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科捜研を待つため入り口に行ってみると、受付ブースの近くに見知らぬ二人の人物が立っていた。一人は六十代くらいのニット帽をかぶった男性。もう一人は四十代の中年太りしたメガネをかけた男性で、作業着を着ている。彼らの隣りには、さきほどの警察官がいた。楠警部が彼にたずねる。
「こちらの方は?」
「こちらが園長の福岡さん、こちらが今晩、夜勤をしていた飼育員の天海さんです」六十代の方が園長で、四十代の方が飼育員らしい。
紹介された二人は楠警部たちに会釈した。
「夜勤をしていたんですか」楠警部が天海という飼育員に聞く。
「まあそうです」どこか歯切れの悪い返答だ。
「事件のあった時間に、なにか異常なことを見たり聞いたりしませんでしたか?」
天海が口を開く前に園長が、
「天海くんは、その時間に仮眠をしていたようなんです」
「仮眠してた?」
「はい」と答えた天海は申し訳なさそうだ。
「どこで仮眠してたんですか?」
「あそこです」天海は受付ブースの横にある簡素な建物を指さした。
「じゃあ、なにも見たり聞いたりしてないんですね」
「はい、ぐっすり眠ってしまいました」
「まあ夜勤ですから、仮眠くらいはするでしょう。ところで園長、園内には防犯カメラはあるでしょうね」
「あります。こちらです」
園長は、天海が仮眠していたという建物の前に楠警部たちを連れていった。そこは広さ八畳ほどで、休憩室兼、警備室のような内装だった。奥には長いソファとテーブル、壁にはロッカーが並んでいる。左の壁にはいくつかのモニターが設置されていた。
楠警部と桐生は約三十分、防犯カメラの映像を確認した。午前零時四十分に、黒いコートに身を包んだ人物が二人、アフリカエリアのカメラに映った。二人は辺りを気にしながら、モンキーエリアの方に歩いていった。その十分後に、コートの人物が一人、今度はモンキーエリアからアフリカエリアの方に駆け足で通り過ぎていった。その後はそのカメラには何も映っていなかった。コートの人物たちは顔にマスクをしていて、帽子をかぶっていたので、人相はおろか、男女の区別すらつかない。
さらに入り口にあるカメラには、死体を発見したカップルと思われる男女が映っていた。二人は午前一時三分に、正門横の石塀をよじ登って園内に入ってきた。それから入り口ゲートをくぐって、パンダ舎の方に歩いていった。その七分後には、二人は鳥類エリアにあるカメラに映っていた。
これらの映像から、カップルの証言が真実であるのが明らかになった。
映像を見終えると、楠警部は、
「あいつらの言ってたことはほんとだったようだな」
「たいして手がかりは得られませんでしたね」桐生もがっかりして画面から離れ、ソファに腰を下ろす。
その時、扉をノックする音がした。入ってきたのはアロハシャツを着た、全身日焼けした三十代半ばくらいの男性だった。入ってくるなり、
「楠警部います?」と少しチャラい感じの口調で聞いてきた。
「おお、高梨、待ってたぞ」楠警部はその男のもとに歩いていって握手した。
事件現場よりも、湘南の海岸の方が似合いそうなこの男が、T警察署科捜研の主任捜査官、高梨優真である。
「楠さん、お久しぶりっす。見てもらいたいものってどれっすか」
桐生がソファから立ち上がって、科捜研らしくない男に例の物体を渡した。
「桐生くん、久しぶり。あいかわらず、引きこもってるのかい。たまには日光に当たって新陳代謝しろよ」
あなたみたいにはなりたくないですと桐生は心の中でつぶやく。
高梨はそれを受け取ると、いろいろな角度から眺めて、
「五分くらい時間もらえます?」と言って、ソファに座り、手さげバッグから工具を出して分解し始めた。一同は黙って作業を見守る。
五分も経たずに高梨は顔を上げて、
「これはアニマリンガルっすね」と断言した。
「あにまりんがる?」楠警部と桐生は声を揃える。
「そう。簡単に言うと、動物と話せるようになる機械っす」
「動物と話せる?」楠警部はそれを手に取って検める。
「横にボタンがあるでしょ。それを押して動物に近づいて、ふつうに話しかけると、この機械が自動でその動物の言葉に翻訳してくれるんす。逆に、動物が人間に話しかけると、その人間の話す言語に翻訳してくれるわけっす」
その場に数秒間の沈黙が降りた。楠警部が信じられないと言った調子で、
「それは間違いないんだな」
「間違いないっす」
楠警部はカップルの証言を思い出した。それを高梨に話すと、
「じゃあたぶん、これを使ってチンパンジーと話してたんでしょ」
「そうすると、これはそのコートの人物が落としていったのか。ちなみに録音機能とかはあるのか?」
「ないっすね。その場にいる動物と話せるだけっすよ」
「これはどこで売ってるんだ?おれはこんなものは聞いたことがないが」
