出した。
「手を出すな!」
あたしの声に、全員が動きを止める。広場にいた仲間たちを、たった一人で蹴散らした男だ。
面白い。
あたしは戦斧を肩に担ぎ、白銀の戦士が近づいてくるのを待った。巨大な隼が旗艦の上空で翼を傾ける。鉤爪が離れ、男の身体が宙へ投げ出された。
甲板へ着地する。白銀の鎧。白いマント。顔の上半分を覆う銀色のアイマスク。潮風を受け、白いマントが大きくなびいた。
部下たちが武器を構える。あたしは片手を上げ、それを制した。
「広場の連中を倒したのは、お前か。ずいぶん派手にやってくれたな」
「誰も殺してはいない」
思わず目を細める。
「何者だ、お前」
男は答えない。
「名乗る気はないか」
笑いが込み上げた。
「面白い男だ。悪くない」
戦斧を両手で構え、甲板を蹴る。一息で間合いを詰め、横薙ぎに戦斧を振るった。
男は剣一本で受け止めた。激しい金属音が響く。だが、男の身体は微動だにしない。
「ほう」
今度は全身の力を込め、戦斧を振り下ろす。かわされる。厚い甲板が砕けた。斧を引き抜き、そのまま刃を跳ね上げる。
受け流された。何度打ち込んでも、届かない。いや、違う。
こいつ――。
「どうした!」
さらに踏み込む。
「守ってばかりでは、あたしは倒せんぞ!」
男が初めて剣を押し返した。たったそれだけで、身体が数歩も後ろへ弾かれる。
「まだ手加減しているのか?」
答えはない。腹が立つ。同時に、ぞくりとした。これほどの相手は初めてだ。
「ならば、受けてみろ!」
甲板を蹴った。全身の力を戦斧へ乗せ、真正面から振り下ろす。
男は逃げなかった。剣一本で受ける。甲板が軋んだ。
「おおおっ!」
さらに力を込める。それでも、男の腕は沈まない。次の瞬間、剣がわずかに動いた。戦斧が跳ね上がる。
「な――」
白銀の光が走った。戦斧の刃が根元から砕け飛ぶ。続けざまに剣が胸元を横切った。
「ぐっ!」
金属音とともに、あたしの胸当てが弾け飛んだ。
身体が甲板を転がる。手から離れた戦斧の柄と、砕けた鎧の破片が床へ散った。
◇
「……くっ」
エルダは片手をつき、起き上がろうとした。だが、身体を支えきれず、片膝をつく。
砕けた胸当ての下からあらわになった豊かな胸元を、片腕で覆った。
エルダが顔を上げ、俺を睨みつける。
気の強そうな目に、すっと通った鼻筋。こうして正面から見ると、かなりの美人だ。
周囲の海賊たちが息を呑む。俺は剣を下ろした。エルダは肩で息をしながら、俺を睨み上げる。
「ま、まだだ……」
港から雄叫びが聞こえた。振り返る。
何隻もの長船から、新たな海賊たちが桟橋へ降りようとしていた。沖からも、後続の船が次々と港へ向かってくる。
「あたし一人を倒したところで、海蛇船団は止まらんぞ」
確かに、この船の上で賊長と勝負がついたことなど、離れた船には分からない。一隻ずつ回って説得している時間もなさそうだ。
俺は上空を見上げた。
「ジェミィ」
白銀の隼が翼を翻し、旗艦へ向かって急降下する。伸ばされた鉤爪が、俺の両肩をつかんだ。
身体が甲板から浮かび上がる。ジェミィは大きく羽ばたき、俺を船団の上空へ運んでいく。旗艦が遠ざかる。その向こうには、海を埋めるように並んだ海蛇船団の長船が見えた。
俺は剣を空へ掲げる。
「ロキ・サラマ」
青空が瞬く間に黒雲で覆われた。雲の奥で白い光が走る。
次の瞬間、轟音とともに雷が落ちた。海蛇船団のすぐそばで海面が弾け、巨大な水柱が立ち上がる。
海賊たちが一斉に空を見上げた。口々に驚愕の声を上げる。
「な、なんだこれは!?」
「か、神か、悪魔か!?」
魔法を放つ時は、いつも仰々しい呪文を唱えさせられる。それが仕様らしい。
ジェミィ曰く『僕はロキの化身なのさ』だそうだ。悪戯好きのトリックスターとして知られる北欧の神。本当か嘘かは分からない。そもそも、どうでもいい。
『トリックスター。そう、鳥だけにね』
「うるさいよ」
二本目の雷が、別の長船の前方へ落ちる。
三本目、四本目と、白銀の雷が船団を取り囲むように海へ突き刺さった。
海面が次々と爆発し、長船が激しく揺れる。それでも、船団は止まらなかった。先頭の長船が水柱の間を抜け、港へ進んでくる。
俺は掲げていた剣を、その船へ向けた。
「ロキ・トロンビ」
船団の前方で、海面が大きく窪んだ。青黒い海水が渦を巻き、その中心から空へ昇っていく。
やがて巨大な水柱となり、黒雲を突き破った。今朝、魚を捕らえた竜巻とは、比べものにならない規模だ。
空と海をつなぐ水の竜巻が、船団の前に立ちはだかる。暴風が吹き荒れ、長船の帆を激しくあおった。船体が大きく傾き、櫂を握っていた海賊たちが甲板へ転がる。
先頭の長船が進路を外れ、横へ流される。後続の船も次々と押し戻されていく。
それでも、海賊たちは櫂を捨てなかった。風に逆らい、再び船首を港へ向けようとしている。
俺は港と船団の間へ剣を向けた。
「ロキ・シヴァルス」
横薙ぎに剣を振るう。白銀の光が海面を走った。一瞬遅れて、腹の底まで響く轟音が走る。
海が割れた。
港と海蛇船団の間に、一直線の亀裂が走っている。海水が左右へ押しのけられ、巨大な壁となって立ち上がる。その遥か下には、日の光を受けた海底が見えた。
長船が止まる。櫂を動かす者も、武器を掲げる者もいない。海賊たちは声を失い、空にいる俺を見上げていた。やがて、左右にそびえていた海の壁が崩れ始める。
凄まじい水音とともに海水が戻り、白い波が船団の間を駆け抜けた。旗艦から、低い角笛の音が響いた。続けて二度、短い音が海上へ広がる。
海賊たちが櫂を引き上げた。港に上陸していた者たちも長船へ戻り始める。船団がゆっくりと向きを変え、次々とリーヴァ港へ背を向けていく。
襲撃は終わった。
俺は息を吐き、剣を下ろした。ジェミィが翼を傾ける。俺の身体を運んだまま旋回し、旗艦へ向かって降下していく。
砕けた鎧の破片が散らばる船首で、エルダが片膝をついていた。
「……貴様……よくも……」
立ち上がれないまま、片腕で胸元を隠している。それでも顔を伏せることなく、近づいてくる俺を真っすぐ見上げていた。
俺は白銀の翼に運ばれ、彼女のもとへ再び舞い降りた。




