第6話 お嬢様と奴隷少女とシスターに困る
あれから、数日が経った。
修道院には、いつもの日常が戻っている。あたし――ミア・キスペは、庭で洗濯物を干していた。
「ご機嫌よう、ミアさん」
声に振り返ると、ミッシェル様が立っていた。
「おはようございます、ミッシェル様」
「今日は、皆さんにお知らせがあって来たの」
「お知らせ、ですか?」
「ええ、この修道院のこと。もう誰にも取られる心配はないわ」
「え?」
思わず手が止まった。
「匿名の方が、修道院を買い取ってくださったの」
「匿名の人……が、ですか?」
「ええ。それも、大量の宝石で」
大量の宝石。
「その上で、運営はヴァルネス領にお任せしますって。つまり今日から、この修道院は公共の施設になったのよ。もう誰に買い取られる心配はないわ」
「そうなんですか!」
思わず、あたしの声が弾んだ。
「もしかしたら、ミアさんたちを匿名で解放してくれた方と、同じ人物かも知れないわね」
その言葉を聞いて、あたしの頭にひとりの男が浮かんだ。
銀色の仮面をつけた、白銀の紳士。
あの人も、宝石を使ってあたしたち奴隷を買ったと聞いている。
そして、修道院を守ってくれた白銀の騎士。
どちらも、白銀。
「もしかして……」
あたしたちを買って、自由にしてくれた。
そして今度は、あたしたちが暮らす場所まで守ってくれた。もし、ふたりが同じ人なら――。
もう一度、会いたい。
ちゃんとお礼を言いたい。今度は、助けてもらった奴隷としてじゃなく――
ひとりの女の子として。
◇
わたくし――シスター・マリーは、礼拝堂でひとり祈りを捧げていた。
修道院は守られた。子どもたちは、これからもここで暮らすことができる。
本来なら、最高神アルメシア様に感謝を捧げることだけを考えるべきなのでしょう。
けれど、目を閉じると別の姿が浮かんでくる。
白銀の鎧。銀色の仮面。
わたくしの目の前で、巨人兵の拳を片手で受け止めた男性。
名前も知らない。素顔も知らない。
声だって、ほんの少し聞いただけ。それなのに、あれから何度も思い出してしまう。
「シスター」
「きゃっ!」
振り返ると、ひとりの女の子が不思議そうにわたくしを見ていた。
「どうしたの?」
「い、いいえ。なんでもありませんよ」
「白銀の人のこと考えてた?」
「えっ?」
「だって、シスター、あの人が現れてから変だもん」
「そ、そんなことはありません」
「顔、赤いよ?」
「これは……」
子ども相手に、何を動揺しているのでしょう。
「もう。おませさんですね」
わたくしは誤魔化すように、その子の頭を撫でた。
女の子は楽しそうに笑って、礼拝堂から駆けていく。
静けさが戻った。わたくしは、もう一度アルメシアの像へ向き直る。
けれど、また銀色の仮面が頭に浮かんだ。
「……聖なるアルメシア様。ふしだらなわたくしを、どうかお許しください」
思わず口にしてから、わたくしは小さく息を吐いた。
◇
私――ミッシェル・ヴァルネスは、修道院を出て自宅のお屋敷へ向かっていた。
父から頼まれた言伝は済んだ。
修道院を救った匿名の宝石。奴隷たちを解放した白銀の紳士。そして巨人を退けた白銀の騎士。
これまでの出来事を通じて、私には思い当たる人が一人しかいなかった。
きっと、あの方だ。
海蛇船団から私を救ってくださった白銀の人。あの日、抱きかかえられた時の感触が蘇る。
白銀の仮面。力強い腕。そして、あの雄々しくも優しい声。思い出すだけで、胸の鼓動が少し速くなる。
もう一度だけでも、お会いしたい。今度は助けられるだけではなく、きちんと言葉を交わしたい。
あなたは誰なのですか、と。
そう思いながら歩いていると、向こうから男女が歩いてきた。
大きな魚箱を抱えた男性と、その隣を歩く亜麻色の髪の女性。修道院への配達だろうか。どこにでもいる、三十歳前後とおぼしき町の男女。そう思った。
すれ違う。ほんの一瞬、男性と目が合った。
――え?
胸の奥が、大きく鳴った。足が止まる。
――どうして。今の人は、知らない人なのに。
そのまま通り過ぎるふたり。私は振り返った。男性は女性と並んで、何事もなかったように遠ざかっていく。
白銀の鎧もない。仮面もない。ただ魚箱を抱えて歩く、普通の男性。それなのに。あの一瞬、目が合った時。胸の奥に蘇ったものは――。
「そんな……」
自分でも理由が分からない。もう一度、遠ざかる背中を見る。広くて頼もしい背中。あの方に、似ている。でも――。
「……まさか、ね」
私はそう呟いたのに、しばらくその場から動くことができなかった。
◇
俺――クライスは、魚箱を抱えたままセシリアと並んで歩いていた。
さっきすれ違ったのは、ミッシェルだ。
向こうが知っているのは、白銀の鎧と仮面をつけた俺だけ。だから目が合っても、知らない相手のように俺はそのまま通り過ぎた。
なのに白銀の姿しか知らないはずなのに、ミッシェルは振り返った。
何かに気づいたのか?
もし正体がばれれば、平穏な漁師暮らしはどうなるんだ。領主の娘に知られれば、どこまで話が広がるか分かったものじゃない。
本当に気をつけないと――。
「ねえ、クライス」
隣を歩いていたセシリアが、俺の顔を覗き込む。
「なんだ?」
「さっきのミッシェルお嬢様よね」
「そ、そうなのか?」
俺は咄嗟にしらばっくれた。
「あなたのこと見てなかった?」
すこしジト目に見えるのは、気のせいだろうか。
「顔見知りなの?」
「ま、まさか。き、気のせいじゃないか?」
「ふうん」
『まずい、困る』
頭上から、聞き慣れた羽音が降ってきた。白銀の隼ジェミィが、俺の頭上を旋回する。
『俺の鼓動は早鐘のように高鳴った。まずい、困る。ばれるのは本当に危険だ。密かに俺が、セシリアとお嬢様をフタマタかけようとしていることを――』
………またか。
だから勝手にモノローグ付けるんじゃないよ。
ジェミィは俺の運ぶ魚箱に止まり、甲高い声を上げた。
「あ、おかえりジェミィ」
セシリアが笑顔で出迎える。
『やあ、待たせたねマドモアゼル』
いつもの軽口。セシリアの耳には、こいつの言葉はただの鳴き声でしかない。俺も、うかつに人前で相手はできない。
『うふふ。それにしても相変わらず大漁だね、神』
何がだよ?
『命を救ったお嬢様には振り返られ、修道院には助けた美少女が二人。入れ食いっぷりが半端ない』
相変わらずふざけたやつだ。北欧の神、ロキの化身ジェミィ。こいつは本当に最高神の使いなのだろうか。実は怪物の使い魔なのかもしれない。
こんな調子で振り回されてばかり。だけど結果的に、この町のトラブルは解消され、女の子たちは救われている。そこは否定できない。
『いいね。今回も快調カイチョウ、怪鳥だけにw』
うるさいよ。
『次は、どんなピチピチのお魚ちゃんたちかな。お楽しみだね、神?』
ジェミィがくちばしで、魚箱をちょんちょんつつく。
「もう、食いしん坊なんだからジェミィは」
隣でセシリアが、くすくすと笑った。
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