高梨は少し記憶をたどってから、
「たぶん、まだ市販されてないんじゃないかな。北芝っていうメーカーがあるでしょ。ちょっと前に、動物と話せる端末を開発したっていうニュースが出たけど、これはそのプロトタイプじゃないかな」
「市販されてないならば、そいつはどうやってこれを手に入れたんだ」
「それはおれには分かんないっす」
「すぐに使えるのか?」
「壊れてはいないと思いますよ」
「サンキュー、高梨。桐生、行くぞ」
楠警部は管理室を飛び出していった。桐生も後を追う。二人は入り口ゲートをくぐって、パンダ舎、鳥類エリアを抜けてモンキーエリアまでやってきた。
猿山はひっそりとしていて、一見すると一匹のチンパンジーも見当たらない。楠警部はアニマリンガルの側面にあるボタンを押した。続けて日本語で、
「おーい、誰かいないかー」と呼びかけてみた。
すると、猿山の隅の方でガサガサという音がしたかと思うと、一匹のチンパンジーがゆっくりと歩いてきた。楠警部たちの方を見ると、
「なんか、用?」と日本語をしゃべったのだ。
二人は驚いて顔を見合わせた。高梨の言ったことは本当だったのだ。楠警部は咳払いをして妙な感覚を抱きながら、
「今から二時間ほど前に、ここで黒いコートを着た人物を見なかったかね?」
「黒いコート?」
「おまえの毛と同じような色の服を着た人だ」
「ああ、こういう色ですか。そうですね、見ましたよ」
「見たのか。そいつはおまえの知ってる人だったか?」
目の前のチンパンジーはなにか考えるように宙をみつめた。そして、
「はい、知ってる人でした」
「ほんとか。それは誰だった?」
「誰にも話さないでと言われたんですが」
「話してくれたら、後でおまえの好きなものをごちそうしてやるよ」
「ほんとですか、じゃあ言っちゃいますけど、ま、槇原さんです」
「槇原さん?」
「ここで飼育員をしてる人です」
楠警部はチンパンジーをじっと見つめる。人間と違って、表情を読み取れない。
「その槇原さんって人は深夜になにをしてたんだ?」
「それは分からないです」
「おまえは槇原さんとなにをしゃべったんだ?」
「槇原さんはぼくにこう言いました。わたしが今日、ここに来たことは誰にも言わないでね。そして、ぼくにバナナをくれました」
カップルの目撃証言によると、コートの人物はチンパンジーに何かを手渡していたらしい。
「他になにをしゃべった?」
「それだけです」
「分かった。もう行っていいぞ」
チンパンジーは欠伸をしながら、さっきまでいた場所に歩いていった。
二人は猿山を離れながら、
「あのチンパンジーの言ったことはほんとだと思うか、桐生」
「あんまり信用できませんね。ふつう動物に口止めなんかしないですもん」
「だよなあ。せっかくアニマリンガルもあることだし、他の動物にも話を聞いてみるか」
二人は少し戻って、鳥類エリアにやってきた。もし、コートの人物がこの通路を通ったならば、鳥たちの中で誰か見たものがいるかもしれない。楠警部はクジャク舎の前に立って、中を覗く。一見すると一匹もいないように見えたが、目をこらすと端の方にいた。
眠っているようだったが、楠警部が、
「雄太」とそのクジャクの名前を呼ぶと、地面から立ち上がって、二人の前にやってきた。
「ぼくになんか用?ぼくの羽だったら、見せないよ。これは美月ちゃんにしか見せないんだ。おじさんはだめ」
「べつに羽を見たいわけじゃないんだ。ちょっと聞きたいことがあるんだ」
クジャクは意外そうに首を傾げた。
「きみたち人間がぼくの羽以外に興味あるの?」
楠警部は苦笑いしながら、
「今から二時間くらい前に、黒いコートを着た人物がここを通らなかったかね?」
「二時間ってどのくらいの長さ?」
そんなことを説明しなければならないのかと思いながら、
「二時間は二時間だよ。ボウリング四ゲームくらいだ。いや、そうだな、おまえらが昼飯を食ってから、おやつの時間くらいの長さだ」
「そのくらい前だったら、寝てたよ」
「寝てた?」
「うん。だって夜中だもん」
「じゃあ、なにも見たり聞いたりしてないんだな?」
「うん」
楠警部は舎の中を見渡した。
「おまえの他には誰もいないのか?」
「美月ちゃんがいたんだけど、きのうから姿が見当たらないんだ。おじさん、知らない?」
「おれが知ってるはずないだろ。どっか別の舎にでも移ったんだろ」
「美月ちゃんをみつけたら、ぼくに知らせてくれる?」
「分かったよ」
こんな調子で、鳥類エリアにいる動物に話を聞いていったのだが、何も見ていないか、あるいはとんちんかんな返答ばかりで、手がかりになる情報を得ることはできなかった。
動物に話を聞くという慣れないことをしたので、二人はぐったりと疲れて、入り口に戻った。空は白み始めている。楠警部の腕時計は午前五時になろうとしていた。
「いったん車に戻って、仮眠をとるか」




