↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おっさん漁師、神になる   作者: 祭人
第三章 幼馴染と白銀の隼に困る
PR
13/16

第1話 英雄になんてならないよ

「大きくなったら、父さんみたいな英雄になるんだ!」


 幼い俺がそう言うと、父のエイナルは少しだけ困ったような顔をした。

 

 大きな手が、俺の頭に乗る。父の腰には剣があった。いつも漁に出るときの格好とは違う。厚い白銀の鎧にマント。腰には白銀の剣。


 格好いいと思った。ヴァルネスを守る勇敢な戦士。俺の父さんは、英雄なんだ。


「じゃあ、行ってくる。良い子にしてるんだぞ。母さんをよろしくな」


「うん。いってらっしゃい!」


 父が背を向ける。その背中が、少しずつ遠ざかっていく。


 やがて辺りが暗くなった。父の姿が、闇の中へ消えていく。


「父さん?」


 返事はない。俺は一目散に追いかけた。


 走っても、追いつかない。どんどん遠くなる。


「父さーん!」


 そこで目が覚めた。


 薄暗い天井が見える。しばらく何も考えられず、俺は天井を見つめていた。額に汗が滲んでいる。


「……また、あの夢か」


 俺は腕で額を拭った。


「俺はならないよ、英雄になんて」


 ◇


 子供の頃の俺――クライスは父親から剣術をよく教えてもらっていた。父のような勇敢な戦士や英雄に憧れていたからだ。


 家の裏手にある空き地で、俺は両手で木剣を構える。向かいに立つ父も同じ木剣を持っていた。


「来い」


「いくよ!」


 地面を蹴り、思いきり木剣を振り下ろす。


 父は半歩横へ動いただけだった。空振りした勢いで身体が前へ流れる。次の瞬間、足を払われて地面に転がった。


「痛っ」


「剣ばかり見てるからだ」


「見ないと戦えないじゃん」


「相手は剣だけじゃない。手もある。足もある」


 父が木剣の先で俺の足元を軽く叩く。


「足を止めるな。相手の身体をよく見ろ」


「分かった」


 立ち上がって、もう一度構える。


 今度は父の木剣だけを見ない。肩、腕、足。全部見る。


「うおおっ!」


「声だけは一人前だな」


 振り下ろした木剣を受け止められる。そのまま押し返されそうになり、今度は横から振った。


 それも簡単に止められた。


「もう一回!」


「今ので二回だ」


「じゃあ三回目!」


 何度やっても一本も取れない。


 父は戦えば強かった。街の大人たちがそう言っていたし、実際にこうして剣を合わせれば、子供の俺にもよく分かる。


「ねえ、父さん」


「なんだ」


「父さんくらい強くなったら、海賊なんて簡単に倒せる?」


 父の木剣が止まった。


「簡単な戦いなんかない」


「でも、父さんは負けないだろ?」


 父はすぐには答えなかった。


 俺には、その沈黙の意味が分からなかった。


「俺も強くなる。父さんみたいな戦士になるんだ」


「そうか」


「それで、海賊が来たら俺がやっつける」


 父は少し困ったように笑った。


「まずは俺から一本取ってから言え」


「取るよ。すぐに!」


「十年早い」


「じゃあ十年やる!」


 父が笑った。


「そうか」


 木剣を構え直す。


「なら、もう一回来い」


「うん!」


 俺はまた父に向かって駆け出した。


 ◇


 俺は父親の船にも、よく乗せてもらっていた。


「クライス、そっちを引け」


 両手で網を掴み、力いっぱい引っ張る。重い。でも、父の前で弱音なんか吐きたくなかった。


「そんなに力むな。海に落ちるぞ」


「大丈夫だって!」


 ようやく網が海面から姿を現した。銀色の魚が何匹も跳ねている。


「へへっ、大漁だね!」


「ああ。今日は悪くないな」


「悪くないどころじゃないよ。大漁だよ!」


 父は笑いながら網を引き上げた。俺も負けじと手伝う。


 父は漁師だった。朝早く海へ出て、魚を獲って、夕方には家へ帰ってくる。だけど父の仕事は、それだけじゃなかった。


 戦士。それが父エイナルのもう一つの職業だ。


 ヴァルネスでは、普段は漁師や職人として働きながら、いざというときには武器を持って戦う男たちがいる。父さんも、その一人だった。


 何度もヴァルネスを守り、戦いでは誰よりも活躍する。街のみんなが父を知っていた。俺にとって父は、ヴァルネスで一番の英雄だった。


 港へ戻ると、桟橋に見慣れた女の子が立っていた。


「クライス!」


「セシリア!」


 亜麻色の髪を揺らしながら、幼馴染のセシリアがこちらへ走ってくる。


「今日はどうだった?」


「大漁!」


「ほんと?」


「見てみろよ」


 俺は得意げに船の中を指差した。籠いっぱいの魚を見て、セシリアが目を丸くする。


「すごい」


「俺が網を引いたんだ」


「エイナルおじさんが引いたんじゃないの?」


「俺も引いた!」


 父が後ろで笑っている。


