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おっさん漁師、神になる   作者: 祭人
第三章 幼馴染と白銀の隼に困る
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第4話 幼馴染に困る

 東の空がようやく明るくなり、灰色だった北海に細い光が差し始めている。


「はい、お弁当」


 出航前の朝。クライスがお弁当を受け取り、鞄に入れる。

 

 わたし――セシリアが焼いた魚と黒パン。それから昨日の残りの野菜を詰めて布で包んだものだ。


「ああ。ありがとう」


「今日は遅くなる?」


「いや。昼過ぎには戻ると思う」


「分かった」


 それだけ言って、クライスは出航した。わたしも少し遅れて市場へ戻る。


 春になったとはいえ、朝の港はまだ寒い。吐く息がうっすら白く、桟橋には夜露が残っていた。


 朝のヴァルネスは、もう動き始めていた。


 港へ続く道には荷車が行き交い、魚商たちが店先に品物を並べている。海から吹いてくる風には、潮と魚の匂いが混じっていた。


 クライスは漁へ行く。わたしは店で魚を売る。子供の頃から、形を変えながら何度も繰り返してきた朝だった。


 ◇


 昼になる頃には朝の冷え込みも和らぎ、市場には春の日差しが差し込んでいた。


 岸壁では朝に出た漁船が次々と戻り、魚を満載した籠が船から運び出されている。


 魚を売りながら、ときどき港を見る。それがいつの間にか、わたしの習慣になっていた。


 正午過ぎ。見慣れた漁船が港へ戻ってきた。わたしは店先からそれを見つける。帆の形だけで、クライスの船は遠くからでも分かる。


 船から降りてきたクライスの肩には、今日も白銀の隼が止まっていた。


「おかえり、クライス」


「ああ。ただいま」


「今日は?」


「まあまあだな」


 クライスが籠を見せる。中には何匹もの魚が重なっていた。


「クライスにしては大漁だね」


「にしては、は余計だ」


 クライスから籠を受け取る。


「これは店に出していい?」


「ああ」


 いつもの会話。


 昔から、何度こんなやり取りをしてきたのだろう。


 特別なことは何もない。でも、わたしはこういう時間が好きだった。


 ◇


 クライスのお父さんが亡くなったとき、わたしはクライスの隣にいた。


 お母さんが亡くなったときも。クライスが漁師になるために働いていた頃も、ずっと近くにいた。そして今もいる。


 幼馴染。


 わたしたちの関係を説明するなら、たぶんそれが一番正しい。でも、それだけではない。


 わたしはクライスが好きだ。


 いつか、この人のお嫁さんになれたらと思っている。だからといって、今すぐ何かを変えたいわけでもなかった。


 朝になればお弁当を作って、クライスを海へ送り出す。わたしは店で働きながら、港へ戻ってくる船を待つ。


 帰ってきたら「おかえり」と言う。クライスは「ただいま」と返してくれる。そんな毎日が、この先もずっと続いてほしい。


 クライスも、わたしたちの今後については何も言わない。


 わたしのことをどう思っているのか。それは、わたしにも分からない。ただ、これだけ長く一緒にいるのだから、少しくらい期待してもいいと思う。


 ◇


 最近、ひとつだけ変わったことがある。


 ジェミィ。


 ある日突然クライスのところへ現れ、そのまま居ついてしまった白銀の隼。


 最初はただの鳥だと思っていた。でも、どうやら様子がおかしい。


 クライスはときどき、ジェミィを見ながら一人で何かを呟いている。何をしているのかと聞いても、いつも適当にはぐらかされる。


 今日も店の前で魚を仕分けていると、少し離れたところにいるクライスが肩のジェミィを睨んだ。


「うるさいよ」


 わたしは手を止める。


「どうしたの?」


「いや。なんでもない」


 まただ。ジェミィは何食わぬ顔で羽繕いをしている。


 少し怪しい。でも、クライスが楽しそうだから、まあいいかと思っている。


 ふと辺りを見渡す。西へ傾いた春の日差しが、港に並ぶ帆柱の影を長く伸ばしていた。


 ジェミィが現れてから変わったこと。


 クライスが海を見ている時間が増えた。ときどき、わたしの知らない顔をするようにもなった。


 何をしているのかは分からない。でも何かを隠していることだけは、なんとなく分かる。それでも、朝になればクライスは漁へ出る。昼になれば、いつもの港へ帰ってくる。


 わたしが「おかえり」と言えば、「ただいま」と返してくれる。


「セシリア」


 顔を上げる。


「これ、どこに置けばいい?」


 クライスが魚の入った籠を抱えていた。


「こっち。運んで」


「分かった」


 わたしの横を通り過ぎる。その背中を見ながら、少しだけ思う。


 ジェミィが現れてから、なにかが少し変わった。でも、一番変わってほしいところは、昔からちっとも変わらない。


 二つ年上のクライス。そろそろおじさんだ。わたしも、もう適齢期を過ぎている。彼はいつになったら、わたしを貰ってくれるのだろう。


 なかなか決断してくれない、幼馴染に困る。

 

(次章へ)

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