第2話 赤髪の女海賊と金髪のお嬢様
しばらくして港町リーヴァに警鐘が鳴り響いた。
「海蛇船団の襲撃だ!」
港の西側に設けられた軍用桟橋から、領主軍の船が次々と出航していく。
「領主軍が食い止める! 住民は家へ戻れ!」
セシリアが不安そうに沖を見る。
「クライス……」
「大丈夫だよ。領主軍が何とかしてくれる」
肩の上で、ジェミィが沖を眺めていた。
『行かなくていいの?』
「領主軍の仕事だろ。俺は漁師だ」
『君、この地域一帯を担当する神なんだけど』
聞こえないふりをする。
『海賊が続々とやってくる。ぞくぞくするね、賊だけに』
こいつは何を面白がっているんだ。
やがて海蛇船団が領主軍とぶつかった。灰色の空を矢が飛び交い、船同士が激しくぶつかる。
最初は領主軍が押していた。
だが、海蛇船団が左右へ分かれた瞬間、その中央を一隻の長船が突き抜けた。
船首に立つのは、巨大な戦斧を掲げた女。
エルダ・スコル。
長船が領主軍の旗艦へ激突する。
鉤縄が飛び、海賊たちが甲板へ雪崩れ込んだ。その先頭で、エルダの戦斧が振るわれる。
盾が砕け、兵士たちが倒れていく。
ほどなくして、領主旗が甲板へ落ちた。
「道は開いた。目指すはリーヴァだ!」
領主軍の陣形が崩れ、海蛇船団が一斉に港へ向かってくる。
「逃げろ!」
「海賊が来るぞ!」
港中で悲鳴が上がった。
長船が次々と桟橋へ着き、海賊たちが上陸する。
「狙うのは食料と武器、銀貨だ。民には手を出すな。抵抗する者だけを倒せ!」
エルダの声が港に響いた。
「セシリア、クライス。逃げるぞ」
ヨンの声に、俺たちは店の裏口から外へ出た。
路地には、すでに避難する人々が押し寄せている。港に近い広場では、若い娘が避難する人々へ声をかけていた。
「子供と負傷者を先に!」
淡い金髪の長い巻き髪に、深い青のドレス。その上から白い毛皮の外套をまとっている。
「あれは、確か――」
ミッシェル・ヴァルネス。領主の長女だ。地元の有名人だから、俺も顔ぐらいは知ってる。
メイドらしき女がミッシェルの肩を揺する。
「ミッシェルお嬢様、もうお逃げください!」
「いいえ、エレノア。まだ人が残っています」
広場へ続く通りから、海賊たちが迫ってくる。ミッシェルは、まだ避難誘導を続けていた。
「クライス?」
足を止めた俺を、セシリアが振り返る。
「先に行ってくれ」
セシリアは何か言いかけたが、ヨンに促され、人の流れに消えていった。
ミッシェルの前方へ、一人の海賊が飛び出した。
別の通りからも海賊たちが入ってくる。逃げ道が塞がれようとしていた。
『神、出番だよ』
肩先のジェミィが囁く。
不本意だが、この状況ではさすがに抗えない。俺は人目を避けて路地へ入り、自宅へ向かった。
◇
私――ミッシェル・ヴァルネスは、広場で海賊たちに囲まれていた。
つい先ほどまで一緒にいたエレノアとも、逃げ惑う人々の波に押されてはぐれてしまった。
衛兵たちの防衛線はすでに崩れている。周囲には倒れた兵士たちの姿があり、逃げ道も塞がれていた。
遠くから怒号と悲鳴が聞こえる。港の方角では黒い煙が上がり、風に乗って焦げたような臭いが流れてきた。
怖い。
領主の娘として、取り乱してはいけない。逃げ遅れた人たちを少しでも安全な場所へ導かなければならない。
そう思っていたはずなのに、いざ武器を持った海賊たちを目の前にすると、身体が言うことを聞かなかった。
「その外套、領主家の者だな」
一人の海賊が、私の腕をつかもうと手を伸ばしてくる。
「触らないでください!」
足元に落ちていた剣を拾い、夢中でその手を切りつけた。浅い傷だった。それでも、男の手から血が流れる。
「この女……!」
男の顔が歪み、戦斧が振り上げられた。
逃げなくては。
そう思ったのに、足が動かない。
震える両手で剣を構える。剣を握る手にもほとんど力が入らなかった。
戦斧が振り下ろされた。
――その瞬間。
白銀の影が、私の前へ滑り込んだ。
鈍い音が広場に響く。
振り下ろされた戦斧を、一振りの剣が受け止めていた。
白銀の鎧。白いマント。顔の上半分を覆う銀色のアイマスク。
その人は、片手で剣を構えたまま微動だにしない。
「……え?」
思わず声が漏れた。
海賊は歯を食いしばり、戦斧に全体重をかけている。それなのに、白銀の戦士らしき人は、まるで何も重さを感じていないようだった。
先ほどまで身体を縛りつけていた恐怖が、少しずつ遠ざかっていく。
目の前にいる人が誰なのかも分からない。
それなのに、その背中を見ているだけで、不思議ともう大丈夫だと思えた。
この人は――誰?




