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おっさん漁師、神になる   作者: 祭人
第三章 幼馴染と白銀の隼に困る
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第3話 天使、いや悪魔の隼に困る

 俺――クライスが自分の船を持ったのは、漁師として独立してすぐの頃だった。


 中古の小さな漁船だ。船体にはあちこち傷があり、塗装も剥げている。それでも、初めて自分の船で沖へ出た日のことはよく覚えている。


 夜明け前に港を出て、日が昇る頃には網を入れる。魚が獲れれば港へ戻り、獲れなければ場所を変えてもう一度。そんな毎日の繰り返しだった。


 ◇


 その朝も、いつもと変わらなかった。


 夜明け前に一人で港を出て、沖へ向かう。空は薄曇りで、北から吹く風は少し冷たい。


 網を入れようとしたところで、頭上から羽音が聞こえた。見上げると、一羽の隼が船の上を旋回していた。


 白い。


 いや、ただ白いだけじゃない。翼が朝日を受けるたび、銀色に輝いて見える。


 隼はゆっくり高度を下げると、船縁に降り立った。


「なんだ。魚でも欲しいのか?」


『やっと見つけた』


 俺は動きを止めた。誰だ。周囲を見る。海しかない。


『こっちだよ、こっち』


 視線を戻す。白銀の隼が俺を見ていた。


「……お前か?」


『他に誰がいるのさ』


 隼が喋っている。


 俺はしばらく黙って、その鳥を見つめた。


「疲れてるのか、俺」


 白銀の隼は翼を広げ、得意げに胸を張った。


『僕はジェミィ。最高神アルメシアの使いにして、ロキの化身』


「……ロキ?」


『そう。天使様だよ。とにかく、偉い存在だと思ってくれればいいよ』


 胡散臭いな。


『神々しいでしょ。この輝きを見てよ』


 ジェミィが翼を広げる。白銀の羽根が朝日にきらきらと輝いた。


 むしろ悪魔の使いじゃないのか?


 ジェミィは俺を見上げた。


『エイナルの子、クライス。君は本日付で、この地域一帯を担当する神に認定された。異論は認めない』


 朝の海に、俺の声と鳥の声だけが響く。


 最高神アルメシア。ロキの化身。ヴァルネス領の守護神。話が大きすぎて、どこから疑えばいいのかも分からない。


「そもそも、なんで俺なんだ」


『君だからだよ』


「答えになってない。俺はただの漁師だぞ」


 ジェミィの声から、ふっと軽さが消えた。


『きみが神に選ばれたのは、運命なんだ』


「運命、なんの?」


『さあね』


「はあ?」


 ますます信用できない。ジェミィは気にした様子もなく、羽繕いを始めた。


『英雄の子、クライス。それが君の宿命だ』


「……親父のことも知ってるのか?」


『どうだろうね』


 まただ。


 こいつは肝心なことになると、何も答えない。


 ただ、一つだけ分かった。この白銀の隼が俺の前に現れたのは、偶然じゃない。死んだ親父も、何かに関わっていたのかもしれない。


「……ろくな話じゃなさそうだな」


『そう? 神になると女の子にモテモテだよ。最高に愉快じゃないか』


 ジェミィは楽しそうに首を傾げた。


 港へ戻れば、いつものようにセシリアがいた。

  

「おかえりクライス。あれ、その鳥は?」


 俺の肩先のジェミィを指さす。


「勝手に着いてきた」


「すごくきれいな鳥ね。隼?」


「ああ、そうみたいだな」


「で、今日はどうだった?」


「まあまあ」


「その顔は、あんまり獲れてない顔だね」


「顔で漁獲量が分かるのか?」


「クライスの顔ならね」


 セシリアはそう言って笑う。


 獲ってきた魚を店へ運び、代金を受け取る。時間があれば少し話をして、それから家へ帰る。


 両親を失ってから、ずいぶん時間が経った。ようやく手に入れた、何も起こらない毎日だった。


「晩御飯、今日もうちで食べてく?」


「いや……今日はいい」


「分かった。じゃあ、また明日ね」


「ああ」


 手を振るセシリアに背を向ける。

 

 しばらくしてジェミィが口を開いた。


『彼女が君の奥さん? 可愛いね』


「そんなんじゃない。ただの幼馴染だ」


『ふーん、ニヤニヤ』


 ◇

 

 それがジェミィとの出会いだった。


 明日も海へ出る。明後日も、その次の日も。俺はそれでいいと思っていた。セシリアとの関係も、昔からほとんど変わっていない。


 幼馴染で、友人で、一番近くにいる女。たぶん、それ以上でもある。けれどその先へ進むのは、難しいことになってしまったのかも知れない。

 

 こいつとの出会いのせいで。

 

『神になって美女を入れ食い大漁ハーレム生活。いいねえ、実にいい』


「だから神になんてならないって」


 もしそんなことになってしまったら、セシリアとの生活はどうなるんだ?


『でも正妻の制裁には気を付けなよ、せいさいだけにw』


「うるさいよ」


 天使、いや悪魔の隼に困る。


 ◇


 夕方。


 家に戻った俺はいつものように、ひとりで簡単な夕食を済ませていた。


 焼いた魚と黒パン。それに野菜の入ったスープ。昼間、セシリアから売り物にならないからと持たされた魚だ。


 何ということもない、いつもの夕食だった。焼いた魚を口に運びながら、ふと手が止まる。


「昔は、毎日みんなで飯を食べていたよな……」


 父が獲ってきた魚を母が焼いて、三人で同じ食卓を囲んでいた。


 父の言葉を思い出す。


 ――海に出て魚を獲る。家族を食わせる。それで充分だ。


 子供の頃の俺には、その意味が分からなかった。


 戦士として街を守る父の方が格好良かった。みんなから英雄と呼ばれる父が自慢だった。


 だけど父は、戦士として死んだ。残された母は一人で働き続け、やがて身体を壊して死んだ。


 今なら分かる。


 父は英雄になりたかったわけじゃない。ただ、家族を守りたかったんだ。


 漁師として海へ出て、魚を獲って、家族のところへ帰る。きっと、それで良かったんだと思う。


 俺も同じだ。明日も海へ出る。明後日も、その次の日も。魚を獲って、港へ帰る。


 そこにはセシリアがいて「おかえり」と言う。俺は「ただいま」と返す。


 神だとか、英雄だとか、そんなものになりたいとは思わない。


 俺は漁師だ。


 これからも、この海で生きていく。幼馴染と静かに過ごしながら――。

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