「それだけじゃないぞ。父さん、この前の戦いでも一番活躍したんだからな」


「知ってるよ。うちのお父さんが言ってた。ほんと凄いよね」


「大したことじゃない」


 と父がぶっきらぼうに言う。


「大したことあるよ!」


 俺はすぐに言い返した。


「父さん、領主様の専属の戦士にならないかって誘われてるんだぞ」


「そうなの?」


「ああ。漁師を辞めてお付きの戦士になれって」


 父は船を片づけながら、黙って俺たちの話を聞いていた。


 前から不思議だった。魚を獲るのも上手いけど、父は戦えばもっとすごい。


「そんなつもりはない」


「ねえ。どうして専業の戦士にならないの? スカウトされてるんでしょ?」


 父の手が止まった。少しだけ考えるように海を見る。それから、いつもの調子で言った。


「クライス、俺は漁師だ」


 そう答えると父は、俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「痛いって!」


「帰るぞ」


 そのときの俺には、父が何を言いたかったのか分からなかった。ただ、もったいないと思った。あんなに強いのに。あんなにみんなから頼りにされているのに。


 俺なら絶対に戦士になる。そして、父みたいな英雄になる。


 そう思っていた。


 ◇


 その日の夕食には、昼間に父と獲った魚が並んだ。


「これ、俺が獲った魚だよ」


 母が焼いた魚を指差す。


「網を引いただけだろ」


「俺も引いたんだから、俺が獲ったの!」


「はいはい。二人で獲った魚ね」


 母が笑いながら、俺と父の前にスープを置いた。魚と黒パン、それに野菜の入ったスープ。いつもの夕食だった。


「今日ね、すごい大漁だったんだよ」


「そう。良かったわね」


「それから剣の稽古もした」


 母の手が止まった。


「また?」


「うん。今日はもう少しで父さんから一本取れそうだった」


「そうなの?」


「嘘だ」


「嘘じゃないよ!」


「かすりもしてない」


「次は取れるもん」


 父が黒パンをちぎりながら笑う。


 母は呆れたように父を見る。


「漁から帰ってきたと思ったら、今度は剣。二人とも元気ね」


「クライスがやりたいって言うからな」


「父さんみたいに強くなりたいんだ」


 そう言うと、母は少しだけ困ったような顔をした。


「そんなに強くならなくてもいいのよ」


「なんで?」


「怪我するから」


「大丈夫だよ。父さんだっていつも帰ってくるじゃん。それに俺、父さんより強くなるから」


「そりゃ楽しみだ」


「ほんとだよ。大きくなったら父さんみたいな戦士になるんだ」


 父が食べる手を止めた。


「戦士なんかより、漁師の方が尊い仕事だぞ」


「どうして?」


「海に出て魚を獲る。家族を食わせる。生きていくには、それで充分だ」


「でも、戦士になったらみんなを守れるよ。英雄にもなれる」


「英雄なんて、なるもんじゃない」


 父はそう言って、焼いた魚を口へ運んだ。


 俺には意味が分からなかった。


 街のみんなから頼りにされて、悪い海賊をやっつける。父は強くて、格好いい。漁師より戦士の方がずっとすごいと思っていた。


 母が俺の皿に魚を取り分ける。


「私はね、三人でこうやってご飯を食べられれば、それでいいの」


「毎日食べてるじゃん」


「そうね」


 母は笑った。


「だから、明日も明後日も食べたいの」


「当たり前だよ」


 父が顔を上げる。


「そうだな」


 短く答えて、また魚を食べる。


「父さん、明日も漁?」


「ああ。朝早く出るぞ」


「俺も行く!」


「寝坊するなよ」


「しないよ!」


 母が笑い、父も笑った。


 明日になれば、また父と海へ出る。そして夜になれば、三人で食卓を囲む。


 あの頃の俺には、父と母が言っていたことの意味が分からなかった。


 それがずっと続くものだと思っていた。


 ◇


 ある日、港の鐘が何度も鳴った。


 海賊が来た。


 その知らせは、あっという間に街中へ広がった。大人たちが慌ただしく走り回り、港には武器を持った男たちが集まっていた。


 父にも招集がかかった。


「行ってくる」


 心配そうな母親を背に、俺はいつものように笑顔で父を見送った。


「大きくなったら、父さんみたいな英雄になるんだ!」


 幼い俺がそう言うと、父は少しだけ困ったような顔をした。大きな手が、俺の頭に乗る。


 父の腰には剣があった。いつも漁に出るときの格好とは違う。厚い白銀の鎧にマント。腰には白銀の剣。


 格好いいと思った。ヴァルネスを守る勇敢な戦士。俺の父さんは、英雄なんだ。


「じゃあ、行ってくる。良い子にしてるんだぞ。母さんをよろしくな」


「うん。いってらっしゃい!」


 それが、父を見た最後だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。